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宇宙戦艦ヤマト2205から見る民主主義

あんたも宇宙戦艦ヤマト2205を見たかい?

俺は映画館じゃなく配信で視聴したんだけれども、思いの外、できが良いって印象の作品だった。

旧作の「新たなる旅立ち」が「ヤマトよ永遠に」へのつなぎ的な位置づけの作品だったので、あんまり良い印象がなかったんだよね。
今回の2205はキチンと単独作品として成立させる意図が感じられる作りになっていた。

今回は宇宙戦艦ヤマト2205冒頭部分のある表現について考えを巡らせる回だ。

例によって俺の趣味全開の話だけれど付き合ってくれよな。

2202での人類の選択の闇

個人的な俺の感想として、2202の最後で古代と雪が全地球人の直接選挙で時間断層と引き換えに救われるって物語には懐疑的なところがあったんだ。

この直接民主制の危うさってのがメッチャ出ている気がしたんだよね。

何が危ういのかって?

それこそのこの間の自民党総裁選の党員党友票の流れを見ていて思わなかったかい?
あの党員党友票ってのは実際の政策論争が起きる前にはがきが送り続けられて、大抵のヒトが政策論争なんて見やしないで速攻ではがきを返信しちまうってのが実態らしい。

そうなってくると、マスコミ的に受けが良いヒトに必然的に票が集まってしまう。要するに目立つヒトに票が集まるわけだ。

で、2202の最後の直接選挙でも同じようなことが起きている。

人類全体としては、時間断層ってのは欠かし難い価値を持っていた。
何しろ、その存在によって文字通り時間を圧縮して圧倒的な兵器を量産できていたんだからね。

そこにある経済的な意味ってのは文字通り絶滅の危機から立ち直ってきた人類にとって失っては決していけないものだったはずだ。

ところが人類はヤマトと古代と雪という象徴を選択してしまう。

物語的にはお涙頂戴でよく出来ている様に見える2202のこの演出だけれども、これって現実の話と照らし合わせると「ヒトは正しい選択を出来ない」って言う絶望的な結論を表していると思うんだよね。

人類全体のための防衛力であり、経済の源である時間断層と、ヤマトという戦艦一隻と古代と雪というたった二人の命を天秤にかけて、後者を選んでしまうヒトという生き物。
これを愚かといわずしてなんというんだろう?

2205で描かれた人類の選択の闇

で、2205の冒頭ではこの人類の選択の結果導き出された闇が描かれている。

時間断層の周辺企業として経営していた人物が時間断層がなくなることによりキャッシュフローが悪化して金策に駆けずり回り、結果として自殺に追い込まれたという描写だ。

2202を見た時点では、俺はこの状況が生まれるってことに思いを馳せることが出来なかった。
俺自身の想像力が欠如しているってのもあるとは思うけれども、ヒトって生き物はそう言う想像を出来る個体は少数派なんだと思うんだよね。

そして、民主主義というシステムが多数決を前提としている以上、この愚かしさってのは完全に拭い去ることが出来ない。
こいつはヘビーだ。

ただ、そのヘビーさに対抗するための方法ってのも次善の策ではあるけれどもヒトは生み出している。

間接民主制だ。

基本的に俺たちは愚かだ。
でも中には愚かじゃない個体もいる。
そう言う優秀なヒトに全体的な判断を委ねるってやり方をするのが間接民主制だよな。

ところが、この間接民主制も万能じゃない。
優秀と思われるヒトの選択は、優秀じゃない俺たちにとって理不尽に見えることが普通に起きる。

そうなったときに俺たち愚民は何をしてしまうのか?

俺たちの選択で選ばれたヒトを非難し、場合によってはクーデターを起こして自ら選択したヒトを殺害することだってある。

宇宙戦艦ヤマト2205の冒頭部で表現されたヒトの選択によって死に追いやられたヒトがいたという表現。

そのたった一つの表現だけで、俺たちは現実が抱えている闇ってやつを感じ取ることが出来る。

これって結構すごいことだと俺は思ったんだよね。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは物語からどれだけの現実を感じ取ることが出来るんだろうか?

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