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願いと思いと俺たちの行動

あんたもなにかのイベントで感動した記憶ってのがあるかい?

俺は最近知ったイベントに「流れ星新幹線」ってのがある。
2021年3月14日に行われたイベントだったそうだ。
そのイベントが行われたときには俺の低めのアンテナには引っかかってこなかったんだよね。

場所は九州新幹線。
そう、ここんところ毎年のように豪雨被害が起きている九州だ。

流れ星新幹線には多くの願い事が車体にプリントされた状態で九州を縦断したんだそうだ。

今回はこの流れ星新幹線ってイベントについて俺が感じたことを記録しておこうって回だ。

ヒトの思いってやつについて、ちょっと感情を動かしてみようぜ。

願いを乗せた新幹線

流れ星新幹線には、募集された多くの願いが印字されていたそうだ。

3年3組のみんなの未来が輝きますように。

みんなが健康でありますように

そう言う多くの利他愛の願い事が記されていたらしい。

そんな中で、俺の涙腺を刺激しまくった「願い事」があったんだ。

最期に会いに行けなくてごめん、じいちゃん

……もぉさ、絶対泣いちゃうやつじゃんか。
願い事の中で、「願い」ではなく「祈り」を入れている意味って、ものすごいでかい気がするんだよ。

流れ星に乗って、あの世にいるじいちゃんにむかって語りかける。
なんたる思いなんだろう。
そして、その思いを形にした流れ星新幹線ってのはものすごいイベントだよな。

九州豪雨で被害を受けたヒトにとっての願いの意味

ぶっちゃけ思うんだけれども、九州の豪雨被害ってのは、地球温暖化を象徴する出来事だと思うんだ。

ただでさえ地震と台風という自然災害に襲われまくっている日本という場所において、自然というのは畏怖すべき存在だってのはものすごく根っこにある感覚だと思うんだよね。

東日本大震災もそうだし、阪神淡路大震災もそうだし、なんなら関東大震災もそうだ。
俺たち日本に住まうものは、地震や気象災害と生活を分割することは出来ない。

その中で、九州の気象災害はここ数年で記録を塗り替え続けている。

観光地でも、その気象災害によって、多くの人々が働く場を奪われたままになっているってのが現実として起きている。

そう言う現実を目の当たりにした人々が目にする「流れ星新幹線」に刻まれた願い。

それは、ものすごく多くのヒトに意味を授けていたような気がするんだよね。

ヒトの思いを見える化する意味

そう言う祈りだとか願いだとかってのはびっくりするくらいに日常の中では考えることがない。

ニーズだとか売上だとかは嫌ってほど考えるけれどね。

純粋に誰かの思いが叶うことに対する喜びを俺たち一人ひとりは確実に持っているってのは現実だと思う。
でも、俺たちのそう言う思いってのは、日々の現実の中で流されていかざるを得ないってのもリアルだよな。

でもさ、俺たちの思いと現実の利害関係ってのを結びつける方法って本当にないんだろうか?

そう考えてみると、この「流れ星新幹線」って言うイベントはその2つを結びつけたものだったんじゃないかって思うんだ。

思いと利害関係ってのは工夫次第で結びつけることが出来るってことを「流れ星新幹線」は示してくれたって思うんだよね。

そんなの、ほんの一握りのことだろって?
そうでもなくねぇか?

アポロが宇宙を駆ける映像を見て、夢を感じたヒトは多くいたと思う。
サハラ砂漠を緑化するために生活ゴミを活用したって話を聞いても同じだ。

俺たちが抱えている「願い」や「祈り」が誰かの幸せにつながるってことは起きうるんだよな。

その前提で「流れ星新幹線」に乗せられた思いについて考えてみる。

多分、その思いが言葉にされた段階では、その思いは誰かの幸せに直接つながることはない。

でもだよ。

俺たちはその思いを幸せにつなげることが出来る。

それは今までの歴史が真実だってことを示してくれている。
ただ、そのつなげ方ってやつが今この瞬間と今までの歴史で同じとは限らないってだけなんだ。

なら、俺たちはどうすれば良いのか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは今の俺たちの幸せのために、多くの祈りをどうやって現実の幸せにつなげることが出来るんだろうな?

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