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実家へ 続編#07 コロナ禍の「またね」


こんどう治療室です

実家は既に誰も居ない家になってしまっていたので。 続編と称して気持ちの整理の為に書きます。

父が亡くなりました。
老衰でした。享年80歳 大往生とは言えないかもしれないけれど、消化器の癌も綺麗に治って再発無し!熱中症から肝機能障害起こしても血清の点滴治療で見事な復活を果たし!骨盤骨折も骨粗鬆症の割にはちゃんと完治した!どこも悪いところなく痛くも苦しくもない!何も欲しいものも、見たいものも、食べたいものもない!と言っていたので まずまずの往生ではないですか?父よ。

兄家族とうちの家族のみの「家族葬」コロナ禍で当たり前になったこじんまりとした葬儀は、
時間もゆっくりで内うちの話を出来て、話をしながら家族の死というものを受け入れられている確認ができて尊い時間でした。
心穏やかだった。


         ☆☆☆

ちょうど1週間前の日曜日の朝、兄から電話。
父さんが弱ってきたらしいから、兎に角行って様子を知らせるよ。

そのまた10日ほど前に、食事も水も口からは無理になり点滴で水分補給。
新型コロナ蔓延防止策がはられてから面会はオンラインのみになっていた。
いよいよの時には会えるから。と聞いていた。
えっ?いよいよって「危篤」って事なんじゃないの?
オンラインで会う父は、入れ歯なしでモゴモゴと何やら職員さんに冗談を言っているらしかったが、こちらからは聞き取れず。
私が自分の名前を呼びかけると目を見開いて画面に注目してくれた。
ベッドを起こしてしばらくすると、腰が痛い!と職員さんにベッドを横にしてもらう。
ほんの10分程のオンライン面会。
でも、まだまだ。
まだまだ大丈夫と思っていた。否、思いたかった。

兄が施設に呼ばれた。
呼ばれるってことは?何て事でしょう!
「チチ キトク ハヤク カエレ」ってあれじゃないの? あら。私ったら、子供の習い事の送迎どころじゃないじゃない。
下の娘の習い事のキャンセルの電話をして、オンラインでアルバイト中の上の娘には家を出てからLINEで連絡。兎に角行かなくちゃ。
会いに行かなくちゃ。

兄家族の住む町にある施設。
病院が経営している施設で、24時間医療が受けられる。元々が緩和ケアの施設ということもあり、看取りの体制がスペシャルなので驚いた。
両親の住むところからは少し離れたが、母は認知でグループホームに入所しているし実家に近い必要はなく、兄夫婦が何かにつけ施設に寄ってくれるのにありがたい距離だった。

兄と一緒に父の部屋を訪れた。
消毒だけでなく、マスクの上にフェイスシールド。防護服的なビニールで身を覆い、手袋。
朝方血中酸素濃度が低下してきて酸素マスクを着けてもらっていた。息をするのは苦しいのか苦しくないのか?正直分からない。
この時は、兄の呼びかけに意識が3度戻った。
私が呼びかけてもあまり反応なし。
兄の方ばかりを見ていてちょっと焼けた。
想像だけれど、兄に母のことを頼んでいるのではないかと感じた。

10分程しか病室には居られず。
昔からドラマで見ている様な、家族がずっとついていて次々と人が集まって。なんていうことはこのコロナ禍では不可能なのだ。
なんて悲しい事だ! とは言え、父もコロナに罹らず兄家族もうちの家族も濃厚接触者にもならず
父の側に来られた事だけでも奇跡的だ!と思った。

         ☆☆☆


兄夫婦と昼食を取りながら、今後の事を相談しつつ。 長女から午後はアルバイト切り上げて休みもらった。とLINE。
そりゃ落ち着かないよね。本当はバイトの休憩時間にオンライン面会お願いしてたんだよね。
いやー、今のじいじの状況でオンラインは、、、ないなぁ。  会いに来ますか?に即答で
「会いたい」
長女は小さいころから、ひと月に一度はじいじ、ばあばに会っていたし。本当に可愛がられてきた。母の認知の診断がついて、父の車の運転も高速道路はちょっと。となるまで良くうちまで遊びに来てくれてはお小遣いをもらったり。長い休みには2泊、3泊と泊まらせてもらってあちこち連れて行ってもらった。

歴代のワンコたちの看取りはしてきた彼女だけど、肉親の最期を見るのは初めて。大丈夫だろうか。 いやいや、私も初めて。
だし、最近彼女は親離れの時をむかえつつある。
私の言うことに素直に従わず、自分の考えで行動する。私が腹を立てて投げる言葉にも、100倍返しの反発。このところ私と娘の関係は最悪だ。


長女が次女を連れて最寄りの駅に到着。
次女は小学生で施設内に入ることは許されない。嗚呼 コロナウィルスよ。
小4女子に今後、ずっと「私はおじいちゃんに会わせてもらえなかった!」と言われ続けるのはきっと私だ。

