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ムーサの泉とペトラの遺跡

Mousa's Spring
https://maps.app.goo.gl/m52TkpbAN3Ru6B996?g_st=ic
ヨルダンのペトラ遺跡に行く人は多いが、そのペトラの街を栄えさせた泉に行く人は少ない。
ペトラの街は滅びたが泉は枯れることなく、今も水はコンコンと湧き出している。人が作ったペトラの街は有限だが、神が与えた泉は無限だ。

喩えが悪いが、この世の中の人のほとんどは深く歴史を考えることなく表面的に動物のように目の前の一つのことに反応して生きているように見える。目には映るが真実は何も見えていない。現代は有限な世界が終焉を迎えたようなパラパラ漫画を見ているような浅薄な世の中だ。

人は周りの人達が作り出した華やかなことに憧れ、どうしたらそうなるかの因果関係を深く考え自助努力しようとせずに、すぐに果実を欲しがる本能の動物だ。そこに働く因果関係を探求し極めれば、自分も何かしらこの文明に残すべき偉大な事ができるのに、その自分(の心)を支配しようとせずに、外に目を向けて生きている。そして、果実がすぐに欲しいので他人を冒し、支配し、奪おうとする。これが個人や国家の争いの原因だと思う。自分の心を支配することこそが一つの偉大な事業なのに、それに気づかないまま一生を終えるのがほとんどの人だ。

人はそれぞれの人生修行のために短いこの世の人生を生きている。
この世に生きる人の境涯は様々であり、だからいろんな人の人生を側から見て、たまにはその人と関わりを持ち、助け合い、(好きにならなくてもいいが)愛し合うことで相対的なお互いの人生修行が成り立つ。これが神の創った人々の心を潤おす無限の泉なのだと思う。

しかし、仏教的に言うと、貪瞋痴慢疑悪見に生きる人の人生修行は、どれだけ多くのお金を得て、名声を得て、人々をコントロールし、この世的な満足感を得るかに奔走しているように見える。いつかは何も持たずに還るのにだ。

もちろんお金は価値中立であり、ユダヤ人が創造したこの世的なシステムで、発展への動機づけ、意味づけツールである。だから本来は何も悪い要因を含んではいなが、人間が創り出したシステムである以上、使い方の限界はある。

これは、科学が進化した宇宙の他の文明から見ると、とても遅れている化石的な経済システムであり、時には(支配するために恣意的に)銀行が破綻して多くの悲劇を生み出している。この大宇宙に拡がる神の世界には無い“お金“こそが多くの人類の本来の人生修行を邪魔している一つの悪いシステムに成り下がっている。

この地球の善悪の指標は厳然として人類創造の頃から心の中に埋め込まれている。そして、それに基づいてそれぞれの人は自由を得てハンドルを操作して善を行うことも、悪を犯すことも、また、改心することもできる人生を生きている。

しかし、心では感じているが、善悪の概念に基づいて、うまく肉体の本能をコントロールできない人もいる。それはお金持ちでも貧乏人でも人間の本能だから同じだ。お金持ちは善人で、貧乏人は悪人だということでは全くないが、お金が無いと悪を犯しやすいし、お金があり過ぎても人類への罪を犯しやすいのが現代だろう。後者は誰のことを言わんとしているかは想像にお任せする。

この宇宙がバランスで成り立っていることは真実であり、地球に寄生して生きている人類の身体の中も心の中もバランスで成り立っていることは想像に難くない。自律的にバランスを取ることができる人が増えれば、この世の争いごとは少なくなるだろう。しかし、こんな穏やかな世の中になれば、人々の善良さを弱さと思い込む一握りの悪意を持った(他の星の宇宙)人に騙されやすくなる。なんとも厄介な地球だなぁ。(笑)

列王記1から一首。
Kings1| 18-38
Then the fire of the LORD fell. (以下、略)
そう言えばその昔、乗っていた宇宙船のレーザービーム兵器でカルメル山の薪の上の牛に火をつけて焼いたかもしれない。それで、今世は焼肉が大好きだ(笑)
参考文献:
①聖書
②「第五の山」パウロ・コエーリョ著

ちなみに、(アラビア語)=(日本語)
ヌーフ=ノア
ムーサ=モーゼ
エリシャ=エリア
イーサ=イエス
イブラヒーム=アブラハム
ムハンマド=マホメット
つまり、ムーサの泉とは、モーゼ様が杖をたてた岩の割れ目から水が湧いたといわれる奇跡の場所だ。奇跡は必然で起こる。なぜか。歴史を変えるような重大な時には宇宙から介入が必要な場面を見ているからだ。(了)

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