絵本編集者が担当本について色々書いてみる 『やましたくんはしゃべらない』

フリーで絵本の編集をしてます。これから、担当本について色々と書いていこうと思っています。内容の紹介だけでなく、編集のテクニカルな話もしていけたらと。

まず初回は『やましたくんはしゃべらない』(山下賢二・作 中田いくみ・絵 岩崎書店)を取り上げます。

こちらは2016年に夏葉社から出た『ガケ書房の頃』という本に収録されているエッセイを元にした絵本です。

ガケ書房は2004年から2015年に京都は北白川にあった本屋さんです。今は同じ白川通りを少し下がったところに移転して「ホホホ座」と改名し営業を続けています。そこの店主である山下賢二さんが、子ども時代のことからガケ書房を開店し、ホホホ座に至るまでを書いたのが『ガケ書房の頃』。その本の最初の方に今回の絵本の元になった「初めて人前で話したこと」が収録されています。下記リンク先で公開されていますので読んでみて下さい。

これを読んだ時、本当に素晴らしい話だなと、やや大げさかもしれないけど感動し、「絵本にしたい」と思ったのでした。

9年間も人前で喋らなかったという事自体にインパクトを覚えましたが、この話で一番素晴らしいと思ったのは、彼がいじめられていないこと、当たり前にクラスに存在していることでした。「ちょっと変わってるけど、あいつはそういう奴やから」という感じで、だから仲間外れにされるとか、嫌がらせをされるとかそういうことがない。まあ彼自身の性格が明るかったということもあったかもしれませんが、いろんな人がいるというのをそのまんま受け入れているというのがとても良いなと。いや、「受け入れている」という意識すらないでしょう。ただ当たり前にそこに存在している。それがとても稀有なことに思えて、すぐ山下さんに「絵本にしましょう」とオファーをしたのでした。

といっても、この文章のまま絵本には出来ないので、絵本のための文章を作るということになります。絵本は、絵と文が一体となった画面を作り、その画面をめくっていくことによって展開していくものです。では、絵本のための文章というのはどういうものでしょうか。

絵本の文章は、まず絵を想定したものでなければいけません。絵と文がそれぞれ補い合いながら成立しているのが理想です。文章だけ読んで全て理解できてしまうのは絵本の文章としては完成度が低いものです。そしてもう1点、作るときにポイントになるのがページ数です。絵本は印刷効率の理由から、ほぼ32ページで構成されています。32ページということは見開きが15個。つまり、15個の場面の連なりで大抵の絵本は出来ています。ですので、まずは本に書かれているエピソードや、書かれていないけど実際にあった印象的なエピソードをピックアップし、15場面に並べていきます。

話の筋はだいたい決まっています。最初は入学の場面、それからエピソードを連ね、最初の山場は作文、そしてクライマックスは卒業式という構成。それを、なるべく説明を排した文章で書いていきます。状況説明、描写はなるべく絵に委ねる、それが鉄則です。というわけでどうするか、会話や独白で進めていく、ということにしました。

これからする話は絵本を読んでからの方がよりわかりやすいのですが。こちらのPVでも少しだけ中身が見られます。

作るにあたって、最初は主人公のやましたくんの心の声を軸にして進めていました。 何度かやりとりを重ねてぼちぼち良い感じになってきましたが、なにかしっくり来ない。読んだ印象が「うるさい」。しゃべらない子どもが主人公の話なのに、心の声が単なるセリフに感じられて、結果的に非常に口数が多くなってしまう。これでは、主役であるやましたくんのキャラクターが活きてこないんです。最大の特徴が「しゃべらない」ということなのに、すごく饒舌に感じてしまう。単にやましたくんが独り言をいいまくる絵本になるのは本意ではないし面白くない。

しかも独り言の内容が自分の気持ちをいちいち説明するというもので、もうそこには読者が入り込んで想像する余地は残されていないです。いろんな解釈をしていろんな風に想像して楽しんでほしいのに、もう自ら答えを提示してしまってる。絵本は何度も読むことを想定して作る訳ですが、全てを説明してしまうと1回でもう良くなってしまう。

そこでどうするか。クラスメイトの目線を通じてやましたくんを描くという案が出ました。それが「たかはしさん」。この絵本のオリジナルキャラクターです。こうすることにより、読者も、たかはしさんの目線を通して「やましたくん」というちょっと変わった子どもを見る、という構造が出来ました。絵本はやはり客観的に淡々と読むのではなく、その世界に入り込んでほしい。この絵本の場合、それはやましたくんのクラスメイトになって彼と(擬似的に)接触することを通じて様々なことを感じ、考える、ということではないかと思うのです。

この段階で画家も決まりました。それまでも数人の候補を考えていたのですが、なにか決め手に欠けていました。なんとなく、頑固そうな目つきの男の子を強めのタッチで描ける画家、というイメージはあったのですが、それがたかはしさんが登場した途端にがらっと変わり、すぐに中田いくみさんの名前が浮かびました。たかはしさんはきっと、周囲をよく見て、他者の気持ちを色々と想像する、繊細な人。この人物の目線を通した世界は、きっと繊細に描かれるべきだ、ということで、時に偽悪的にも感じる表情の子どもを描くことで、その微妙な心情を表現している中田さんに依頼したのでした。

