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「右翼」「左翼」という言葉

あんたはどこかの政党の政策に魅力を感じたり、嫌悪感を抱いたりという感情が湧き上がることってあるかい?

実際、この色んな意味で課題がある世界観の中で、更にネットによってその課題に対する多くの感覚がシェアされることで、より政策が感情に刺激を与えることが多くなってきていると思うんだよね。

当然刺激された感情にもとづいて起こされる行動は、実に排他的な動きに見えることもある。

とある意見に対して、名前をつけて批判するってあれだ。

今回は改めていろんなレッテルについて調べてみる回だ。

ちっと俺たちの感情を刺激する言葉について考えてみようぜ。

「右翼」「左翼」という言葉

よく「ネトウヨ」とか言う言葉を聞いたりするじゃんか。

なんか、Twitterとかでイキった意見に対して使われる言葉のような印象があるけれど、実際のところ「右翼」と「左翼」って何?って聞かれるとちゃんと言語化出来ない気がするんだ。

イメージ的にはこんな感じ。

右翼=国とか故郷を大事にするヒト
左翼=個人を大事にするヒト

という俺の感覚を披露してるだけじゃ、あんまり意味を産まないので困ったときのWikipedia先生だ。

現代の政治的な用法では、「左」は典型的には労働者への支援を主張し、「右」による上流階級の利益への支援を批判する。他方、「右」は典型的には個人主義(経済的な自由主義)への支持を主張し、「左」による集産主義への支援を批判する。

出典:Wikipedia

……あり?
俺の印象と逆っぽいことが書いてあるぞ。

右が個人主義で、左が集産主義って書いてある。

ってか集産主義って何よ?

集産主義(しゅうさんしゅぎ、英語: Collectivism)とは、国家生産手段などの集約化・計画化・統制化を行う経済思想または経済体制である。類義語として、社会主義ファシズムなどがある。経済以外の用語については集団主義を参照。

出典:Wikipedia

この説明を受けて考えるとこうなるのかな?

右翼=みんなが幸せになるのが大事
左翼=みんなで幸せになるのが大事

……この考え方で行くと、俺は左翼なのかな?
でも天皇陛下のこと好きなんだよな。
天皇陛下を好きなヒトって右翼なんじゃないの?

言葉によるレッテル

こう見るとさ。

右翼だとか左翼だとかって実に定義が曖昧って言うか、使い方がめちゃくちゃ難しい言葉なんだな。

多分だけれども、上に書いたような言葉の定義に従って右翼とか左翼とかって言葉を使っているヒトってレアなんじゃんか?

要するに価値観の話なはずなんだけれども、俺のイメージでは右翼とか左翼とかって「誰かを非難するときに使う言葉」なんだよな。

「ネトウヨが」とか「パヨクはよ」とか。

右翼と左翼ってのはフランス議会での座っている位置が語源だそうだけれども、要するに政治って言う「どうやってみんなを幸せにするか」って言う考え方の違いなはずなんだよな。

「幸せ」を望んでいるのは誰でも変わらないのに。

逆に右翼と左翼って言葉でグループが団結しているって話は聞いたことがない。

あんたも「俺たち右翼仲間だもんな」なんて聞いたこと無いべ?

「敵」による団結

なんで、こんなに悲しい言葉が生まれてしまったんだろう?

さっきも書いた通り歴史的にはフランス議会が起源らしいけれど、それでもただの座っている位置が元の言葉がなんでこんなに生き延びたんだ?

おそらくは俺たちヒトは「敵」を求めているんじゃないか?

ヒトという生き物は認知革命によって協力という特殊能力を手に入れて、この地球上での繁栄を手に入れた。

そして、その協力のために必要なもの。それが虚構だ。

国だったり宗教だったりという虚構だ。

そして、その国や宗教を成立させるために重要な虚構がある。
それが「敵」という抵抗勢力だと思うんだよね。

別の言い方なら「俺ら」と「あいつら」って概念って言えるかもしれない。

この「あいつら」を表現する言葉。
その役割として「右翼」と「左翼」ってのはうってつけだったってことだったのかもしれないな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはどうやって「あいつら」という呪縛から離れられるんだろうな?

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