進撃の巨人のナレーション
あんたも進撃の巨人のFinalSeason2期を楽しみにしているかい?
2022年1月から始まる予定になっているけれど、待ちきれないほど楽しみにしているヒトは結構いるんじゃないかと思うんだ。
でもまあ、待ってばかりいても進撃の巨人熱が覚めるわけじゃないので、ちょいちょい第1期から見直してみたりしているんだ。
そこでフト思ったことがある。
あり?なんで最初からナレーションがアルミンなんだ?
今回はこの進撃の巨人のアニメーションでナレーションがアルミンになったことについて調べてみる回だ。
ちっとざわつくよな。調べてみようぜ。
荒木監督は博打を打った
進撃の巨人の第1期の放送時期は2013年4月。
進撃の巨人の単行本はそのころ10巻までしか出来ていなかった。
制作期間を1年半と考えたら物語として把握出来ていたのは5巻くらいまでってことになる。
5巻といえばエレンが巨人化してトロスト区を奪還したあたりだ。
※例の「イルゼの手帳」も5巻だね
その状況で進撃の巨人のアニメ監督である荒木監督は「最後まで生き残りそうだったから」という理由でアルミンをナレーションに起用したんだそうだ。
すごくね?
あの状態で主人公のエレンよりもアルミンが生き残りそうって思うのってえげつないセンスだと思う。
さぞかし、原作でエルヴィンとアルミンの命の選択を迫られたシーンでは肝を冷やしたんだろうなぁ。
アルミンがナレーションである意味
ある意味結果オーライってことなんだろうけれど、このアルミンがナレーションを務めているってのはでっかい効果があると思う。
何しろアルミンは「世界を救う」存在なんだから。
エルヴィンとアルミンの命の選択のシーンでは、まだエレンは未来を見ていないから、未来に引っ張られてあのセリフが出てきたわけじゃない。
シンプルにそれまでのアルミンの功績と共としての思いが「世界を救うのはアルミンだ」というセリフにつながったんだろう。
でも確実に諫山先生のなかでは、このセリフは意図的に作られているよね。
最終的にエレンの過ちを無駄にしない選択をする役割をアルミンが担うわけだから。
他にも生き残ったヒトはいる。
でもこの役割はアルミンしか出来ない。ジャンでもコニーでもミカサでも出来ない。
その時点での「調査兵団団長」だからこそ組織としての意見を背負うことが出来たんだからね。
常に現場でエレンと共にあり、敵対してからもずっとエレンのことを考え続け、最後にエレンの思いを心から理解している存在であるアルミン。
そのアルミンが進撃の巨人の語り部になるって、メチャクチャぞわってこないか?
アニメでは単行本の追加4ページはどうなるのか?
単行本を買って読んでいるヒトだけが見られる追加の4ページってのがある。
実際に読んでみてほしいので詳細は省くけれども、その後の世界を描き出すものだ。
このページにはセリフが全くないんだけれども、アニメ化にあたってそこにナレーションはつくんだろうか?
そこにナレーションをつけるとすると、理屈ではアルミンではないんだよな。
なにしろその後の世界だから。
個人的にはあの4ページに対してエレンがナレーションをつけてくれたら最高だと思う。
それだけでメチャクチャ救いがなくなる。
進撃の巨人という物語は絶望しか見えない中で、あがき掴み取っていく物語だ。
エレンによる最後の4ページのナレーションは、俺たちヒトが永遠にあがき続けていかなければいけないことを決定的に印象づけてくれる気がするんだよな。
なにしろ「最愛の貴方、此処で永遠に居眠りにつく」の墓標のもとでエレンは世界を見続けているはずだから。
エレンがナレーションをしたとして、その永遠のあがきはどういう感情で読まれるのか。
アルミンがナレーションをしたとして、どうなのか?
それともただ、映像が流れるだけなのか?
なあ、あんたはどう思う?
単行本加筆の4ページはどういうアニメーションになるんだろうな?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?