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他人の気持ちは分からずとも

NHKで放送中の『アンという名の少女3』を観ています。『赤毛のアン』が原作ですが、かなり大胆にアレンジしているので、もはや全く別作品と言っても許されるような、野心的なドラマです。
先週放送された第4話に印象的な台詞があったので、記録を含めてここで触れようと思います。

孤児の少女アンを我が子のように愛し育てるマリラ。アンは自分の両親がどうしているのか、自分がなぜ孤児になったのかを調べたいと許可を求めます。マリラは、もしアンが本当の両親を見つけたら、自分の元を去ってしまうのではないかと恐れている気持ちを、アンが通う学校の担任である、ステイシー先生に吐露します。
ステイシー先生は夫ジョナを亡くして現在は独身。村のおせっかいおばさん、レイチェルの薦めで新たな伴侶を探そうとしています。

ステイシー先生はそんなマリラにこう話します。

「いい事教えてあげます。人の持つ愛情には限りは無いんです。アンがこれから誰を愛しても、そのせいであなたとの絆が弱まる事はありません。そうはっきり言いきれます。だって、私がこれから新しいロマンスの相手を見つけたとしても、ジョナに深い愛情を抱き続ける事に変わりはありませんから。」

激しく同意!!

でも、私の経験上、あまり多数派ではないように思います。
以前も少し触れましたが、私は若い時分に妻と死別しています。再婚せずに今に至ります。再婚を考えなかったわけではありませんが、”離婚”はOKだけど、”死別”はNGみたいな露骨な言い回しや感情を何度か耳にしたことも、独りを続けた理由のひとつです。
そういう言葉をきくたびに「そういうもんじゃないんだけどなぁ」と思ったものです。人格を否定されてるように思えて、辛い思いをしました。

そんな経験があったものですから、ステイシー先生の言葉は正に意を得たりといった感じでした。でもやっぱり多数派ではない。
そりゃそうです、若年で死別の経験をする人が少数ですから。理解してもらうのは簡単ではないんでしょうね。「死んだ人には”勝てない”」みたいなことを言われたら、言い返しようがありません。勝ち負けなんてないんだけれど・・・。

まあ、もうずいぶん前の経験なので、今思い出してもあまり気にならなくなりましたけどね。今でも「そういうもんじゃないんだけどなぁ」とは思いますが、”自分が特殊”みたいに思えるので傷つくことはないです。

つくづく、他人の気持ちなんてわかるものではないなぁと思います。気持ちは分からなくても、寄り添い、並走して手助けのできるカウンセリング・コンサルティングをしていきたいものです。

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