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つまらない大人の私を愛そう

別にまだまだ先は長いと思うけれど。
ふと、私はあと何回、夏至と冬至を繰り返すことができるのだろう、と思った。

幼い頃はただ漠然と、自分は長生きしないだろうと思っていたし、なんとなく27歳くらいで死ぬのでは、などと考えたりしていた。
27歳がどんな時期なのかも知らずに私は、それまでの年月が途方もなく長いものだと信じて疑わなかった。大人にとっての一年は、寒い暑いと言いながら寝ては起きてを繰り返していればあっというまであるが、子供の頃の一年というのは、それはもう長い冒険の最中にあった。
子供の私は、自身の脈拍の速さに比例するように少年期を謳歌していた。その上で、ふんわりとした希死観念を抱きながらそれを忘れて生きてきたのである。あんなつまらない大人になるくらいならいっそ死んでしまいたい。ぼとりと落ちる椿の花は美しい。


そうしてこうして。私はつまらない大人となった。
収入も、住んでいる場所も、すべてにおいて平凡。である。そして平凡は非凡に憧れる。

義妹、と言っても私と同い年の彼女は、アメリカに留学経験があり、以前からネット販売していたジュエリーブランドが軌道に乗ったのか、融資を受けながらついにショップを開業した。
Twitterの友人は様々な文芸誌に寄稿し少しずつファンが増えている。
彼女たちの非凡な才能と行動力は、全て努力の賜物で、私など到底足元にも及ばないのだ。
私は会社員の安定とか、家庭とか、そういうものを全て道を切り拓かない言い訳にしていたのではないだろうか。

子供の頃夢に描いた大人の自分はどうだっただろう。27歳で死ぬ設定だったから夢にも描かなかっただろうか。想像ができなかったのではないだろうか。そもそも何故27歳なのか。
ぼんやりとすりガラスの向こう側にシルエットだけが浮かんでいる大人の私に、私はいつも話しかけたかった。
それは自分との対峙であった。それでも自分の将来への願望の輪郭がくっきりと縁取られるとき、日々の冒険が突如終わりを迎えてしまうようで怖かった。

"普通でいることって案外大変なのよ、平凡こそ幸せなのよ"
誰かがそう言ったっけ。ねぇ、でも本当にそう思ってる?本当は、どこかのレールポイントを思い切って切り替えていれば、大谷翔平とまではいかなくても、何かになれたかも。って、何に?何によ。
そんな、たられば、考えたってどうしようもないことくらい分かっている。わかっているけれど。

雨音が鼓膜をノックする速度で、胸の奥から次第にざわざわと濁ったなにかが広がっていく。
手の届かない場所で脈打つそれを抱きしめるようにもがいていくほかない圧迫感にやられて、私はベッドにうつ伏せで倒れ込むと、湿った空気が寝室に漂っているのを足の裏で感じた。ぽたぽた、と鳴っていた雨音は間隔を狭めて、ザァザァという音に変わっていく。
人生は一度きり、そんな言葉はいつもわたしを苦しめる呪いみたいだ。

音楽で気を紛らわせようとiPhoneから宇多田ヒカルのプレイリストを開く。
「BADモード」…15際でautomaticを作り上げた宇多田ヒカル様にもBADモードの日がある。そりゃそうか。そうだよな。
くるり、と仰向けになるとパンダのぬいぐるみが目に入った。IKEAで400円くらいで買ったパンダ。6000円するしゃべるアンパンマンよりも、4000円するビックサイズのテディベアよりも、何よりも娘が大切にする400円のパンダ。IKEAのショールームで娘が抱きしめながら持ってきた。あの目の輝きに私は一瞬で負けたのだった。

ああ、非凡になりたかったな。本当に。
でも、『このパンダにときめいた!』っていうあの子の顔ったら。そう思い出すと腹の底からくつくつと笑いが吹きこぼれる。
あの時大人になることを恐れないで、
"計画的な子供"になっていれば、違った未来があったかもしれない。それこそ、非凡でありながら、なおかつ娘に出会うことだって、叶ったかもしれない。
それでも私はこのルートで生きていく他ないのだ。
意外とこの先、新たなレールポイントが現れるかもしれない。憧れに到達できるかもしれない。それでも、どちらに舵を切ったところでわたしはまた呟くだろう。

"あのとき.…"。


せっかくの夏至の日は雨。そんなものよ。
だからこそ、私はつまらない私を愛そう。つまらない日常を愛そう。そして愛しい愛しい娘が、彼女自身の人生を歩むために、私は私の人生を生きよう。

わたしはいつもわたしの部品を探している。
幼い頃に自分のパーツを探す壮大な冒険に出発したっきり、抱えきれないパーツをかき集めては、どんどん指の隙間からこぼれ落ちていく。どれをどこに取り付けたらいいかわからない。死ぬまでに、死ぬまでには完成させたいの。私はまだ完全体じゃないの、なんて。

昔、ある人の話を聞いて思った。ああ、彼の弱さは、自分を自分たらしめるものがわからないでいる脆さなのだといつかの私は思った。けれども今はなんとなく、みんなそうなんじゃないかとも思う。少なくとも私自身はそうだから。そんな弱さを讃えてやろうぞ。私よ。お前は本当によくやっているよ。見くびるなよ。愛しているよ。

"断じて行えば鬼神も之を避く"
ねえ鬼神、私はとりあえず何をすればいいかな。仕事かな。


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