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物欲という欲について考える

あんたにも物欲ってやつがあるかい?

ご多分に漏れず、俺にも物欲ってのはある。
あるんだけれども、年を経るごとにその欲求の持っていた力ってのが非常に弱くなっていくことを感じることって、あんたにもあるかい?

ワカゾーのころは、あれが欲しい、これが欲しいと物欲を全開にして暮らしていた記憶があるんだけれども、このところかつては持っていたその欲求が綺麗サッパリ無くなっている気がするんだよ。

これって何なんだろうな?

今回は欲求って現象について考えてみる回だ。

まあ、ヒトそれぞれってやつかもしれないけれども、付き合ってくれよな。

欲望の源泉

物欲の減退って状況について考えてみると、そもそも物欲ってのは何を満たすための欲望なのかって整理が必要だと思うんだよ。

いわゆる三大欲求とされる食欲、性欲、睡眠欲については、生き物の仕組みとして俺たちのDNAに刷り込まれた欲求だよな。

食わなきゃ死んじゃうし、生殖行為を続けなければ種の存続が出来ない。
睡眠を取るということで、ヒトの脳の活動レベルを高めることが出来た。

つまりこれらの欲求については、説明がいくらでも出来る状況にあるわけだ。

その前提で考えてみてくれよ。

物欲ってなんだ?

三大欲求の様に、明確に存在意義がわかる欲求じゃないと思うんだよ。
何しろ「物を所持している」って状態って厳密な意味では客観的に観測できるものじゃないじゃんか。

意味がわからないって?

例えば、あんたがリンゴを八百屋で買って買い物かごに入れたとするよな。
その時点であんたはリンゴを「所有している」ってことになる。

ところが、このリンゴは存在している場所が八百屋の売り場からあんたの買い物かごに移動したってことしか変化がなくて、リンゴ自体に対して何らかの物理的な変化が起きているわけじゃない。

つまりリンゴを「所有している」ってのは俺たちヒトが「そうだ」って決めているだけのことなんだよな。
いわゆる「虚構」もしくは「物語」だ。

虚構に対する欲望

だとすると、俺たちは物欲と言う「虚構を手にしたいという欲求」を持っているってことになる。

それは何のための欲求なんだろう?

おそらくはそれは社会というシステムを利用して自分の欲求を満たしたいという二次的な欲求なんだろう。

冷静に考えてみると「所有している」って状態そのものは俺たちのどんな欲求も満たしてはくれない。

お金持ちになりたいってのは、そのお金を使って様々な自分の欲を満たすことで初めて欲求の解消につながるし、面白そうなゲームを手に入れたいってのは、そのゲームで遊んで初めて欲求を満たすことが出来る。

つまり、物欲ってのは、物を手に入れたいという欲求のくせに、物を手に入れると言う状態だけではヒトを満たすことが出来ないと言う非常に厄介な欲求ってことになるんだよな。

物欲がなくなった理由を考える

そう考えると、自分の物欲が年を経るごとに減退していった理由ってやつが見えてくる。

つまりだ。

俺は物を使って「何かをやりたい」と想像する能力が衰えてきているってことなんだろう。

もうちょっというと、俺のやりたいことに必要な「物」はもう手元にあるって感じているってことかもしれない。

何?オマイはそんなに満たされた生活を送ってんのかって?

そんなわけ無いじゃん。
もぉ、人間の器の小ささを感じざるを得ないほど、俺は不満に満ち満ちている。

ただ、その不満を解消するために必要なのは「物」ではないって思っているってことだ。

俺が欲しているのは「ビリビルするくらいの充実感」だったり「家族が自分の言葉に笑顔を返す」ってことだったり「若者が活躍する姿を見る」ことだったりする。

これって、物があってどうこうできるもんじゃないべ?

もちろん、お金があればそのことを補完するするくらいの役には立つとは思う。
そもそもお金がなきゃ、生活することもままならないってのはわかるし、それは厳然たる事実だ。

それでも、お金を始めとする物を欲する物欲ってのはやっぱり直接俺たちの欲求をどうこうできるもんじゃないんだと思うんだよな。

だからこそ物欲の先にある欲求ってものを考える価値があるんじゃないかって思うわけだ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは物欲の先にある欲求を見失っていることがあるような気がしないかい?

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