物の擬人化とイマジナリーフレンドのお話
絵本で頻繁に使われる手法の一つに「擬人化」があります。人ではないものを、人になぞらえて表現すること、それが擬人化ですね。絵本でも、動物や生き物、植物はもちろん、本来意思を持たない「物」も擬人化され、意思をもち、動き回り、喋ったりするキャラクターとして描かれてきました。
ひとくちに「擬人化されたキャラクターで絵本を作る」といっても様々な方法があり、考えるポイントは多々ありますが、今回は物の擬人化とイマジナリーフレンドについて書いてみたいと思います。
受け持っている大学の授業では「そもそも擬人化とは」とかについても話したりするのですが、長くなるのでここでは省略します。今回は、物を擬人化するときのポイントを述べつつ、絵本におけるイマジナリーフレンドとはどういう性質のものか、ということについても考えてみたいと思います。
絵本の中では、様々な物が擬人化され、意思を持つキャラクターとして登場します。絵本を作る多くの人が、ある物を擬人化したキャラクターを作り、それを主人公だったり、主人公と関わりを持つ重要な存在としてお話を考えるということを、ごく自然にやっていると思います。しかし、単に、物に目鼻を付けたり、手足を描いたりして喋らせたら、絵本のキャラクターとして成立するという訳ではありません。では、物を擬人化する時のポイントはどういうものでしょうか。
というわけで、この『ボクのかしこいパンツくん』を題材に、物を擬人化する時に「例えばこんな風にアプローチしてはどうだろうか」というポイントについて考えていきたいと思います。小説家の乙一さんの超短編を、長崎訓子さんが絵本化した作品です。
タイトルや表紙を見てわかる通り、パンツを擬人化した絵本です。例によって読んでいることを前提に書いてしまうので申し訳ないのですが、パンツと少年が出会い、共に過ごす中での、少年の変化(成長)を描いたものです。物語の形としては、とても典型的なもので、様々なかたちで表現されてきた、普遍的なテーマの絵本です。
ちなみに、前回の記事で述べた、漫画と絵本の違いというポイントでも語れるものです。読むとわかりますが、この絵本はコマ割りを多用して、かなりマンガに近い作り方をしています。コマの使い方も、瞬間を積み重ねるマンガ的な使い方をしているところが多く、そういう意味ではかなり漫画に近い表現といえます。しかしよく見ると、要所要所で見開きを使ったり、ページをめくることで展開する、という絵本の仕組みも使って構成されている、ということもわかると思います。なので、これは「漫画の手法を大きく取り入れた絵本」ということが出来ます。
擬人化の話に戻ります。今回は、パンツ、もっというと「白いブリーフ」が擬人化され「パンツくん」というキャラクターとして登場しています。この「パンツくん」を使ってどんなお話を作ることができるかを考えるには、まずこの白ブリーフがどういう性質、イメージを持っているかを考えることが重要です。例えば、白ブリーフとはどんな人たちが履くものなのか。ここにもヒントがありますね。白ブリーフって、大体が小学生の低学年〜中学年くらいの子が履いているというイメージがありますね。つまり、男の子の子ども時代を象徴するアイテムとなりうる訳です。なのでこの絵本でも、パンツくんは、小学校中〜高学年らしき「ボク」のところに登場します。
男の子のこども時代を象徴するアイテムである白ブリーフが擬人化された「パンツくん」と「ボク」。そこからどんなお話を作ることができるかを考えた時に、パンツくんと過ごす中でのボクの成長を描くという、この絵本の内容はとても自然なものである、といえるのではないでしょうか。擬人化する物の性質やイメージをきちんと活かした上で作られていることがわかりますね。物の擬人化にも様々な例があり、あくまでも一例ではあるのですが、このことを押さえておくだけで、単に物が動いたり喋ったりしているというのではない、他者にきちんと実感を持って伝わる、説得力のあるものが作れるようになっていくのではと思います。