同時に文章を固める作業も進めていきます。もうひとつ、クリアすべきポイントがありました。

絵本の文章の主な要素として、まず、先生やクラスメイトのセリフ、そして、たかはしさんの心の声があります。これがひとつの画面に同居することになります。これ、全部同じフォントで入れるとかなり混乱します。なので、まず考えられるのはフォントを変えること。しかし既成のフォントを2種類以上混在させるのはちょっとうるさいし複雑な印象がある。絵本の約束事を読者に押し付けている感も気になる。結果的に何らかの約束事を受け入れてもらうことになるのですが、それをもっと自然にしたい。あとたかはしさんの心の声は、単なる絵本のテキストというより、もう少し体温を感じさせるものにしたい。

そうやって、書き文字という結論に至ったのでした。この文字、実際に岩崎書店の社員のお子さんに書いていただいています。きちんとその年頃に近い人に書いてほしいと思っていたので良かったです。繊細さを感じさせるきれいな、でもまだ少し子どもっぽさも残している字。絵本のたかはしさんのキャラクターにぴったりの文字になったと思います。

ちなみに、作文の場面でラジカセから流れてくるやましたくんの声、これは実際に山下さんに書いてもらっています。こちらの字とその内容も、なかなか絶妙な小学生っぽさが出ています。こうやって絵本の世界を立体的に作っていきます。

あと、オリジナルキャラとして、ライバル的な存在のガキ大将が登場します。これは、この人物を登場させたいというより、やましたくんのキャラクターをより印象付けたいという意図があります。ガキ大将がからんでくる、でも例えばドッジボールの場面ではやっつける、そういう描写を入れることで、やましたくんはただの喋らないおとなしいだけの人じゃない、ということが際立ってくる。キャラクターが輪郭と奥行きを持つのです。

そうやってライバルっぽい関係を描いておくことが、作文発表のあとの「がんばったやん」に繋がってくるわけです。たかはしさん目線で描きつつ、こういう描写を入れることにより、やましたくんのクラスでの存在のありようもより伝わりやすくなるのではないかと。

そしてクライマックスの卒業式。ここでも、元の文章ではやましたくんが自ら声を出して、このしゃべらないという「ゲーム」を終わらせようと決めるに至った心の動きが細かく説明されています。山下さんが絵本のために書いた最初のテキストでも、それは踏襲されています。

しかし、たかはしさん目線で描くという構造では、それは出来ません。そこでどうするかというと、絵で見せるしかない。絵本を読んでいただくとわかりますが、卒業式の名前が呼ばれる前のコマ、やましたくんは何かを決心しているような表情をしています。心の動きの詳細は説明せず、この表情とそれ以降の流れで読者に色々と想像してもらう、そういう風に作りました。

ここはこの絵本の肝です。特に何度も読むことを想定して作られる絵本ではそうなのですが、最も重要なポイント、もしくは一番伝えたいメッセージ、そいういうものを作品の中で言葉にしてしまわないことです。言葉にしてしまった瞬間、その作品はそれ以上でもそれ以下でもないものになってしまう。

この次のコマでやましたくんは「はい」と返事をします。結果、聞こえないような小さな声だったので、わざと読みづらいフォントで背景に馴染むように入れてますが(これはデザイナー椎名麻美さんのファインプレーです)、それでもやましたくんは声を発した。なぜなんだろう、そこは読者が色々と感じて想像してほしいところなんです。そもそもしゃべらない動機も説明していません。やましたくんはどんな気持ちだったんだろう、自分だったらどうだろう、そういうことを考えてもらえたら嬉しいです。

そうして次の場面では吹き出しのなかにやましたくんの心の声が書かれています。ここで初めて高橋さん目線という約束事が外れます。これは、聞こえはしなかったけど、自ら「はい」と声を発したことにより、彼を取り巻く世界が変わったことを表している、とも解釈出来ます。彼曰く、しゃべらないという「ゲーム」を自ら声を発することで終わらせた、その結果世界が変わったということです。

そうして最後の場面、何かから解放されたかのように、友達と楽しそうに喋る学ラン姿の山下くんで絵本は終わります。中学に上がってからはむしろうるさいくらい喋るようになったそうです。実際、僕の知っている山下さんはめちゃくちゃよく喋るので、このエピソードを『ガケ書房の頃』で読んだ時は尚更驚いたものでした。

震災以降、社会がどんどん窮屈になり、生きづらい世の中になっていきます。「みんながこうしているから、自分もこうしなければいけない」という、社会における同調圧力がますます強くなっているとも感じます。「人と違っていてはいけない」「迷惑をかけてはいけない」、そういった圧力は子どもの社会にも及んでいます。

そういった時代に、さてどんな絵本を子どもに向けて提示するのか、これをきちんと考えないとこれから絵本を作っていくことは出来ないと考えています。好むと好まざるに関わらず、「生きづらさ」に向き合わざるを得ない。『やましたくんはしゃべらない』はそういう気持ちで作った絵本で、他2作品を加えて、合計3作の「こんな子きらいかな?」というシリーズにもなっています。他の2作にもいずれ触れたいと思っています。

というわけで、また次回。


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担当作にミロコマチコ『オオカミがとぶひ』『オレときいろ』、五十嵐大介『人魚のうたがきこえる』、町田尚子『ネコヅメのよる』、石黒亜矢子『えとえとがっせん』、山下賢二&中田いくみ『やましたくんはしゃべらない』など。水曜えほん塾、nowaki絵本ワークショップ主宰。
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