顔を合わせても会話の減っている長女と一緒に父の部屋へ。
ほんの2時間前よりも呼吸は浅く、逆に楽に見えた。何度肩を叩いて呼びかけても反応なし。
折角大好きな孫が来たんだから目を開けてよ!
応えてあげてよ! なんだー!根性みせろー!
心では叫んだけれど。 なんだかもう頑張らせちゃいけない感じだな。

「ママ、いいんだよ。これで。ゆっくり寝かしておいてあげようよ。生きてるうちに会えただけで充分だよ。」
大好きなじいじの身体や顔に優しく触れながら話す彼女のフェイスシールドに ポタリ ポタリ 
音を立てながら涙がこぼれ続けていた。

私もそれを見て涙。
涙って不思議だ。
そんなこと考えながら、多分彼女と同じ感情を共有できている。ほんのり胸が温かくなった。
悲しくないといったら嘘。でも悲痛な胸の痛みはなく、感謝。父に感謝しかなくて、胸が感謝の念でいっぱいになって、涙になって目から溢れてくるようだった。
孫たちを可愛がってくれてありがとう。
優しい娘に育ったよ。

あれ?私たち、一触即発の感じじゃなかった?
何でだっけ? この娘、こんなに優しいんじゃない。もういいか。 こんなに辛い状況でもこれだけ冷静で、私を適切にケアして言葉を選べるんだから。

じいじ、思ったより髪の毛フサフサで良かったね。もっとツルツルになっちゃうんじゃないかと思ってたんだ。
やっぱり私のお父さんでしょ?鼻が高いでしょ?よか男ばい! 
目は開けてくれないけど、きっと聞こえてるんだろうね。
この期に及んで恨み辛みとかきっと一切聞くことないじいじは良く生きてきたよなぁ。
真面目に生きてきたからこんなに穏やかなんだろうなぁ。生き方は死様に出るよ。立派だ。

ポタリ ポタリ の音は時折聞こえてきた。
別れはやっぱり哀しい。

離れがたいけど、ずっとは付いていてあげられない。

「お父さん! 私たちは帰るよ。待っててくれてありがとうね。ありがとう。またね。」

別れの言葉は、こう言う時には出ないものです。


娘たちと一緒に帰っている途中で
「心臓が弱ってきたみたい。今から行ってくる。」兄からLINE。

うちに着いてもやはり気持ちは落ち着かない。
スマホを手から離せない。
意味なくスマホをいじっている時に鳴った。

父の心臓が止まった。

兄夫婦が一度呼ばれた時、声をかけるとまた心拍数が上がって安定したそう。
ちゃんと聞こえていて、父は兄たちが来てくれるのを喜んだんだと思う。
二度目は間に合わなかった。ほんの数分。

医師の診断は明日の朝になるとのこと。
そこで死亡確認になる。

次の日の死亡確認の時刻も知らせてもらったけれど。

ん? 命日ってどっちになるの?


         ☆☆☆


前日の雪が残る大山


葬儀前日は雪。

道の心配をしていたが、開いている高速道路の入り口利用で問題なく到着。

お日様がありがたい。
葬儀の日が雨やまして雪だったら大変なだけじゃなく、悲壮感が増して良くない。

浄土真宗西本願寺派の葬儀。
父の妹である叔母さんに兄が電話で色々聞いて。
葬儀屋さんもプロ。さすがです。
儀式の説明や、添える手や促す体制とか、素敵な方でした。

うん。プロ。
一方お坊様は、、、新米さん。
御住職の甥っ子さんという彼は見るからにお若く、20代後半?いやー前半?
もんのすごく緊張してらっしゃるのが伝わり、
終始 「がんばれー!」と心でエールを送り続ける。
「では、お経をあげさせていただきます」と神妙に、
重々しく鐘を鳴らそうとするも カスッ! と打ち損じ、きっと動じているだろうに気づかないでー!って感じで もう一度ゆーっくりリン棒を持ち上げてそれらしく振り下ろす様とか。
私はお経を聞いているのは嫌いでなく、所々聞き取れる言葉の意味とか考えながら想像を膨らませていたのだが。
そのうちお経の中に「空耳」的なのが聞こえてきてしまって、面白くなってしまっていた所に、
あれ? 今言い間違え?カラオケで歌い間違えた時みたいに「んん〜♪ ヴ〜〜♪」とかなってたんじゃん?とか。
がんばれー!
全然大丈夫ー!
なかなかいいよー!
そのうち気持ちが応援団になっていたのだった!


