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松本幸四郎さんの涙が報われる、歌舞伎座初日の盛り上がり―戦後初・歌舞伎興行のない数箇月に終止符

 新型コロナウイルス感染症の影響で丸5か月休演した後の待ちに待った再開初日。これだけ長い間歌舞伎興行が一切行われないのは戦後初めてということで、歴史的な日だと思い、行ってきた。第4部、与話情浮名横櫛、源氏店。主役の与三郎は、松本幸四郎さん。休演中も図夢(zoom)歌舞伎などの新しい取組に積極的に挑んで歌舞伎界に何ができるかを真剣に考え、図夢歌舞伎最終回後のアフタートークでは涙まで見せた幸四郎さんの復活初日。

<徹底した感染対策:エンタメ界の新スタンダード?>

 入口では、手指の消毒、体温の測定。切符のもぎりも自分で。物販やイヤホンガイドの貸出はなく、配役とあらすじのみの簡易な筋書が机上に置かれていて無料で取れるという徹底した感染対策ぶり(配役とあらすじの無料配布は、むしろ普段からやってほしい…。筋書は、月の後半に舞台写真が入ってから買いたいし、でも、チラシに名前が載らないお弟子さんたちの配役も確認したいし。)。座席も一つおきに座れないようになり、開演前の係員による案内も無言で巨大なパネルを掲示する。そして、パネルには大きなマスクの絵…と、休業前とは様子はだいぶ変わったけれど、それをフォローするかのように開演前には幸四郎さんの声によるアナウンス。うれしい。これが新しいスタンダードになるのかもしれないな。

<冒頭、軽やかな江戸の空気で一気に芝居の世界へ>

 冒頭は、お富の児太郎さん、藤八の片岡亀蔵さん、下女およしの芝のぶさんの3人のお芝居。幕開きの拍手が長くて数十秒芝居が始まらないというのは、忘れ難い経験。3人の芝居は、とてもテンポがよくて気持ちがよい。児太郎さんは、粋な姉御肌のお役が相変わらずよく似合うが、2、3度、喋り出しの声色が玉三郎さんにそっくりで、はっとさせられることがあった。休演期間によくよく研究を重ねたということの証左か。芝のぶさんは、やはり声が良い。ナウシカ歌舞伎の庭の主の精を思い出し、興行の再開が更にうれしくなる。声色と口調、仕草のバランスが非常に良いことで役作りが自然なのは、実力の証ということなのだろう。

<いよいよ、幸四郎さん登場。立ち姿だけでカッコイイ…>

 そうこうしているうちに、蝙蝠安の彌十郎さんと与三郎の幸四郎さんが花道から登場。幸四郎さんは、頬かむりをしたままでも、浮かない顔をして花道に立つだけでどうしてあれほどカッコイイのだろうか、と本気でびっくりした。今更ながら。これだけで第4部のハイライトと言ってしまってもよいかもしれない。

 彌十郎さんと児太郎さん、亀蔵さんのやり取りのくだりは、やや冗長に感じないこともなかったけれど、彌十郎さんの年齢を感じさせない蝙蝠安ぶりには感心した。気分はもちろんのこと、身体も若い。亀蔵さんにとっては、藤八のようなお役は目をつぶってもできるのだろうなと思わせられるほど、肩の力の抜けた藤八でとても良かった。観る側も楽しくなる。このベテラン2人と堂々とわたり合った児太郎さんは立派。気風が良く、全く引けを取っていなくて、すばらしい。

 後半、幸四郎さんの与三郎が話し始めると、児太郎さんのお富は、目の前に与三郎が現れたことに対し、もっと驚いてもよいのではと思われた。今回は源氏店だけだけれど、ここに至るまでのエピソードを考えれば、この思いがけない再会は、この演目のクライマックスになるべき場面なので、もっと派手に見せてもよかったのではないかという老婆心というだけだけれど。その後の与三郎の悪態についても、お富は淡々と受け止めていた印象。誤解を解きたいという必死な思いがもっとがむしゃらに出てきても面白かったかもしれない。幸四郎さんは、色気だだもれで本当にカッコイイ。座り姿さえ粋だと思える。下帯からむっちりと力強い太ももが伸びる姿に胸を射抜かれたファンはたくさんいたのではないか。

<最後には中車さんも登場。大和田常務とは一味違う大人の魅力>

 中車さんは、旦那役で得意な役と思われたし、しっかりまとめてきたと思うけれど、同じ旦那役でも落語を歌舞伎化した星野屋やたぬきのように、同じようなポジションでもっと癖の強い役もやっているせいもあるのか、思ったほど強く印象に残ったわけではなかった。全うな大人の役だからこそ、淡々と演じられるものなのであって、着実に演じればこそ当然の印象なのかもしれないけれど、器の大きさが一段も二段も上だという面をもっと示せたら更に面白かったか。中車さんが蝙蝠安をできるのであれば、彌十郎さんと配役を反対にしても面白かったかもしれない、というかそのバージョンも是非観てみたい。

 何はともあれ、休演中も図夢歌舞伎などに積極的に挑んで歌舞伎界に何ができるかを真剣に考え、図夢歌舞伎最終回後のアフタートークでは涙まで見せた幸四郎さんの復活初日を観ることができ、何よりの記念になった。1か月、何事もなく無事に駆け抜けられますように。

<最後に若干の「ネタバレ」>

 前半、芝のぶさんの下女およしが出かけ、亀蔵さんと児太郎さんの2人だけになってからのやり取りがしゃれていてびっくり。お富が藤八におしろいを塗ってやるくだりは、ソーシャルディスタンスを保って、藤八に自分でやれ、と。さらに、紅を差すくだりでは、筆が如意棒のように伸びて、児太郎さんが苦心しながら差して、唇からずれて失敗して一笑い。藤八は、鏡を消毒してからお富に返すという徹底ぶり! 歌舞伎座での興行再開という感動の重みのみならず、こんな軽妙な演出で楽しませてもらえたのもうれしかった。


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