見出し画像

[小説][バラッド]-序章-⑧

歌えないオッサンのバラッド
-序章-⑧


リサのその尋常じゃない様子を見て、場の空気が一気に変わった。

「けが人か?」
短くトムが問いかける。

「すぐそこで、私をかばって、私の代わりに怪我をして、それで、それで……」

明らかに狼狽しているリサを見てママがリサの方に手をやって優しく問いかける。

「その人は今どこ?」
「もうすぐここに来ます。
そうだ、氷のう。氷のうって作れますか?
橘さん捻挫してしまって、応急処置に捻挫を冷やしたほうが良いだろうって」
「分かったわ。今用意するからリサちゃんは悪いけれど、そこのソファーにガラスの破片とか残っていないかチェックしてくれる?」
「わかりました!!」
その返事を聞いて、カウンターの下にしまってあったであろうハンディタイプの掃除機をリサにわたす。

なんつーか、さすがママだよな。
パニックを起こした人間には単純作業をさせるのがパニックからの立ち直りに効果的だもな。
行動療法ってやつだ。

リサは一つも見逃すまいと念入りに掃除機でソファーや椅子を吸っている。
しかし、橘ってリサの先輩だろ?
こっちに向かっている途中に事故に巻き込まれたってわけだ。
しかもリサをかばっての負傷か。
こいつが吉と出るか、凶と出るか。
博打だな。

そうこうしているうちに、風間と橘が店のドアを開けて入ってきた。
カランコロンと言う音はもういつもどおりの音に戻っているようだ。

「いらっしゃい。話はリサちゃんから聞いたわ。
いま氷のうもっていくからね」

「お手数をおかけします」
そう答えたのは、橘ではなく風間の方だった。
部屋の明かりで見ると、まあまあ痛そうな表情を浮かべる橘。

「リサちゃん、そこの小さな椅子を持ってきて、ソファーに座ってもらってからくじいた方の足をその椅子の上に乗せて」
言われるがままに動くリサ。

俺は小声でタカに話した。
「今日はこんなんじゃ、話ってわけには行かないだろうな」
「いやそうでも無さそうだぜ」
一瞬怪訝に思ったが俺は状況を理解した。
「……変わってないってことか?」
「ああ、橘は多少痛みのせいもあって乱れているが、風間ってやつのはまるで凪いだ海ってところだ。静かすぎておっかないくらいだぜ」

「今夜は地震騒ぎでお客さんどころじゃない気がするから、しばらくそこで休んでいってくださいな」
ママがいつもの優しい口調で橘に語りかけているのが見える。

さて、どんな風に話が始まることやら。

「ありがとうございます。こちらでも地震の被害は出てしまいましたか?」
教科書に載っているくらいの社交辞令だ。

「ご心配なく。そこの誰かさんのキープボトルが落ちて割れちゃったくらいかな」
イジワルな女だなぁ。
でもリサの表情もこころなしか和らいだ気もする。
うん、ピエロクラウン役も悪かあない。

「で、話ってのは何なんだい?」

最初に口火を切ったのは意外にも橘だった。
ママが用意した簡易的な氷のうを足首に乗せながら話を始めた。

なるほど、流石にリサを見出した男ってだけのことはあるみたいだ。

「当ててやろうか。小泉。お前、自分がみんなの足を引っ張っていると思ってんだろ?」

単刀直入ってのはこのためにある言葉である気すらした。
無遠慮にリサにとっての核心を突いてくる。
その横で小泉は3人分の飲み物を注文しているみたいだ。

少し驚いたのは、リサのための注文を迷うこと無くジントニックで注文している風間だった。

「なるほど、風間って御仁は普段から周囲の奴らを見ているんだな」
トムがひとりごちる。
「俺なんか顔と名前が一致しないことも多いのになぁ」
とタカ。
いやいやいや、タカさんよ。
それで探偵務まんのかよ。

と心のなかでツッコミを入れていた頃、リサは困惑していた。
やっぱり自分は今の仕事には不要だって言われたも同然だって顔をしている。

「………はい」

一言。その一言だけを絞り出すのが今のリサには精一杯だった。

「なんでそう思うんだ?」
今度は風間が口を開いた。
こいつの人となりはまだなんにも分かっていないが、この冷たい口調で喋られたら追い詰められるのも無理はないとも思った。

「例えば、私が作った顧客へのプレゼン資料も、ご自分で直してしまえば5分とかからない様な修正も、あえて私に指示してくださっています。
最近、思うんです。
このミスは防げたってことが増えてきているって」

「なるほど。なら小泉はどうしたい?」
今度は橘だ。
この会話に置いて、1対2の構図はよろしく無い。
このままじゃ、リサが叱られて終わりってなっちまう。

「出番だぜ」
トムとタカが同時に俺に向かって言った。

いや、全くもってその通りなんだけれども、気楽に行ってくれるぜ。ホント。

「ママ、新しいボトルキープをしてくれ。I.W.ハーパーで」
「はい」
ママはボトルと何も言わずにグラスを4つ風間たちのいるテーブルに運ぶ。

「一杯奢るよ。お近づきの印にね」

俺は風間たちのソファーの方に歩いていった。突然の珍客に多少驚いたような表情を浮かべたが、すぐに冷静になって風間が尋ねる。

「どの様なご要件で?」
「いや、ご要件ってほどのことじゃないかも知れないんだけれどさ。
今の話の流れじゃ、リサちゃんの本音ってところにたどり着けない気がしちまったからさ。
何の利害関係もない俺が挟まったほうが下手に『仕事』に偏った話にしないで済む気がしてね」

風間も橘もリサも俺を見ていた。
まだ、酔っ払いが絡んできたってのとは違う様に受け取ってくれたみたいだ。

「お願いします」
そう言ったのはリサだった。
やっぱりこの子は頭の回転が早い。

俺は4つのグラスにハーパーを流し込んで各人の前に差し出した。

「今夜の出会いに……」
チンと乾いたような音が「葵」の中に響いた。

つづく


お知らせ


しこうのおと
しこうのおと

この記事は香坂兼人のメンバーシップ専用記事です。
通常、この記事をご購入いただくことで、全文をお読みいただけますが、序章に限り有料記事ではありますが無料で全文を読めるようにしています。
なお、メンバーシップ「しこうのおと」に参加いただければ2記事分の月額費用で読み放題となっております。

ご興味のある方はぜひ「しこうのおと」にご参加ください。

ここから先は

0字

スタンダード

¥600 / 月
初月無料
このメンバーシップの詳細

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?