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[小説][バラッド]-序章-⑫

歌えないオッサンのバラッド
-序章-⑫


「わ、私がですか?」
「そうだ。タイゾー、問題ないよな」
「へっ、精神と時の部屋へご案内ってわけだ」

ここでドラゴンボールを出してくるあたりは、なんというかタイゾーらしいと思った。
この短い会話の中で、俺は徐々にこのトールとタイゾー、そしてリサについて共感出来るところがいくつもあるような気がしてきている。

三人とも今の仕事が大好きで、でもトールはその大好きなものよりも家族を優先する決断をし、そのことを誰にも話さなかった。

完全に自分勝手な理由だと思っていたし、何より自分が居なくなった後に仲間たちがどうなるのかを考えると頭をかきむしりたくなるような衝動に駆られたことも一度や二度じゃないはずだ。

でも親の命の灯火が消えるその時まではそばに居たい。

そんな根源的なエゴが辞職をすると言う形になったわけだ。

きっとトールのことだ。
家族の命の灯火が消えた後は絶望して動くことも出来なくなるようなこともあるかも知れない。

でも、思うんだ。
タイゾーとリサはあそこで今も踏ん張っているはずだって。

そう考えることで、トールは前に進めるだろう。
というか、立ち止まって居られるタイプの人間じゃないだろうと俺は思った。

ちなみに、数年後にリサの考えたプラットフォームの中核となるAIのコアシステムをトールが設立した会社がタイゾーにプレゼンしにくるのはもう何年か後の別の話。

タイゾー

思うに、タイゾーがいなかったら、トールは親の最期を出来るだけ長く一緒に過ごしたいと言う感情は心の奥底にしまい込んでいたんだと思う。

実際しまい込んでいたに違いない。
タイゾーですらトールのその本当の所の思いと言うものに気づくことが出来ていなかったんだから。

たぶん、タイゾーはこう考えていたんだと思う。
トールには俺がいる。
だから後ろを見ずにとっとと駆け上がってくれ。
そうなれば、俺たちはまた別の景色を見せてくれるんだろう?ってね。

ところが、タイゾーの眼の前に予想もしていなかったやつが現れた。

リサだ。

タイゾーにもリーダーの才能はあると思う。
さっきのショットグラスの儀式だって、お互いの納得をリサに見せる必要があると判断してでの行動だろう。

普通はあんな劇画的な演出は思いついてもしない。

あれは、自分がリーダーの背負うものを引き継ぐと言う覚悟を自分自身に言い聞かせ背水の陣を引いたってことだったんだと思う。

リーダーの背負うもの。それは大きい。
はっきり言って、今のタイゾーにははトールほどうまく耐えることは出来ないかも知れない。

でもリサがいる。

タイゾーの発想の外からの動きは、タイゾーの可能性を更に広げて、仲間を増やし続けていくだろう。

だから、トールはタイゾーのあの儀式を受け入れたんだろう。

リサには今はまだあの儀式の重みみたいなものがわからないかも知れない。
でも、きっとすぐに分かることになる。

仲間ってやつの大切さをさ。

リサ

リサは最初に「葵」に来たときの悩みはトールが辞めると言う話で吹き飛んでしまったんだろう。

リサの悩みは一言で言えば「不安」だった。
具体的に何が困っていると言うわけでもなく、ただ単純に自分の仕事内容に自分自身が納得行っていなかったからだ。

だが、こうして三人が自分の思いの中にある歪を理解したうえであれば、その解決方法は意外とシンプルになる。

トールは今を断ち切ると言う行動に出ようとしている。
タイゾーはトールが見ていた夢のようなものを自分がみる「必要がある」事に気づいたはずだ。
リサは仕事が周りに比べてできている気がしないと言う「不安」は、何かをするためにクリアしなければならない「課題」に形を変えたはずだ。

やることが見えた人間は強い。

そんな風に俺が三人を見ているとママが声をかけてきた。

「また、そんな嬉しそうな顔して」
「ん?そうかい?」
「そうよ。あっちの二人もね」

見るとタカもトムも微笑みながらこっちを見ていた。

そんな表情を見ていたところにトールが話しかけてきた。

「オジサン、いや、田中さん。
あなたには感謝をする。
リサが成長するきっかけを、タイゾーが覚悟をするきっかけを。
そして俺には俺のことを話す勇気を出す場を提供してくれた」

「よしとくれ。
他人様ひとさまに感謝されるような立派な人間じゃあない」

「それでも、ありがとう。
それにもう『他人』じゃないでしょう?」

「まあ………そらそうか」

そんな俺たちを見て全員が微笑んでいる。

「ワンナイトトラブルシューター、お疲れ様」
ママが静かにバーボンを俺のグラスに注いだ。

もちろん俺のキープボトルからね。

see you next Ballad…..


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