両親と子ども
あんたは見ず知らずのヒトの子どもを預かるなんて経験をしたことがあるかい?
こんな記事を読んだんだよ。
要約すると、フードコートに家族で来てたんだけれど、旦那さんが自分のが出来たってんで呼ばれたっきり返ってこない。
そこに母親の分の呼び出しがかかって、子どもを抱えたまま食事を受け取るのは難しい。
やむなく周りのヒトに子どもを見ておいてくれとお願いしたら、快く引き受けてくれて、その絶妙な距離感に感動したってことらしい。
いくら治安が良いとは言え、見ず知らずのヒトに自分の子どもを預けるってのは苦渋の選択ってやつだったと思う。
いや、でもさ。
想定することを怠ってないか?これ。
確かに子どもの生育時期によっては、いろんなトラブルは起きるさ。
そのことを受け止めた隣のヒトの人格は素晴らしい。
今回は子どもを育てるってことを想定する回だ。
この難行について改めて考えておこうぜ。
母親の行動を考える
大前提としてだ。
自分の子どもを見ず知らずの他人に預けるってのは、あんまり取られる手段ではないと思うんだよな。
村中みんな知り合いみたいな環境なら良いかも知らんけれど。
今の都市圏では「みんな知り合い」なんて環境つくれっこないじゃん。
俺なんてぶっちゃけ斜向いのご家族の名前と顔すら一致しないぞ。
#コミュ障
あ、そう言えば斜向かいのご主人のヴァイオリンが最近聞こえてこない。
ご体調を崩されているんだろうか。
ううむ。
で、話が壮大にそれたけれど、あんたなら自分の子どもを見ず知らずのヒトに短時間とは言え預けるって判断を出来るか?
まあ、難しいよな。
ここで間違ってほしくないのは、俺はこの母親のヒトを否定したいってわけじゃないってことだ。
むしろヒトを信じるという最も根源的なことをやってのけたヒトだって感じるんだよな。
母親はなぜ待てなかったか
いや、でも冷静に考えてだよ。
そんな巨大なリスクを抱えてまでフードコートで食事を取りに行くか?
待つんじゃね?父親の帰りを。
実際フードコートなんてところで食事するのに、父親というお守りみたいな存在を連れてきているんだしさ。
なんなら父親に「一旦戻ってこれる?」と電話なりなんなりすることは出来たんじゃないか?
そしたら、少なくとも父親がどういう状況かという情報は手に入れる事が出来て、その情報を根拠に待つことだって出来ただろうに。
まあ、フードコートの喧騒の中で電話のコールに気づかないとかは普通にあるとは思うけれどね。
実態としてはそういう事を考える余裕もない状況だったってことなんだろうな。
子どもという理不尽の塊を抱えているんだから。
母親の役割
母親ってさ。
機械じゃないじゃん。
まあ父親もそうだけれども、子どもという理不尽の塊みたいな存在と相対しているのは母親のケースが多いと思う。
乳幼児のときは特にね。
何しろ理屈なんてものの存在を認識できていないんだから。
そこで、母親の出番だ。
母親は理屈なんてものをすっ飛ばして子どもを愛することが出来る事が多いい。
なんつっても文字通り身を分けた存在なんだからね。
あ、でも養子を取ったケースでも「まず母親が」ってイメージはあるな。
こうなってくるとヒトという生き物が本能的に女性が子孫を紡ぐってのを組み込まれているって感じちまうよな。
理不尽を理不尽のままに受け入れる存在。
それが母親ってわけだ。
これは理不尽に対して理不尽で答えることを含めてね(笑)。
父親の役割
じゃあ、父親の役割は何なんだ?
前にも書いたけれど、中ボスだと思うんだよ。
RPGで言う「倒すことが目的になる最初の敵」ってやつだ。
これは男の子でも女の子でも変わりない気がする。
男の子にとっては、シンプルに超えるべき目標だし、女の子にとっては世界と自分を隔てる存在って感じかもしれない。
どっちにしても「倒される」ことが前提の存在なんだよな。
なら、せめて小ボスにならないように出来るだけデカい壁になっていくのが父親の役割ってことかもな。
子どもが理不尽の塊から理屈に縛られた世界に浸されたときに分かりやすく立ちはだかる壁ってわけだ。
こりゃ困ったね。
どうしたら父親は子どもから愛される事が出来るんだ?
なあ、あんたはどう思う?
子どものために。
子どもからの愛。
この両方を手に入れるために両親は何が出来ると思う?
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