物を擬人化したキャラクターが登場する絵本にも様々なものがあります。本来の用途に満足せず「自分にはもっと可能性があるはずだ」と旅に出るというようなものも多いですし、他の仲間とちがって自分だけなかなか使われない、活躍する機会がないという状況から「自分なんて」という劣等感を持っている物が、あるきっかけでその物ならではの特長を活かして活躍したり他者を喜ばせたりするというようなもの、あるいは例えば「上手く雷を鳴らせないカミナリの子ども」のようなキャラクターと登場させて、その子が成長してく姿を描くようなもの、他にもまだまだ多くのパターンがあります。その中で、「イマジナリーフレンド物」と僕が呼んでいるものがあり、『ボクのかしこいパンツくん』はある意味その典型的な例だといえる作品です。
主人公の身の回りにあるもの、普段使っているものがある日突然喋りだし、その二人の関係がだんだんと深まっていく。よく絵本で見られるパターンですね。『ボクのかしこいパンツくん』もその類型といえます。僕はプロを目指す人向けの絵本ワークショップもやっているのですが、こういう設定で絵本を構想する方はとても多いです。でも、物に目鼻をつけて喋らせたり、手足をつけて歩かせたりすれば、それで絵本が成立するかというと、そんなことはありません。それは、さっき述べた物の性質、イメージをうまく使ってキャラクター化したい、ということに加えて、その物がなぜ意思を持ち、その主人公のもとに登場するのか、ということをきちんと考える必要があります。
それを考えるには、「イマジナリーフレンド」の性質について考える必要があります。イマジナリーフレンドとは一体どんな存在でしょうか。その言葉の通り、想像上の友達ですね。主に子どもの頃に見られる、空想の中の友達。これは絵本を始めとする様々な創作物に登場します。
『ボクのかしこいパンツくん』における「パンツくん」は「ボク」にとってのイマジナリーフレンドだといえます。主人公の「ボク」しか話すことのできないブリーフパンツ。この、ボクしか話せない、というところが大事です。
主人公にしか見えない、他の人(特に大人)には見えないしコミュニケーションをとることが出来ない存在は、なぜ登場するのでしょうか。ここが、擬人化したキャラクターが主人公とどのような関係性を結び、どんな内容の絵本になりうるかを決めるポイントです。
イマジナリーフレンドは、基本的には、主人公の内面を反映する存在だと考えると良いと思います。不安を感じていたら、その不安を和らげる、孤独を感じていたら、その孤独によりそう、何かコンプレックスだったり劣等感を感じていたら、それを肯定したり、解消したりする。そのために主人公自身が想像の中で作り出す、あるいは、そういう主人公の気持ちから生まれた存在、それがイマジナリーフレンドです。
そういう観点で『ボクのかしこいパンツくん』を見てみましょう。この「ボク」は、友達が少なく、いつも一人だと書かれています。学校で当てられても答えることが出来ない、わからなくても「わかりません」とも言えずに、ただ黙りこんでしまうような、内気な、引っ込み思案な性格だと思われます。つまり、ボクは、友達がいない孤独で、なおかつ自分の気持を人前で表現出来ない、臆病なところがある子どもだといえます。臆病だったり、誰かに笑われたりするのがこわくて、自分を表現できないというところもあるかも知れません。そういう子だからこそ、ブリーフが「パンツくん」になって喋りだすのです。これが、社交的で明るくて友達が多く、活発な子だったらきっと喋り出さないのではと思います。つまり、このブリーフは、ボクの孤独や不安が生み出したイマジナリーフレンドだといえます。
パンツくんとの生活が始まります。いつも一緒にいることが出来る大好きな友達。段々と、ボクの気持ちも変わっていきます。自分の気持がなかなか言えないような引っ込み思案な性格だったのに、パンツくんのおかげで下着についてみんなの前で発表するような積極性を発揮できるようになりました。夜に独りでトイレに行けないような怖がりだったけど、今はパンツくんがいるから大丈夫。パンツくんのおかげで、ボクは少しずつ変わっていくのです。少しずつ、大人になっていった、という言い方が出来るかも知れません。
