興味の変遷
あんたにも自分の興味が変化していることを実感するタイミングがあるかい?
例えば、俺は西野亮廣さんの考え方に共感してオンラインサロンに所属させてもらっている。
でもぶっちゃけて言えば、今この瞬間に西野亮廣さんに興味を持てているかって言うとそうとは言い切れない自分がいる。
ぶっちゃけ、えんとつ町のプペルの映画が俺にとって致命傷だったんだろうと思う。
あの映画さ、面白くないんだよ。
つまらないんじゃなくて面白くないね。
今回はヒトに対する興味ってものについて、ちょっと考えてみようって回だ。
ちっとブラックな俺に付き合ってくれよな。
西野亮廣さんへの興味
最初に西野亮廣さんへの興味を持ったのは革命のファンファーレという書籍を読んだときだった。
書籍の内容については読んでみてもらって感じてもらうしかないと思うんだけれど、西野亮廣さんがどれだけの逆境をどういう風に立ち向かったかというドラマを背景に、そもそも世の中になにかを伝える方法ってどう言うやり方があるのかってのをエモーショナルに表現してくれている良書だと思う。
当時、その本を手に取った自分は西野亮廣さんという人物をお笑い芸人の
一人って以外の印象を持っていなかったんだ。
そのヒトがこれだけの理屈を積み上げているってのがセンセーショナルだったんだよ。
その時点で西野亮廣さんがオンラインサロンというよくわかんないやり方で発信をしてくれているって言うのを知って、とにかく話を聞いてみたいと思ってオンラインサロンに入ってみた。
その結果、今もそのオンラインサロンに入り続けさせてもらっているってわけだ。
プペル美術館という夢
俺がオンラインサロンに入った当時はプペル美術館という企画で盛り上がっていた。
えんとつ町のプペルという絵本を題材に美術館を作ろうっていって、土地を買い上げてその美術館を作り上げる過程をみんなで楽しもうぜって話だった。
当時の俺はその流れに「おもしれ~」って思ってたんだよね。
でも、当然ながら美術館を立ち上げるなんておいそれと出来るわけでもなく、今は映画やらミュージカルやらといった他のメディアでのえんとつ町のプペルという作品を展開しているって状況だ。
それそのものは良いんだけれど、美術館ってものを入り口に西野亮廣さんという人物に魅力を増幅させていた俺みたいなヒトにとっては、「美術館は?」って思いが交錯するのは自然だと思うんだよね。
もちろん美術館プロジェクトが立ち消えになった訳じゃない。
ただ、どこかで西野亮廣さんというヒトは多くの事柄に同じ熱量を捧げられるヒトだってどっかで期待してしまっていたってことなんだろう。
えんとつ町のプペルという映画への落胆
さらに西野亮廣さんへの期待がしぼんでしまう決定的なきっかけが映画のえんとつ町のプペルだった。
冒頭に書いた通り、俺にとってあの映画は「面白くない」ものだった。
映画館で見て、芦田愛菜さんの声優としての演技力の凄みや、窪田正孝さんの本人を感じさせないほどの声には驚愕したよ。
でもさ。
ストーリーのカタルシスが全くない。
主人公であるルビッチに全く共感できない。
腐る貨幣という設定も全く物語に絡んでこない。
これがか?
これがあの西野亮廣さんがこさえた物語なのか?
実際、コンテンツ配信のしくみで見られるようになってからもう一度見ようとして見たけれど、正直最後まで見る気になれなかった。
オンラインサロンを続けている理由
そこまで言うなら、オンラインサロンはやめてるんだろ?って話になると思うんだけれども、今のところやめてない。
でもぶっちゃけ、西野亮廣さんの発信を読み込むことは無くなってきているってのが現状だ。
じゃあ、なんでやめないんだって?
俺の中の感覚では、西野亮廣さんのオモロイよりも、西野亮廣さんをオモロがっているヒトが実に興味深いんだよ。
ありとあらゆるヒトがいる。
えげつない挑戦をし続けるヒト。
ただ、その挑戦を眺めているヒト。
そこにいるヒトの数だけのドラマがあるんだ。
そんなのさ。
見続けたくなるじゃんか。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどこにオモロイを見つけることが出来るんだろうな?
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