序列と配役

前回の続きです

「配役では脇役もまた重要」ということを書いたのですが、それは皆さんにとっても自明のことで、わざわざ書くほどのことではなかったかもしれません。ただ、今日の内容の前提として確認しておきたかったのです。

というのは、往々にしてこの「配役」や「役割分担」が、「序列」「力関係」と混同されているケースが見受けられるからです。

「主役の座」を巡る争いというのは避けられないことかもしれません。でも世の中の「役割分担」は、少なくとも現在では「上下関係」とは別に考えた方が良いと思います。

「スクールカースト」や「格付け女子」という言葉をよく見かけるのは、そういう社会の風潮があるからでしょう。その原因と思われることについては長くなりますので改めたいと思いますが、主役に周囲の脇役がかしづいているようなドラマは、自己満足は別にしてやはり面白くありません。

ドラマや劇では、脚本家なり演出家なり、あるいはプロデューサーなりが配役を決める権限を持っています。では世の中では?会社などの組織では経営者や人事部がそれにあたるかもしれませんが、そうではなく、自発的な役割分担の場ってありますよね?それが「上下の力関係」ではなく、それぞれの特性ややりたいことによってフラットに決まっていくのが理想だと思います。その中で若干の譲歩が必要になる場面もあるかもしれません。

息子が所属していた小学生スポーツチームのモットーが「ひとり一役、全員主役」というものでした。その心がけで「日替わりヒーロー」が生まれるのが最高ですね。主役になりたい同志がいがみあうのではなく、それぞれが引き立てあう配慮が「社会性」ということでしょう。「誰が主役かわからない」では駄作ですが、「誰もが自分の役割の中で『主役』を演じている」ようにありたいと思います。

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