新三陽の思い出
あんたにも思い出の飲食店ってのがあったりするかい?
ふと、学生時代に通い詰めた中華料理店のことを思い出したんよ。
そしたらこんなつぶやきを残してくれているヒトがいた。
新三陽。
めちゃくちゃ思い出に残っているお店なんだよね。
ご飯物がえげつない大盛りで出てくるお店で、俺たちの間では「大盛り屋」で通ってた。
久しぶりに行ってみたいなって思って、あのお店定休日とか無かったよなって調べてみたんだよ。
そしたらこんな情報が飛び込んできた。
正直に言う。
飲食店が閉店したってニュースで涙が止まらなくなったのは初めての経験だ。
たしかにご主人は80代のご高齢だからいつこうなってもおかしくはなかった。
今回は、この新三陽のことを思い出してみる回だ。
あんたにも思い出の飲食店ってのがあるようなら、語って見せてくれよな。
新三陽と言う思い出
俺にとって新三陽と言うお店は青春の1ページと言って良いお店だったと思う。
しんどいとき。
楽しいとき。
悲しいとき。
そういう感情と不思議にリンクしていくお店なんだよな。
ご主人の「いらっしゃい」って声のトーン。
ホントにどんなときでも安定したあのトーン。
今思い出しただけで涙が止まらないんだよ。
いや、ほとんど会話を交わしたことはないんだ。
俺自身があんまりお店のヒトとコミュニケーションを交わすタイプじゃなかったしね。
ただ新三陽のご主人は黙々と「チャーハン小」って俺のオーダーを作ってくれていた。
ちなみにチャーハン小つっても普通のチャーハンの大盛りくらいの量が来るからね。
※ざっくりうどんの器に限界まで入れてそれを盛り付けた感じ
※それで400円
で、料理が出てくる前にジャンプだとかマガジンだとかサンデーだとか置いてある雑誌を読んで待つんだけれども、まあ出てくるのが早かったから3個位の作品を読んだら出てくる感じだった。
で、その大盛りのチャーハンをかっこんで塾に戻るみたいな感じの生活を過ごしていた記憶がある。夏期講習だったかな。そのパターンは。
新三陽が閉店したと知った涙
ぶっちゃけね。
今の俺には新三陽の量を食べきる自信は無いわけよ。
もぉ、食がめちゃくちゃ細っているからね。
普段の昼食とかなら、おにぎり2個とかで十分だもんよ。
なんなら普通のラーメンを食べきるのもきつい時があるくらいだ。
それでもね。
新三陽が閉店したってニュースを見たとき。
俺は涙したんだ。
冒頭にも書いた通り、飲食店の閉店のニュースで泣けてきたのは俺の記憶にはない。
いらっしゃいの声。
出てくるチャーハン。
添え物の紅生姜やザーサイ。
シンプルな中華スープ。
厨房のご主人の横顔。
そのどれもが、鮮やかに思い出すことが出来るんだよ。
もう何十年も前の記憶のはずなのにさ。
そしてその記憶を追体験することはもう出来ない。
そう思ったら、もうダメだ。
涙が止まらない。
これはバイト先が企業として畳んだって時には感じなかった感情なんだよな。
ある意味、生き物としての俺を物理的に、精神的に支えてくれていたって感覚がこの新三陽と言うお店にあるのかもしれない。
それが失われた。
まあ、泣くよね。
今だって書いていて涙が止まらんもん。
失って泣くお店
でね。
こういう無くなってしまうことで感情が揺り動かされるお店ってそうは無いじゃんか。
ほとんどが「あれここにあったお店なんだったっけ?」って感じになると思う。
「この辺にパン屋なかったっけ?」みたいな感じで。
たまに実家に帰って、いつも通っていた商店街とか歩いてみると、ホント昔の面影が一掃されているんだよな。
まあ、そりゃあ何十年もの月日が経ってるんだから当たり前だろって言われればその通りなんだけれどさ。
もちっと考えると息子の今過ごしている環境も息子が働きだして家を離れる頃には様相を変えていくってことだよな。
その頃に、俺は息子の帰ってくる家を維持できているんだろうか?
なあ、あんたはどうだい?
あんたにとっての思い出の場所ってのは今はどうなっている?
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