カンボジアの思い出
あんたもいろんな媒体で世界の不幸にさらされている子どもたちの情報を眺めているかい?
例えば、こんな団体もあるんだそうだ。
なんつーかさ。
子どもたちが必死にならないと生きていけないって状況をながめると、実に肌がビリビリするような感覚に襲われるんだよな。
俺の息子がそうなったらどうする?とかそう言うことじゃなくて。
シンプルに何処かの誰かが死ぬ気にならないと生きていけないって現実を俺が日常的に感じられていないって現実を突き立てられるような感じ。
今回はそんな現実を俺がワカゾーの頃に目の当たりにしたことを思い出す回だ。
ちっと、俺たちの経験値を振り返ってみようぜ。
カンボジアで見た景色
俺がワカゾーの頃に、カンボジアに行ったことがあるんだよ。
アンコールワットってやつが見たくてさ。
実際、めちゃくちゃ多くの遺跡群は俺を圧倒した。
ガイドさんの話だと、ヒンドゥー教の遺跡だけじゃなくて仏教系の遺跡もあったりして、文化って混ざって作り上げられるもんなんだなぁって体感した記憶がある。
後で調べると、閻魔大王とかの元ネタになっている神様もヒンドゥー教にいるらしかった。
その遺跡たちの存在感ってのはまあすごかった。
砂岩でこさえられたその姿は確実に年月を過ごした劣化みたいなものを感じさせてくれた。
日本のそれとはちょっと違うワビサビみたいなものを感じさせてくれたんだよな。
カンボジアの悲劇
でもだよ。
俺の記憶に残っているのはそんな遺跡よりも、そこに住まうヒトたちだったんだよな。
担当してくれたガイドさんご自身がポル・ポト政権による国民虐殺に対抗した内戦に関わっているヒトだったりしてね。
その時期は今のウクライナと同じように各国から武器が流れ込んでくる状況だったそうだ。
そのガイドさんは威力はアメリカ製が一番強かったって言ってた。
威力が強いから弾があたったところじゃなくて、あたった裏側が爆ぜるって言ってた。
その時、心底思ったんだ。
ここは戦争と地続きの場所なんだって。
キリング・フィールドという場所にも連れて行ってもらって、ポル・ポト政権による虐殺の被害に合われたヒトたちの名が刻まれた碑石を見て、その圧倒的な人数から目を離せなかった。
なにより殺されたヒトたちの頭蓋骨が詰められた塔(頭蓋骨が詰められているところはガラス張り)はなんつーか感覚が麻痺してしまうような感じがした。
カンボジアの子どもたち
そんな悲劇的な歴史を抱えている国なんだけれどさ。
ガイドさんは別の光景も見せてくれたんだ。
現地の小学校に連れて行ってくれたんだ。
お昼直前だったんだけれども、電灯も灯っていない教室は実に暗かった。
それでも子どもたちは真面目に授業を受けているように見えたんだ。
みんなが制服を着て、きちんと過ごしている。
そう思っていたら、ガイドさんが制服と言うよりはドレスコードみたいなものだって説明をしてくれた。
「あの子はきっとお金持ちの子。服がきれいだから」
そう言われてみると、微妙に服の形が子どもたちごとに違っているのに気づく。
なんかそれだけで泣きそうになってくるやつなんだけれど、俺の感動はそのあとに来た。
お昼の時間になって、給食の時間になったんだよ。
今はどうなっているのかってのは分からないんだけれど、そのときは校庭に給食を配る場所が作られて、そこで子どもたちはお金を払って食べ物を買ってたんだよ。
ああ、ここでも貧富の差が出てしまうってことなのか。
そう思ってみていたんだけれど、それを上回るショックが俺にはあったんだ。
笑顔なんだよ。
子どもたちは食べている子もそうじゃない子もいたと思う。
でも全員もれなく笑顔だったように俺には見えた。
たぶん、俺の人生の中で最も衝撃を受けた瞬間だったと思う。
もう何十年も前の話だから、あの子たちは大人になってカンボジアって国を支えてくれているんだろうな。
そう願わざるをえない。
なあ、あんたにもあるかい?
忘れようとしても忘れられない旅の記憶ってやつがさ。
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