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セクシー田中さんが見せたメディアの苦悩

あんたはセクシー田中さんの原作者のヒトの訃報のニュースからこっちの「原作者を守れ」という個人の発信だとかメディアのニュースを眺めているかい?

何度も同じことを書いて何がしたいんだって言われたらぐうの音もでないんだけれどさ。
今回の訃報について、ぶっちゃけ俺は思うんだよ。
もうちっとなにかできなかったか?ってさ。

何を言ってるんだって?
これは想像に過ぎないとは思うんだけれどさ、原作者としては原作を変えるようなことはして欲しくなかった。
だから原作に忠実にドラマを描くことを前提としてドラマ化を許諾した。
でも出てきた脚本を見てみたら、めちゃくちゃ手を入れないといけないほどの差が感じられた。
なので、指摘を続けていたけれど、コミュニケーションを成立させることが難しくて、自分で脚本を作るという手段をとった。
結果として悲劇が起きてしまった。

おそらくだよ。
今回のこの悲劇を受けて、どんなことが起きるのかって想像するわけよ。

メディアミックスという手段が否定されるって未来が見えてこないか?
ヒトの命ってのはそれだけヒトの心を揺さぶるものだと思うからね。

今回は作品とメディアミックスってことについて考えてみる回だ。

ちっと俺たちが作品を味わうやりかたについて意味を考えてみようぜ。


映像化するヒトの苦悩

ぶっちゃけだよ。
マンガ原作にしろ、小説原作にしろ、その映像化するって行為そのものがある種の創作性を必要とされるものだと思うんだ。

マンガ原作の場合は「コマ割り」によって表現していた動きを、実際の動きに変換するって作業があるじゃん。
そもそもコマ割りによって動きを表現するってことそのものが、芸術的な要素を持つもんだと思うんだよな。

小説原作の場合はもっと創造性を求められる。
文字によって読み手の中で想像される風景を映像化するんだもんな。
コレジャナイって思われることはマンガ原作より多いかもしれない。

つまりは映像化するに当たっても、相当の独自性なんてものが求められるし、独自性を発揮しすぎると原作レイプなんて言葉で批判される。

なかなかに出口のない話に見えるんだよな。

原作者の苦悩

今回の悲劇の中心にあるセクシー田中さんと言う作品の場合で考えてみると、原作は完結していないのに、ドラマと言う作品としては一定の完結を指せる必要があるっていうなかなかな無理ゲーなところがあったと思う。

おそらく、原作マンガの「ここからここまでをドラマにしますよ~」って話で原作使用を許諾したんだと思うんだけれど、その時点でドラマの終わらせ方ってのに課題が生じるはずだと思うんだよね。

何しろ、マンガとしての完結をどうするかってのが決まっていないかもしれないじゃん。
ドラマの終わらせ方が原作に及ぼす影響ってのは計り知れないものがあると思うんだよね。

しかもドラマを見てオモロイって思ったヒトが原作マンガを読んで「なんか違う」って思われたりしたら、原作者としてはたまらないやるせなさを感じてもおかしくないと思う。

ゼロから物語を作り出したヒトにとって、その物語を物語そのものに対する評価ではなく、自分とは違う誰かが作った自分の物語と比較されて、原点である自分の物語を否定されたとしたら。
原作者としては、自分の存在意義を否定されたような気分になってもおかしくないよな。

視聴者の苦悩

今回の悲劇で何らかの不快感を感じているヒトの数だけを考えたら、圧倒的に視聴者の数が多いと思う。
何しろ原作者は一人、もしくは数人。
映像化に関わるヒトは十数人。
でも視聴者は何百万人もいるからね。

不快感ってのは「誰かが悪い」って切り捨てる様な感じじゃなくて、「どうしてこんな事になったのか」ってモヤモヤ感を抱えている感じね。

俺としては原作者さんも映像化に携わったヒトたちも視聴者も含めて「悪者」はいないと思うんだよ。
ただ、そこに悲劇だけがあった。

ポイントはこの悲劇は繰り返して欲しくないって感情を結構な数のヒトが感じているってことだと思うんだよね。

どうやったらこの悲劇は起きないようになるのか。

一つは映像化を含めたメディアミックスと言うのをやめると言う方法。

これは悪手だよな。
だって、鬼滅の刃だって、葬送のフリーレンだって、アニメになって話題になってなかったら、原作マンガ読んでないもん。俺の場合は。

一つはメディアミックスに原作者が積極的に関わると言う手段。
これは特に原作が完結していない状態だと、単純な原作者のマンパワーの課題があるよな。
ただでさえ、連載マンガを執筆するのにはえげつない労力が注ぎ込まれている。
それにプラスアルファでメディアミックスのための時間を捻出するってのは現実的に難しいところがありそうだ。

一つはメディアミックスにあたってのやり取りを仲介するエージェントを原作者側のコストで抱えること。
これも原作者と言う個人が抱える費用的なリスクとしてはデカすぎる気もするんだよ。

自分の物語には自信を持っている。
でも、それが他のメディアに変わったときにオモロイを生み出せるのかってのは正直博打だと思う。

「これは映像化は難しい」
そう思う物語があんたにもあるだろ?

なあ、あんたはどう思う?

こんなにも多くの苦悩が絡み合っている物語のメディアミックスはどうしていけば良いと思う?

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