自分の本質へたどり着く難しさ
あんたは自分の本質なんてものについて考えたりするかい?
ぶっちゃけ、オッサンになっても自分の本質なんてものを捕まえているって思えたことはないんだよな。
事実上、俺という存在を定義するのは俺じゃなくて回りにいる誰かだもんな。
そんなことを思い出させてくれた記事があったんだ。
読むたびにおもうんだけれど、rikaさんってめちゃくちゃ頭がいいよな。
知識量とかそう言う切り口じゃなくて、単純に思考の階段の登り方が実に効率的なように見える。
そんなことを書いておいて、「おまえはどうなんよ」って言われるとぐうの音もでない。
修行を積み重ねて出来ることじゃないんだよなぁ。この手の頭のよさって。
その意味ではrikaさんの「個性」をキッチリ表現してもらっている記事だと思うんだよ。
読んでみてくれよな。
で、話を戻して自分の本質なんてものをどうやったら捕まえられるんだろう?
今回は自分の本質何て言う青臭いテーマについてオッサンが考える回だ。
一緒に青春取り戻してみようぜ。
本質とはなんなのか
自分の本質ってやつを考える前に、そもも本質ってのはなんなんだ?
なんかnoteのAIはこんな風に答えてくれた。
要するに本質ってのは他人への影響力の源泉だってことを言いたいのかな?
となるとだよ。
俺はどんな影響を回りに与えているんだって話だよな。
………どうなんだっけ?
そんなもん、それこそいろんなヒトの意見を直接聞かないとわかりっこないじゃんか。
俺ごときがいなくても、優秀なやつは優秀でありつづけるだろうし、なんなら、すぐさまこの世界から俺がいなくなっても、大勢に影響はない。
そんな風に考えるのは自然な流れだと思うしね。
じゃあ、俺には本質なるものはないのか?
それはそれで違和感がある。
からっぽのままで生き続けることができるほど、世の中は温くない。
つまり、俺は俺自身になんかしらかの価値を見いだしているってことだよな。
自分で自分を認める難しさ
じゃあ、そのなんかしらかの価値ってのはなんなのかってなるわけだけれども、これがまた難しい。
他人の価値ってのはワリカシシンプルに考えられる。
マスクドナポリタンさんとかなら、ナポリタンという実に絞りこまれた食事に対するブランディングの工夫をやりまくっている印象がある。
オオクボミヒカさんだったら、カメラの仕事をしつつ地方起こし的な要素やアニメファン的な要素を含めた実に多様な活動をなさっている。
Mimiさんは、抜群の英語力をいかして、和装という観点での活動をしたりしている。
そうなんだよなぁ。
自分じゃなくて、周りのヒトならいくらでも誉められる気がするんだよな。
note界隈でもめちゃくちゃしびれるような発信をしているヒトもたくさんいる。
いや、そう考えるとさ。
いよいよ、自分で自分を誉めるってのが難易度高くなってくるんだよな。
無理矢理自分を誉める
それでも無理矢理にでも自分の本質ってのを見極めるために、俺が世の中にどんな価値を提供しているのかってのを捻り出すってのは、たぶん誰にとっても大切なことなんだよな。
なので、恥を忍んで自分を誉めてみるか。
俺はどんな褒め方をされたことがあっただろう?
頭がいい。
シンプルにそんな風に言われたことはあるな。
これは世の中を斜め下から眺め続けた成果ってことなのかもしれない。
育ちがいい。
妻にだけ言われたことだけれど、そんなことも言われたことがある。
こいつは両親兄弟に感謝ってことなのかな。
ただなぁ。
そのどっちも実感はないんだよなぁ。
なあ、あんたはどうだい?
あんたの良いところを世の中に振り撒けているかい?
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