見出し画像

声優さん役者さんが亡くなる経験

あんたもサザエさんのタラちゃん役の声優さんの最後のセリフのニュース見たかい?

いやさ。
俺が生きている時間よりも長くタラちゃんという誰からも無条件で受け入れられるキャラクターを演じていたわけじゃんか。

普通に考えてあり得ねぇんだよ。

ドラえもんみたいな作品でも、声優さんの代替わりは起きているわけだ。
たぶん、サザエさんを演じていらっしゃるかたにも相当のプレッシャーがかかっていると思う。

今回は声優さんが抱え込んでくれている俺たちの期待について考えてみる回だ。

ちっと、この悲しみが将来の俺たちに降りかかることを想像しておこうぜ。

たとえばルパン三世

サザエさんみたいな長寿番組でまず思い付くのはルパン三世だよな。

作者のモンキーパンチさんがお亡くなりになっても変わらずに作品は生む続けられている。

ルパン三世といえば、声優さんが結構変わっているってので話題になっているよな。
初代から変わらず声優をつとめていた次元大介役の小林清志さんなんかめちゃくちゃ印象に残ってるよな。

次元大介の声のヒトが亡くなられたってのは結構なショックを俺に与えたんだよな。
しかも、ワリカシその直前まで次元大介を演じられていたところを自ら引退を決意なさってたってのが更に何かを感じさせるわけじゃんか。

たとえばドラえもん

他にもさっき触れたドラえもんなら大山のぶ代さんなんて認知症をわずわられたってのはめちゃくちゃショックだった。

認知症以外のお体の状態は健康ということで、そこは喜ばしいけれども、旦那様の葬儀に参列できなかったッてのは実になんか感じることがあるよな。

大山のぶ代さんのドラえもんの声ってのは今や子どもたちに印象は薄いのかもしれないけれど、それでも映像配信を前提としたコンテンツの楽しみ方みたいなのが一般化しているってことを考えると、今の子どもたちも大山のぶ代さんの声を堪能できる環境にあるんだよな。

コンテンツが生き残り続ける世界観

そんなルパンだったりドラえもんだったりだよ。

そう言う永遠に続くんじゃないかってコンテンツって一定数あるじゃんか。
しかも動画配信って仕組みが出来てきて、昔のコンテンツを含めて子どもたちも大人たちもずっとその作品を楽しみ続ける事が出来る環境があるわけなんだよな。

それは言い換えれば、子どもも大人もいつ何時、そのコンテンツの続編が同じ声で描かれないって状況がくるかわかったもんじゃないってことなんだよな。

作品そのものは俺たちを楽しませ続けてくれる。
でもそれの続きが描かれる保証はどこにもない。

それは実写映画の役者さんもそうだよな。

三浦春馬さんも竹内結子さんも。
他にだっていくらでも失われた名優はいると思う。

それでもそんな名優たちが作り上げた作品なんて枚挙にいとまがない。

そんな作品を見るたびに、俺たちは喪失感に襲われるってわけだ。
大人も子どもも。

そして、コンテンツは昔と比べたらものすごいクオリティで保存されているので、あたかもリアルタイムで放映されているが如くに俺たちに影響を与えつづける。

これさ。
地味にエグいよな。

自分たちが喪失したことを感じ続けるってこと

ぶっちゃけて言えば、タラちゃんも次元大介もドラえもんも次世代の声優さんが引き継いでくれているので、俺たちはコンテンツってことでは喪失をそれほど感じていないと思う。

ただ、俺のイメージのタラちゃんはあの声だし、次元大介もあの声だし、ドラえもんは未だにあの声なんだよな。

いや、新しい声優さんの能力は抜群だと思う。
これは単純に俺の思い出の話ってだけだ。

でも、声優さんだって人間だ。
永遠に生きられるわけじゃない。

ただシンプルに、今の子どもたちは思い出の声との別れってのを俺たちオッサンの世代よりも多く経験するんじゃないかって思うだけなんだ。

コンテンツの劣化が配信サービスによってほぼない状況では、「え?ここから声が変わってる?」とか感じることって増えそうじゃんか。

今の子どもたちは俺たちが経験していない喪失の感覚を覚えるってわけだ。

なあ、あんたはどう思う?

そんな子どもたちの喪失感に大人はどう寄り添っていけば良いんだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?