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AIが作り上げる物語

あんたはAIが作るコンテンツが普通になりつつある現場ってのをどう見てる?

画像を始めとした様々なコンテンツがヒトのキーワードをもとに作り出されているって世界ができてきているじゃんか。

まだまだ、画像としての満足度みたいなものは俺たちの満足度を満たしている状況には届いていないというか、その満足度に届かせるための「呪文」みたいな技術が話題になっている感じだよな。

俺の感覚だと、画像よりも文章のAIによる生成って方がハードルが高い印象がある。

とは言えだよ。
きっと俺たちを満足させてくれる画像も文章もAIが生み出す世界ってのは訪れるんだろうな。

今回はそんなヒト以外が作る上げる作品でヒトが満足できるのかってのを考える回だ。

ちっと俺たちが何を持って満足しているのかって考えてみようぜ。

作品をAIに作らせてみる

例えばだよ。

AIにこんなん作らせてみたらどうなるんだろう?


モナリザ

……うん、現時点でダメなのはわかった。

でもだ。
でもだよ。
絵としては絶妙なダメっぷりじゃんか?

ヒトの手が成立してないっぽさとか、そもそもモナリザって要素がないとかは全くもってその通り。

でも画像として話にならないってことにはなっていない気がするんだよ。

AIが発展した先のコンテンツ

現時点ではこんな感じだけれど、おそらくは近い将来に物語を含めた映像コンテンツをAIが自動的につくるなんて世界になる気がしてくるわけだ。

ヒトがキーワードを入れるまでもなく、ネットでのトレンドを勝手に拾ってきて、そのトレンドに基づいた物語をAIが作り出す。

そして、その物語に沿った映像もAIが作り上げて、そのコンテンツをヒトが楽しんでネット上に反応を残す。

そしてその反応に従ってさらなる物語が作り上げられるってスンポーだ。

多分、初期はネット上の反応のママに物語を再生産するだけの状態だろうけれど、その内起承転結を意識して最初から最後まで練り込まれた物語を作り始めるんだろう。

実際のマンガ業界がそう言うふうに動いてきたようにね。

そういえば、前にAIとヒトが協力して手塚治虫さん風の作品を作り上げたって話があったよね。

この時はまだヒトの手が入っていかないと作品として成立しないって状況だったけれど、技術は日進月歩だ。

多分ヒトが作った作品と見分けがつかないものをAIが作り上げるってのは時間の問題なんだろう。

ヒトは何かを作り続けられるのか

じゃあだよ。

そんな風にヒトと遜色ない作品をAIが大量に作り上げる世界になったとしてだ。

俺たちヒトは作品を作るのを辞めるんだろうか?

だってそうじゃんか?
AIによって自動的に作品が作られるってことは、物量的にえげつない量の物語が作られることになる。

物語だけじゃない。

例えばこのnoteだってAIが作ったものかどうかなんてわかりっこないわけだ。

すべてのコミュニケーションがAIによって作られたかヒトによって作られたかってのが判然としない世界になった時に、俺たちは何かを作り続けるんだろうか?

是。

多分作り続ける。

作って、発信して、反応を眺め続ける。

なぜって?
だってヒトはコミュニケーションによって成立する生き物だからだ。

ヒトがヒトである以上はコミュニケーションってのを辞めるようにはできていないと思うんだ。
作品作りってのはそんなコミュニケーションの一形態だと思うわけよ。

そのコンテンツがAIによって作られたものでもヒトによって作られたものでもヒトは反応し続けるだろう。

そしてヒトが作ったものに対しての反応すらAIがやることもあるだろう。

そうなったら、もはや作品や反応がヒトによってもたらされているのかAIによってもたらされているのかってのは意味をなさなくなるのかもしれない。

それでもだ。

ヒトはヒトと関わることを辞めたりしない。

相手がAIだとしてもヒトとして扱い、反応し続けるんだろう。

なあ、あんたはどう思う?

AIがオモロイ何かを作り、ヒトもオモロイ何かを作る世界で、俺たちは一体何をオモロイと言い続けるんだろうか?

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