見出し画像

[小説][バラッド]-序章-⑪

歌えないオッサンのバラッド
-序章-⑪


俺は黙って、タイゾーのグラスにハーパーを注いだ。
今この男は漠然と思ってはいた恐怖みたいなものが両の肩にのしかかってこられている真っ最中だろう。

注ぎ終えた瞬間に喉に流し込むように飲むタイゾー。

ああ、せっかくの酒をそんな風に飲んだら酒がかわいそうってもんだ。

「くそっ。全く酔える気がしないぜ。
ママさん。ズブロッカのバイソンって置いてるかい?」

ウォッカを銘柄指定してくるなんてよほど何か思うところがあるのかも知れない。

「あるわよ。ショットを2つでいい?」

その言葉でようやく俺も思考が追いついた。
なるほど、タイゾーってのはそういうやつなんだな。

タイゾーは運ばれてきた2つのショットグラスに注がれたのを見て言葉を口にした。

「トール……」
「……そうだな」

二人はそれだけいうと、ショットを少し上に掲げるようにして二人同時に飲み干した。

さながら儀式のような光景に俺もリサも魅入られたように動くことが出来なかった。

「後は任せたぜ」
「トールがあれだけリサを手放すなって言ってた意味、初めて理解できた気がしたよ」

リサが立ち向かうもの

突然自分の名前が出てきて、最初に自分が「葵」に入ってきた理由を思い出したんだろう。
そうだ。自分は無力だってことには変わりがない。
その上、大黒柱のトールが居なくなってしまったらどうすればいいんだろう。
その狼狽の表情はその場にいる誰もが感じることが出来るほどに、何一つ取り繕っては居なかったんだ。

「良いかい?リサ」
リサを瞳をまっすぐ見つめながらトールが話す。
「確かにリサの作る資料はヌケモレの類が散見される。
でも、俺はリサの主張が間違っていると思ったことは一度もないんだ」

トールの表情はどこか晴れ晴れしているようにも見える。
なるほど、もうバトンは渡しちまったってわけだ。
さっきのショットを飲み干すことでね。

「明日の役員会前のプレゼン資料だって、骨子はリサが作ったんだろう?」

黙ってうなずくリサ。

リサはあの資料が出来るまでのことを自然と思い出していた。


あの資料は、別のお客様との議事録を作るにあたって、メモしておいた内容を整形して議事録にするときに思い出したお客様の言葉がきっかけで作ってみた資料だった。

その言葉とはお客様の口からふと出てきた「こんな商品があったら、日々の生活に色がつくよね」と言うなんとも抽象的なものだった。

色がつく。

つまり、今は色がついていないってことだ。

議事録をまとめ終えて、リサは溜まっている仕事を片付けながらメモ書き程度で次回の顧客プレゼンの資料のアジェンダを作ったのだった。

タイトルにはでかでかと「日々の生活に彩りを与えたいという思いを形に」と書かれている。

要点としては、現状売られている商品には「物語」が足りていないと言うこと。
そして、その原因は大きく3つの原因があるとしている。

一つは日々の生活が目まぐるしすぎて、生活の彩りにまで気が回らないこと。
もう一つはある一定の品質が保たれている商品が世の中に多く出回ることによって、「求める前に与えられている」と言う状態が生まれていること。
最後に、人々に彩りを取り戻すには、その彩りの価値、すなわち物語が必要だ。

そのための具体的な方策として、実際の商品と、その商品へのものづくりへの思いを動画として楽しめる権利をセット販売するモールの立ち上げと、物語の発信を気楽に行えるプラットフォームを自社で運営する必要がある。

そこにはリサの会社にとっての顧客の先にいる顧客を見据えた
事業戦略の骨子が書かれていたわけだ。

その骨子の中には既存の小売や第一次産業の人々へのアプローチから、そんな自分たちの生活基盤を支えている人々と消費をする人々があまりにも離れすぎている。
色を失っている。

その色を取り戻すためのコミュニケーション手段が思いつくままにメモされていた。
電子値札にQRを出して、生産者のSNSにつなげたり、各種クラウドファウンディングとの紐づけ、消費者が望んでいること、生産者が困っていること、流通で起きている現実。

それらの現実を赤裸々に表現することによって業界全体を活性化させる。

そのプラットフォームを自社で作り、まず手始めに自社製品にまつわるところから運用を始め、徐々に人の輪を広げていく。
その人の輪こそが当社の利益に直結するはずだ。

リサはそんな思いをなぐり書きの様に書きたくなってしまったのだ。

「色がつく」と言う一つの言葉でだ。


「いや、最初にあれを読んだときは、3年目の新人が何を言い出すのかと思うよりも先に、心底驚いたんだ」

タイゾーが思い出すようにそう口にした。

「だから、その場で今抱えている仕事は手空きになりがちになっている後藤と田口に明日の午前中で引き継げ。そしたら、このアジェンダに沿って資料をあさってまでに作ってくれ。
具体的な数字は後回しで良い。
お前の感じた『必要性』がどこにあるのかを形にしてみてくれってね」

早速デスクにもどって、今抱えている仕事を切りの良いところまで形にして、明日残作業を引き継ぐための資料をまとめ始めたのを見て、タイゾーはこんな事を話し始めた。

「リサは、より現場に近い場所でこそ力を発揮するんじゃないかって思った。
それでトールに直談判に行ったってわけさ」

リサはまるでつきものが取れた様な表情をしている。
そうか、タイゾーさんの言葉は私の実力不足が原因であの説教部屋でトールさんと話していたわけじゃない。
そんなことを感じているように俺には見えた。

「だが、俺は反対した」
トールがそう続ける。

「変える順番が違うと思ったからだ。
まずリサは当社の社員として仲間に認められる事が必要だ。
そして、信頼をおける仲間を増やしながらじゃないと、とてもじゃないがこんなだいそれたことは実現できない」

話がデカくなってきやがったぞ。
もうすでに、そこらのサラリーマンは追いつけない話になってきている。

「明日の社内役員向けのプレゼン資料はリサが作った壮大な目的地への道程がどうなるのか。そして、その道の入口に据える事業は何なのか。
資料には直近の事業の数字的根拠をタイゾーが加えて強化した作りになっている。
明後日の朝一。さっき会社でタイゾーが30分で片付けると行っていたあの資料で当社役員に開発予算を取りに行くつもりだ」

そこで一呼吸をトールは置いた。

「その役員向けプレゼン。リサ、お前がやってくれ」

つづく


お知らせ


この記事は香坂兼人のメンバーシップ

しこうのおと
しこうのおと

専用記事を一部公開したものになります。

通常、この記事をご購入いただくことで、全文をお読みいただけますが、序章に限り有料記事ではありますが無料で全文を読めるようにしています。
なお、メンバーシップ「しこうのおと」に参加いただければ2記事分の月額費用で読み放題となっております。

ご興味のある方はぜひ「しこうのおと」にご参加ください。

ここから先は

0字

香坂兼人投稿をネタに様々なことを思考していくメンバーシップです。 小説などのコンテンツは週1回程度の…

スタンダード

¥600 / 月
初月無料

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?