可愛いらしいお坊様に癒されて、
「亡くなられたご家族様」と出てくるたびに見上げる父の写真を見つめても涙は出なくて、表情筋は笑顔を作るのだった。


あんぱん担当


お父さんの好きなものを一緒にお棺に入れてあげられるの。何かお父さんの好きなもの!と兄嫁と相談していて、私はあんぱん担当。

ごめんよ、ちょっとだけ高い方のあんぱんは消費期限切れだよ。

入院直前までやめられなかったタバコ。
お母さんが作っていつも着ていたちゃんちゃんこ。いつも肩から下げて大事なものを入れて出かけていたショルダーバック。長く安全協会のお仕事に携り、警察から送られた表彰状。大福、甘酒、あんこ!あんこ! 
これだけ甘いもの好きで良く糖尿が出なかったねぇ。

それからお花を沢山たくさん!
お顔を残してお棺をいっぱいに埋め尽くす。
これが、最後。顔見て声をかけられるのが最後と思うと、この時ばかりは涙が止まらない。

寂しい。
寂しい。
ありがとう。


「またね」
「帰ろう、ね、お父さん。帰ろう。」
そう声にした。

実は、天国や地獄とかそんなところではなく、
魂というか、自分の最小エネルギーのようなものが宇宙のどこかにグループの様な集合体を持って集まるところがあり、人も動物も関わりのあるもの同士がそこに帰るのではないかと思っている。
心がこの世に何か未練を残したり、こだわり続けないとならない悪いことがあるといつまでもそこに行けない、それが地獄なのではないのかと思っている。
魂の微かな記憶がお互いを引き合って、また 会える。
浄土真宗の教えでは、死を迎えると直ぐに阿弥陀如来様がお迎えに来て、極楽浄土に連れて行ってくれるそうだ。
そして、いつでもどこにでも自由に求める時に家族や愛するもののところへ会いに来ることが出来る。
そして、そこで改めて生きる。

皆がそこへ帰って、生きる。
私が感じている生死感、死後の世界観ととても近いと思う。
私は自身に信仰を持っていないけれど、先人たちの教えはとても大事な事を教えてくれていると思う。 

幸い私は両親に充分育ててもらえた。
自由さも、不自由さも感じながら家族に恵まれてきた。自分の伴侶も得て子どもたちにも恵まれた。
お父さん、貴方との時間は全部が全部幸せでした。 苦しい最期なんてひとつも見せないで、
優しい思い出ばかりを残して。

寂しくなります。

時々思い出しては、ポツリ。ポツリ。泣くかもね。
そんな時はもしかしたら側に居てくれてるのかもね。


         ☆☆☆


ある患者様に、お父さんが亡くなったこと
ちゃんと色んな人にお知らせしなきゃ駄目よ!
と言われました。

生前は皆さまに大変お世話になりました。
ってあの文句、常々疑問に思っていて。
父は私に関わる人々の何人くらいにお世話になってた?
でもね、そういうことじゃないんですって。

私の事を知る人々と父には私を通して関係があって、父を亡くした私との関わりこそが大事なのだと。 だから、心配したり サポートしたり 気にする事だけだって、してもらわなきゃならないんですって。

分かったような、分からないような。

これから少しずつ、直接お会い出来た方にはお知らせしようと思います。

SNSで呟いたり、繋がってる遠くの友人たちに心配かける程私は駄目じゃないので。
それも、父のお陰なので。

ありがたいなぁ。

ありがとうね。お父さん。
貴方の娘で良かった。


         ☆☆☆


認知でグループホーム暮らしの母を葬儀に呼ぶのはやめておいた。
ホーム側はどんな風にでも対処します。と言ってもらったそうだけど。

悲しい事実だけが母の前におかれて、それが誰なのか自分とどういう関係なのか、分からないとパニックにならないとも限らない。
母を苦しめる事はしたくない。兄嫁と随分相談した。

兄嫁が、お父さんを火葬場に連れて行く時にお母さんの施設に連れて行きたい。ぐるりとお母さんの周りを周ってもらって、霊柩車のクラクションでさよならをしてもらいたい。そんな提案をしてくれた。

バルコニーから母は手を振る


きっと母は、何が起きているのか分からなかったのだろうけれど。
兄は位牌を持って母に、
「心配ないよ! 全部任せて! また会いにくるからね!」と言ってた。
なんて頼りになるんだ、お兄ちゃん!
私が父の写真を持っていたのだけど、写真は見せなかった。多分持って出ても見えなくて何なの?って感じだっただろう

けれど。
兄と2人で母に手を振った。

父の代わりに手を振った。

「またね」って言ってきた。

母は終始笑顔で手を振って、職員さんに何か尋ねながら不思議そうにしていた。

「またね」って とても良い再会の約束。


         ☆☆☆


上手くまとまらない。

まとまらないまま掲載してすみません。
ただ覚書でも良いのだけど。

もしかしたら、私と同じように
初めて肉親を亡くした人もいるかもしれない。
私よりも、気持ちが擦り切れるような別れを経験した人もいたかもしれない。
肉親の死を受け入れられなくて苦しんでいる人も居るかもしれない。

信じて欲しい。
いつか、亡くした人を思い出す時
楽しかった事、嬉しかった事ばかりを思い出せるようになる日が来ます。
思い出すたび胸がほんわりとあったかくなって、その人に抱きしめてもらっているような幸福感に包まれる日が来ます。


そして、またいつか会える日の為に自分の思うままに大事に生きて。
また、今世を終えた時に新しい場所で生き直せるように。


さて、どう生きよう。


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