田村正和さんから引き継ぐもの
あんたも好きな俳優っているかい?
俳優の田村正和さんが亡くなったってニュースが俺のもとにも流れてきた。
好きな俳優さんであることは間違いないんだけれども、そのことを聞いて俺には驚くべき感情が浮かび上がった。
涙が止まらないんだ。
他にも好きな俳優さんはいくらでもいると思っているんだ。
でもさ、田村正和さんという存在がいなくなるってことをリアルに想像したときに、俺はビックリするくらいの感情の波に飲み込まれてしまったんだ。
田村正和さんの大ファンってわけでもない俺がこんな風になるとは思っていなかったんだよ。
今回はこの悲しみについて考えてみる回だ。
ちっと俺の感情の動きの振り返りに付き合ってくれよな。
田村正和さんという人物
田村正和さんといえば、俺の中では古畑任三郎のイメージがものすごく大きい。
個性的な刑事が難事件を解決していく、派手なアクションをしない推理モノのドラマだ。
広い意味では安楽椅子探偵ものってことになるのかな?
この中で、田村正和さん演じる古畑任三郎は終始感情を表に出さずに犯人を追い込んでいく様が往年の名作刑事コロンボを彷彿とさせつつ、その独特なキャラクターがオリジナリティを発揮している作品だ。
もしあんたが見たことないってんなら絶対のおすすめだ。
で、この古畑任三郎はさっきも書いた通り感情を表に出さない。
その飄々とした表情の中に自分の感情を押し込めたまま世界と接している。
ところが、自分の記憶している中で唯一感情を表に出すシーンが有る。
木村拓哉さん演じる犯人の林の犯行動機を古畑任三郎が知ったときだ。
その理不尽な動機を知って古畑任三郎は林を平手打ちして「連れて行け」と短く言う。
このシーンに俺の中の田村正和さんという人物に対するイメージが凝縮されているような気がしているんだよ。
もちろん役柄の演出だし、田村正和さんと直接やり取りをしたことがあるわけじゃないから人物評価なんてできない。
俺の一方的なイメージでしかないんだけれどさ。
平手打ちが印象に残っている理由
なんで林が平手打ちされるシーンがこんなにも鮮明に俺の中に残っているんだろう?
改めてそこを考えてみると、俺が田村正和さんが亡くなったと聞いたときに涙が溢れてきた理由につながる気がしたんだ。
林を演じる木村拓哉さんは俺と同い年。
田村正和さんは1943年生まれで俺の親の世代とほぼ同じ。
この古畑任三郎の第二シーズンをやっていたのがざっくり25年前だから木村拓哉さんは当時20代中盤ってわけだ。
田村正和さんはアラフィフ。正に今の俺たちの年代が若者に平手打ちで感情を込めながら「叱る」シーンってわけだ。
多分だけれども、このシーンに俺は親子関係のようなものを感じているんだと思う。
我が家の息子はまだまだ小学生で人格形成の真っ只中だ。
親と違う意見を理路整然と言ってくるような技量はまだ身につけていないし、本人も親と自分の違いみたいなものを言葉として形にすることもまだしていないように見える。
息子が「若者」になる頃、俺は老人になっている。
いや、そもそも生きていられるのか?
俺は若者となった息子が何か間違ったときに「叱って」やれるのか?
田村正和さんが亡くなられたと知ったときに真っ先に思い浮かんだ古畑任三郎が平手打ちをするシーン。
あのときの古畑任三郎と同じ世代になっている自分。
そんな重なりを感じたとき、俺の目から涙がこぼれた。
田村正和さんが亡くなられたというニュースから俺が勝手に感じたことなんだ。
それでも感じてしまった。
「次はお前らだ」
おこがましいとは思う。
分不相応だとおも思う。
でもさ。
俺たちは今、生きているんだ。
死者に意味をもたせることが出来るのは生者なんだ。
田村正和さんのご冥福をお祈りします。
なあ、あんたはどうだい?
俺たちは今の時代を引き継いで行くために何が出来るんだろう?
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