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シティボーイから郊外ガイへ

 七三分けにグレーのトレーナー、センタープレスの入った安物の黒のスラックス、クラークスの黒のブーツ。淵の細い眼鏡を掛け、薄っすらと髭が生えている。スラックスとブーツの隙間から赤茶けた靴下が覗く。

 彼が好きな雑誌は絶対にポパイだ。

 少し寒くなったらこの上に古着屋で買ったブルックスブラザーズの紺色のジャケットか、ポロ・ラルフローレンのキルティングジャケットを着るのだろう。
 腕時計はチープカシオに違いない。1000円ぐらいの黒ベースに青いラインが入ったデジタルのやつ。少し腕をまくったときに彼の時計が見えた。いや、あれはチープカシオじゃない。シンプルな白に黒い数字の文字盤に、革のベルトのさりげなく上品なアナログ時計だ。見た感じ1万円ぐらいだろう。そっちのパターンか。
 きっと彼の鞄の中には岩波文庫が入っている。しかも古本屋で買った思いっきり色あせたやつ。ロビンソン・クルーソーあたりだろうか。いや、彼の賢そうな風貌ならとっくにロビンソン・クルーソーぐらい十代の時に読んでいるだろう。谷川俊太郎詩集辺りだろうか。とにかく、彼は自己啓発書やビジネス本を親の敵のように嫌い、神保町の古本屋で買う文庫本しか認めていないのである。とはいえ、主に利用する古本屋はブックオフで妥協している。
 財布は紙幣専用の革の薄いやつと、がま口の小銭入れを分けているに違いない。有名じゃないブランドのまあまあ上等なやつだろう。相当気に入っているらしいから、折り目がひび割れて破けるまで使うのだろう。ポイントカードは一枚も持っていない。持っていたとしても、クレジットカード一枚に、街の理髪店とラーメン屋のスタンプカードぐらいであろう。
 彼は絶対にポパイを読んでいる。これは確信である。probablyではなくdefinitelyである。

 髭は5枚刃のT字カミソリではなく、1枚刃の変な形のカミソリで剃ってるから、綺麗に剃れていないのだろう。やっぱり。首から顎にかけて少し血が出た跡がある。日本製の安いやつではなく、ドイツ製の4000円ぐらいするやつだ。

 彼の好きな映画は007とキングスマン、タランティーノのレザボアドックスとパルプフィクションは確定、あとは誰も知らないフランス映画かベトナム映画の話もするだろう。大ヒットした映画は批判に転じることが多く、日本映画はインディーズを除きほとんど観たことがない。最初から最後まで見たジブリ映画は一本もなく、「君たちはどう生きるか」に足を運ぶ気さえ起きなかっただろう。しかし、新海誠の映画には不本意ながら感銘を受けている。

 着ないにもかかわらず、スーツは上等なものを一つ持っているだろう。ワイシャツの襟の形にはこだわりがあり、1着で十分着回しできるのに白だけで3着は持っている。ネクタイは卒業式でしか着けたことがないのに、様々な場面にふさわしい柄をいくつか用意してあり、それに結び方も何種類か知っている。誰も死んでないし結婚式にも呼ばれたことはないのに礼服は上等なものを1着持っている。革靴は紳士服売り場で売っている人工皮革のものは認めておらず、ロンドンで19世紀に創業した誰も知らないブランドの革靴を持っている。下駄箱に入れるのではなく、木製のシューキーパーを入れてよく手入れして部屋に飾ってある。

 なぜなら彼は絶対にポパイをバイブルのようにしているからである。

 で、彼は一体何をしている人なのだろうか。平日の午前中からカジュアルな服装でカフェにいて。歳は二十代前半と見えるが、大学生でも大学院生でもなさそうだ。フリーランスで食っていくには若すぎる。起業したのか。いや、そんなに根性があるようにも見えない。よくわかんない怪しい仲間とよくわかんないビジネスで稼いでるようにも見えない。肌つやが良く少し日焼けもしているから夜勤の人にも見えない。実家暮らしに違いない。中央線沿いで一人暮らしをすることを夢見ながら、経済的自立とは程遠い生活を送って、人生を模索しているという言い訳をしてアルバイトをしているのだろう。

 カフェの隅の席で電子タバコのプルームをふかしながら、ラップトップをカタカタと忙しそうに叩いている。プログラミングの手つきではない。きっと文章を書いているのだろう。ライラ―なのだろうか。いや、きっとブログだ。多分媒体はnoteだ。彼の風貌から文脈は大体想像できる。普段から難しい本を読んでいるので難しい言い回しを好み、「感動した」ではなく「感銘を受けた」と書く。日本語で言いにくいときは英単語を使ったりもする。

 お、文章がまとまったのだろうか。キーボードを打つ手が止まった。全然コーヒー減ってないじゃないか。彼は冷めてるに違いない300円のホットコーヒーをブラックで飲み干した。コンビニで買うコーヒーはクラフトボスのカフェオレのくせに。もう一本タバコ吸っていくのか。金無いくせに。早く実家出て自立しろ。そしてさすがに25歳超えたらポパイ卒業しろ。お前はもはやシティーボーイではない、シティーガイだ。いやここ埼玉だからシティーじゃないし郊外だし。都内の大学通ってたか知らんけど。サバーブガイだお前は、いや、それだとゴロが悪い、郊外ガイだ、お前は。早く高円寺か阿佐ヶ谷で一人暮らしろ。いやその前に家で映画見てないで仕事見つけろ。


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