吉野屋の事件について考える
あんたも飲食店でのやらかし動画が次々に事件化されているってのを眺めているかい?
なんか今度は吉野家だってさ。
どうも、SNSでその様子をアップして逮捕ってなったらしい。
確かに紅ショウガを直箸で食べるってのは、微妙なラインかも知らんけれど、やって良いことって認識できるレベルの話じゃない。
しかも、その動機は「オモロイことやってや」というリクエストに答えてのサービス精神ってことなんだよな。
基本自己の利益のためじゃないんだよ。
だとすればだよ。
他者への迷惑ってのと、他者へのサービス精神ってののバランスと言うか境界線が曖昧になっちまってるってことなんだよな。
今回は他者にオモロイってのを届けたい意識と、「それ笑えないから」ってセンスについて考えてみる回だ。
ちっと、オモロイって何なんだって一緒に考えてみようぜ。
吉野家のオモロイ動画
吉野家のオモロイ動画の基本というか元祖っぽい感じがするのってこれだよな。
めちゃくちゃ久しぶりに見たけれど大笑いしちまった。
そうそう、こう言う訳解んないオモロイが求められているんじゃねぇのか?
めちゃくちゃ攻撃しまくっているセリフなのに、共感とも否定とも取れない絶妙な感覚に浸らされてくれる。
しかもゴノレゴ(あえて表記をあわせる)が吉野家に強烈な思いを持っているってのが実にユニークだ。
しかもバーのカウンターにいるような感じに見せつつ、手元の飲み物が吉野家の水にも見えるところが素晴らしい。
こう言うさ。
何とも言えないオモロイを俺たちは今まで作り上げてきたわけじゃんか。
吉野家のオモロイオーダー
他にも吉野家系のオモロイ話はいくつかある。
中でもさっきの動画でも取り上げられていたオーダーのしかたを含めたオモロイサイトもあった。
ねぎだけってオフィシャルオーダーだったんだ。
知らんかった。
ってか肉下って初めて知った。
ニーズって色んなところにあるんだなぁ。
こう言うのがオモロイだと思うんだよな。
確かに店員さんに手間暇かけちゃう話ではあるんだけれどさ。
店員さんとギリ一緒に楽しめるやつだと思うじゃんか。
迷惑動画を「迷惑」だと判断する方法
でだ。
ぶっちゃけね。
ねぎだけオーダーって手間がかかるって意味では迷惑を店員さんにかけるってのはあるわけだ。
かつ、今回の紅ショウガを直箸で食べるってのも迷惑だ。
回転寿司の湯呑ペロペロも醤油差しペロペロも迷惑だ。
でも俺の感覚ではねぎだけオーダーは店員さんと「楽しめる」要素はあると思うのよ。
もちろん昼時のめちゃ繁忙期はあかん気がするけれどさ。
深夜帯でねぎだけオーダーしたら店員さんのニヤリって微笑み合える気がするじゃんか。
俺の中のこの「迷惑」の基準ってなんなんだろう?
まずは衛生面での第三者への攻撃になるかどうかだよな。
たぶん、紅ショウガ直箸ってのは、現行犯じゃないと店員さんが衛生コントロールが出来ないやつだ。湯呑ペロペロも醤油差しペロペロもね。
ただ、衛生面ってことももちろんなんだけれど、店員さんがコントロール出来ないってのが俺の中ではいっちゃん「迷惑」だと思うんだよな。
例えば飲食店で暴力をふるいだすヤツとか迷惑の極みじゃんか。
しかも店員さんがその暴力をどうにかするのって究極的には同じ暴力を行使するしかなくなる。
そうしたら、その店員さんは方で裁かれる対象になっちまうのにだ。
そうなんだよな。
俺にとって「迷惑」ってのは「暴力」になっているのかどうかってことなのかもしれない。
ではどうやって自分の行動が「暴力」ではないと判断出来るのか?
ねぎだけは「暴力」ではないとどうして感じるんだ?
あ、そうか。
俺はその場にいるヒトが全部「オモロイ」って思えるかどうかで線引しているんかもしれない。
昼時のねぎだけオーダーはみんなでは笑えない。
でも深夜のねぎだけオーダーはみんなで笑える気がする。
でも、紅ショウガ直箸はどんなタイミングでもみんなでは笑えない。
湯呑ペロペロも醤油差しペロペロもどんなタイミングでもみんなでは笑えない。
おかしいよな。
俺たちはみんなに笑って欲しくっていろんな発信をしてるはずじゃんか。
なあ、あんたはどう思う?
みんなが笑顔になるための発信で誰かを不幸にしちまうことをどうしたら俺たちは意識できるんだろう?
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