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歌舞伎ファンにとってのプレミア公演⁉-第22回音の会

 夏の勉強会シリーズ、今日は8月22日・23日に開催された音の会へ。こちらは、国立劇場の研修の中でも、歌舞伎音楽の研修生の皆さんの年に1度の発表の場。長唄や三味線、囃子方の方たちだけの舞台はもちろん、竹本の太夫と三味線方のために歌舞伎俳優さんも助太刀する演目があります。歌舞伎ファンにとっては垂涎ものの公演なれど、おそらく自分は歌舞伎ファンだと思っている方たちなのでしょう、歌舞伎音楽の研修生が主役の公演であるにもかかわらず、長唄や三味線、囃子方の方たちだけの舞台には来ず、俳優さんが出る幕だけ見に来るというお客さんが散見され、それはとても残念なことだなと思いました。何にせよ、たった2日間、国立劇場の小劇場で客席を半減させての公演ということで、出演者の御家族・御友人のために取り置かれている席も相当あっただろうし、歌舞伎ファンにとっては入手困難のプレミア公演となっていたはず。

<長唄と囃子方の活躍-外記猿と石橋>

 前半の2曲、長唄の「外記猿」と「石橋」が演奏家さんたちだけの舞台。だから100パーセント演奏家さんたちが主役なのに、全員鼻から下を布で覆っての演奏で、そこは致し方ないにしてもちょっと残念。席が後ろの方だったこともあって、顔で個別に誰がどうだったという印象を記憶・記録しにくい舞台だった…痛恨。それでも、昨年同様、歌舞伎音楽だけでもこれほど面白いものかと改めて痛感。

 長唄三味線は、やはり華やかで是非弾いてみたいものだなぁと思うほどだったし、笛の田中傳三郎は、ときどき本公演でも姿を見ることはあるけれど、引き続きとても勢いのある演奏でライブ感が強く、特に興奮させられた。長唄も、歌詞が手元に配られたので一層理解が深まったし、なにより、三味線の本調子と二上がりの区別がしっかり歌詞に添え書きされていたので、違いをきちんと認識しながら聴くことができたのは収穫だった。本調子がへ短調、二上がりが変イ長調で、要するに両者は並行調の関係ということだろうか。

<歌舞伎俳優も登場―野崎村>

 歌舞伎俳優さんたちが助太刀したのは、野崎村。樹太夫の語りは、ややのっぺりしていて気持ちの入れ方というか抑揚がやや不足気味であると思われたけれど、これからか。一部棒読みのような印象を与えてしまいがちなところは、(実際は必ずしもそうではないはずなので)少し損をしている? これに対し、拓太夫(この人は、研修出身ではないのだけれど。)は、盛り上がるところで抑えが利かなくなって地声がにじみ出てくるようなある種の粗さはあるのだけれど、少し濁った声色にはとても味わいがあるし、口跡にも適度に芝居がかった濃厚さがあり、また、間も割り合いにたっぷり取るタイプの語りであることもあり、ああ、浄瑠璃を聴きに来たんだなぁという喜びをそのまま実感させてくれる語り。樹太夫のすっきりと伸びやかですがすがしい印象とは対照的。真太夫は、短い出番も切を熱演。ナイストライ。

 俳優陣も大活躍。お光は芝のぶ。本当に娘らしくて非の打ちどころがないと言ってよいほど。ナウシカ歌舞伎の庭の主の印象が強いので、俳優としての幅の広さにも驚かされる。舞台上にいないと何か物足りなく感じられるほどの存在感。「ビビビビビ~」など、細かい身振り手振りなども非常によく研究されている。

 久松は梅乃。おどおどした様子に、武家の出の上品さ、それゆえの奔放さなど、様々な要素のそれぞれをきちんと滲ませる丁寧な芸。声もやはり良い。奥行きのある響きで、とても好きだ。

 期待以上に良かったという感想を抱いたのが、久作の新蔵。野崎村の久作tおいえばこういう感じ、という違和感のなさは、きっと熱心な研究の成果なのだろう。

 お染は、京妙。年齢不詳の外見の芝のぶのお光に比べるとかなり老けては見えるものの、恋は盲目の気をしっかり出した。この人も、やはり元来の存在感のある演技でしっかり目を引く。

 お光の母が舞台に出てくる珍しい演出だったが、悲劇の構造が分かりやすくなるという点では、親切な見せ方と言えるだろう。その母を演じた竹蝶は、母ならではのいかんともし難い嘆きをよく表現した。

 幕切れに登場する駕籠かきは、新次と新八。褌姿で手ぬぐいで身体を拭くくだりがお決まりだが、色黒で筋肉質の新次の逞しい体つきがとても目立った。

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