過去の取説
あんたにとっての「過去」って何だい?
改めてそんなことを聞かれると、俺なんかは「よくわからんけれど、それなりに頑張って、それなりに楽しんで、それなりに泣いて、それなりに怒って、そして笑ってきたよ」くらいの言葉でお茶を濁しちまう気がする。
何か言っているようで、何も言ってない感じだな。
そんなん誰だって同じだと思うしね。
なんで「過去」なんてキーワードを思いついたかっていうと、こんなニュースを見たからなんだ。
俺のnoteでは何度となく俺が山口達也さんのファンだってのを書いているから、この高沢悠子さんのこの言葉に脊髄反射的に感情が動いちまったってのは、まあ自然っちゃあ自然な成り行きだと思う。
ただ、その感情がなんとなく収まったうえでこの「史上最悪な言葉」ってのを眺めなおしてみると、「はて」と考える要素があるんじゃないかって思い始めたんだよね。
今回は「過去」という言葉が俺たちに与えているものについて考えてみる回だ。
ちっとこの言葉が俺たちの中でどんな形になっているかを考えてみようぜ。
高沢悠子さんという御仁
山口達也さんのファンと言い切っておいてなんだが、この元奥さんである高沢悠子さんのことはほとんど知らないんだよね。
おおう、Wikipediaに項目がない。
なんか間違っているのかな?
元レースクイーンとかあいのりに出ていたとか、ある程度世の中に打って出た御仁だと思うんだけれど、何か意図的にそうしているのかな?
さっきのニュースについてご本人は誤解を招いたってことを発信なさっているご様子。
ふうむ。なるほど。
そもそも売名行為だとは微塵も思わなかったけれど、そういう声が届いているってことなんだなぁ。
まあ、そんな感じの発信をするヒトもいるかもな。
高沢悠子さんが主張したかったのは過去の自分を否定する正当性ってことなんだよね?きっと。
オッサンは悲しいと思った
上のブログの中では「こだわり=過去」という表現ののちに、こんな表現があったんだよ。
これさ。
読ませてもらっておいて、なんだけれど。
実に悲しいな。
間違いなく、今の自分を作り上げたのは「過去」なのに、それを壊し続けないと新しい世界を見ることが出来ない。
そのことそのものについても、俺自身は懐疑的だけれど、何より「壊す」というストレスの先にしか世界は見えないって言っているわけだ。
何が悲しいって多分それを本気で信じているわけじゃんか。
それほど、消し難いほどのつらい記憶があるって意味じゃんか。
そして、その言葉に共感するヒトがある程度の数いて、それで商売が成り立っているってことなんだろう?
過去は壊すのではなくて
じゃあ、この「過去は壊すべきだ」という価値観に共感しているヒトに向けてだ。
悲しく思っちまったオッサンの言葉なんつーのは届きようがないんだろうか?
まあ、届かないってのが現実なんだろうな。
いくら俺が「過去は壊さないで肥やしにしといた方が良くね?」とか言っても、「それはあんたが悲惨な思いを経験していないからだ!」って思われるだろうしね。
でもなぁ。
過去を悲惨だと感じているのは今の自分なんだよな。
そして、今の自分は過去の体験で作り上げられている。
そう考えると過去を壊すってのは少なからず今の自分の何かを壊すことになる。
その壊す部分が自分にとって嫌な部分だとしても、それを「嫌だ」って感じているのは今の自分であって、未来の自分じゃないんだよな。
壊すという行動。
守るという行動。
一番ダメなのは何もしないってことだとは思う。
その前提で考えたときに、壊すを選択する。
そのことに未来の自分は納得できるんだろうか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちが後悔を出来るだけ減らしていくための選択は、どうやってつかみ取ればいいんだろうな?
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