イマジナリーフレンドと一緒に過ごすことで、成長し変化していく。すると何が起こるでしょうか。さっき、イマジナリーフレンドは、その人の不安や孤独、コンプレックスを反映する存在だと述べました。では、それが解消されたらどうなるか。イマジナリーフレンドが必要なくなるんです。なので、イマジナリーフレンドが登場する多くの作品では、最後に主人公が変化し、不安や孤独、コンプレックスを克服できたら、消えていきます。
この絵本でも、パンツくんとの別れが描かれますね。毎日ボクと一緒に過ごしていたパンツくんには、ボクが成長したことがよくわかっていたのでしょう。なので、ボクに「今日でお別れにしよう」と言うのです。「君は成長した」と。なので、自分はもう必要ない。だから、このままゴミとして捨てられ、消えていくんだと。
「グッバイ!」ここで、この二人の時間は終わります。さっきまで喋っていたパンツくんは、ただのパンツという物体に戻りました。なので、ここでは顔は描かれていません。ボクが少し成長したことで、パンツくんというイマジナリーフレンドが必要なくなった、なので、パンツくんは役割を終えてただのパンツに戻ったのです。逆にいうと、ボクは成長したので、パンツくんと通じ合うことができなくなったとも言えるかもしれません。これが、基本的なイマジナリーフレンドが出てくる絵本の構造であり、白ブリーフの擬人化という、一見突飛なキャラクターに見えますが、そういう意味では、典型的な例、という言い方もできると思います。勿論、あくまで一例であり、様々なパターンがありますが、まずはこの考え方を頭に入れておくと、動き出した、あるいは喋りだした物が、子どもとある時間を過ごす、という設定で絵本を作る時に考えるポイントが見えてくると思います。
物を擬人化するときに、その物の性質やイメージを上手く活かしたい、と書きました。『ボクのかしこいパンツくん』の場合、ブリーフなら、やや幼さを残す、小学生くらいの男子がはくもの、という性質があるので、このような話をつくることが出来ます。
と、ここまで書いて終わりにしたいところですが、絵本におけるイマジナリーフレンドについてあと少し付け加えるとすれば、「主人公の不安や孤独、コンプレックスが解消されたらイマジナリーフレンドは必要なくなる、だから消える」と書きましたが、だからといって常にそうあるべきである、とも考えていません。人はそんな簡単に変わることは出来ない、ともいえます。今は大丈夫になったけど、またいつ不安がやってくるかもしれない。何かを乗り越えたと思っても、次の日には元通り、ということも時にはあるでしょう。なので、必ずしも、成長してイマジナリーフレンドが消える、という終わり方が常に適切だとは思っていません。ずっと消えずにそばにいるイマジナリーフレンドがいたって良いですし、場合によっては、消えたと思ってもまたいつでも出てきてくれるんだな、と感じさせる終わり方をするのも良いと思います。みなはむさんと作った『よるにおばけと』(ミシマ社)は、まさに「消えないイマジナリーフレンド」が登場するもので、読者が「このおばけはこれからも主人公に寄り添い続けのだろう」と感じるような存在として描かれています。よかったら読んでみて下さい。
そして、こちらは『よるにおばけと』刊行時にミシマ社のWEBに寄稿したレビューです。「擬人化」という観点はありませんが、絵本におけると優しさとイマジナリーフレンドについて書いたもので、今回の記事と合わせて読んでいただくと参考になるかも知れません。長いので、お暇だったら……
今回書いたのはあくまで数多くある擬人化の中の一例です。大学の授業では他にもいくつかのパターンを紹介し、ポイントを述べているのですが、これ以上は長くなりすぎるのでまたいつか、そのうち書いてみたいと思います。多分……
ということで、また次回お会いしましょう。
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