情報と感情
あんたはALPS処理水の海洋放出に伴って、全く因果関係のない飲食店に抗議の電話が来たってニュース見たかい?
俺の第一印象としては「なんでラーメン屋に?」だったんだよな。
記事を読んでみると「会津ラーメン」を看板にしている埼玉のラーメン屋さんらしい。
で、抗議の電話をしてきたヒトは中国からの国際電話でかけてきたらしい。
しかも、内容は抗議というよりは悪口って感じみたいだ。
国際電話料金支払ってまで直接関係のない飲食店に罵詈雑言を残したいって感覚ってことなんだよな。
少なくとも、その電話主には自分なりの正義ってのがあったってことなのかもしれないと思う。
今回はこの「抗議電話」の動機について想像をしてみる回だ。
ちっとこの電話主の気持ちってのを考えてみようぜ。
電話主の根本的主張
まずもって、電話主の意見の根っこは何なのか?
まあ、ALPS処理水の海洋放出がイクナイってことだと思うよな。
なんでイクナイって思ったのか。
たぶん普段触れている報道だったりネットだったりの情報が元なんだと思うんだよ。
言い換えれば普段触れている情報が原因ってわけだ。
いや、ぶっちゃけね。
日本人だってALPS処理水の海洋放出大丈夫なんか?って思うヒトはそれなりにいると思うわけよ。
だって、自分で調べに行かないとALPS処理水がどうやって安全性を高めているのかとかIAEA(国際原子力機関)の基準を満たしているとか捕まえられないもん。
そもそもALPS処理水って課題について思いを馳せることもないヒトなんていくらでもいると思うんだよな。
日本ですらそうなんだから、中国ではもっとそうなんだろう。
ってか、たぶん日常的な報道でALPS処理水じゃなくて「汚染水」って表現にさらされているわけだもんな。
中国で海洋放出されている処理水のトリチウム濃度が福島の海洋放出されている処理水の濃度の6.5倍あるって話も出ているけれど、たぶん電話主にはその情報は届いていないんだろうな。
これはさ。
電話主のヒトのことを「情弱」みたいなレッテルを貼りたいわけじゃないんだよ。
単純にヒトってのは「見たい情報」しか見ることが出来ないって現実を捕まえに行きたいわけだ。
ネットという情報源
俺たちが手にすることが出来る情報ってさ、テレビや雑誌を始めとするマスメディアとネットによる情報だよな。
ネットに関してはニュースサイトみたいなワリカシ裏とりをしている情報もあるだろうし、SNSみたいな口コミみたいな情報もある。
一昔前の井戸端会議みたいなものがSNSに置き換わって行っている感じにも見えるよな。
ぶっちゃけ、マスメディアから流れてくる情報量ってのはそんなに変化は無いような気がするんだよ。
放送時間や紙面のページ数みたいな制約は昔からあんま変わってないからね。
それに対してネットの情報量増加はえげつないことになっている。
ネットが無かった頃のご近所の井戸端会議の何万倍もの情報が流れているわけじゃんか。※倍数は適当
必然的にネットの情報については取捨選択をする必要性が出てくる。
だって、そんな巨大な情報を俺たちは処理出来ないもんよ。
その必要性に対応するために俺たちは「検索」と言う手段をとってきた。
この時点で俺たちは「見たいものしか見ることが出来ない」って状態にさらされているってわけだ。
なんでって?
見たいものじゃないと検索しないべ?
さらにSNSで流通されている情報は別の意味を持っている。
検索するまでもなく「オマイこれスキだべ?」って情報が流れてくる。
それが広告だろうが個人の意見だろうがお構いなしにだ。
電話主と言う存在を作り上げたもの
いや、そう考えるとさ。
この「抗議電話」をした電話主さんがさらされている状況ってのもあると思うんだよな。
何が言いたいのかって?
この電話主さんは「スキ」を自分の意思で選択出来ない状態なんじゃないかってことだ。
そして、同時に俺たちも「スキ」を選択できないって現実もだな。
しかも意味がわからないことに、この「スキ」をコントロールしているヒトはたぶん存在しないってことだ。
我慢ならんと思わんか?
俺たちはどこの誰ともわからない何かに「いがみ合う」って状況に追い込まれているんだぜ?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは身の回りにある情報ってのをどう捉えていけば良いんだ?