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親父、地球は、まるいんだ!

五郎は父親と仲が悪い。
クソ親父と心の中で悪態をついていた時期もあった。

嫌いというわけではないが、常に意見が対立して折り合いがつかない。

そんな親父も一家の父として、懸命に家族を養ってきた。

五郎はそのおかげで大学にもいかせてもらえたし、社会に出るまでお金の事で苦労する事はなかった。

ここは、感謝する所なのにナゼか暖かい気持ちにならない。

親父は昔から酒癖が悪く、激情型であった為、うまくやるには建前で付き合うのが無難だった。

五郎まだ「建前」という言葉の意味すら知らない頃から、本能的に建前を使いこなす特殊能力を手に入れたのだった。

そんな親父の事で母もだいぶ苦労していた。

母は親父や親父の親戚に対する陰口を五郎に話す事があった。
幼い五郎は否定も肯定もせず、ただ話を聞く以外になかった。

そんな母の姿から学んだのか、五郎は強権的な親父に反対意見があっても、自身の生活環境に影響がないかぎりは心内を明かす事はしなかった。

会社のような家族関係...

上司である親父の機嫌を損ねないように、母と五郎はそれぞれの役割を演じた。

やがて五郎は大人になり、社会に出て十数年という長い月日が流れた。

母とは月に2回程度、親父の事も含めた近況を伝え合う仲が続いていたが、親父とはほとんど会話持つ事がなかった。

墓参りに帰郷した時に、親父と対面するわけだが、たわいものない建前の会話をするぐらいであった。

本音でない分、充足感がない。

ある時、母が急病でこの世を去った。

五郎と親父を繋いでいた母が亡くなった事で、親父との関係は、ますます薄くなっていった。

五郎はある時、このまま建前で親父と関係を続けていくのが嫌になった。

そこで、過去の幾つかの出来事に対して自身の本音を伝えてみることにした。

結果、親父は激高した。

本音を伝えた事で疎遠が絶縁へと進んだ。

なんてこった…

どうやら親父の価値観と五郎の価値観は、ま
ったく相容れないらしい。

水と油

昭和ドラマのような、扱いづらい頑固親父ってこういう人をいうのか!?

こんなストーリーだ…

昭和ドラマに出てくる頑固親父は、言葉や態度には表れないけれど、誰も見ていない所で実は息子を応援していたりする。

息子は家を飛び出し、社会で結果を出す。

それでも表面上は、頑固親父は息子を認めない。

やがて親父が危篤の連絡を受け、病院に渋々いくも死に目に会えず。

そのあと親父の遺品整理をしていた息子は、親父が陰ながら自分を応援していた事実を知る。

「親父ーーぃ😭」

という展開である。

五郎は考えてみた。

自分の親父の言葉がけや言動から考えても、心の底では自分を応援しているなんてとても思えない。

しらふでは、いつもイライラしたように眉間にしわをよせて、酒を飲んで気分がいい時だけご機嫌で…
子供ながら、五郎はこういう父親にはなりたくないなぁ…あまり幸せそうじゃないなぁ…と心の奥底で感じていた。

親父はいったいなぜあんな人間になったんだ?

親父は、祖父、祖母、育ちの環境の影響をうけて、今の素質を創り上げたはずだ。

祖父、祖母が悪いかというと、そうではない。

育ちの環境が悪いかというと、そうでもない。

祖父の祖父、祖母の祖母とご先祖様を辿っていっても、原因を見つける事はできない。

祖父、祖母、先祖、皆よかれと思ってそうしてきたのだ。

家族、一族、地域というひとつの集合の中で、脈々と受け継がれてきた価値観。

それは、教える事で継承されるものではなく、人生観、家族観、ご先祖観、死生観、人間観、道徳観が生活の交流の中で脈々と匂いがうつるように染みついていったものだ。

これは素晴らしい反面、とても厄介なものでもあるな…

五郎は考え続けた。

何が染みつくかで、生きやすさ、幸福感、世界観が全く異なる…

多様性いってしまえば、聞こえはいいけど…

例えていうなら、
「地球は平たくてどこまでも続いているんだ!」という事を信じて疑わない大家族。その考えは次の世代へとしっかり受け継がれていく。

ある時代、その一族から「地球は丸いぜ!」という息子が現れた。

その息子は、一族の中で代々続いてきた、暗黙の社会常識や通念をことごとくひっくり返す。

「こっちの方が良くない!?」
とバンバンひっくり返す。

この息子は、一族から追放されかねない。
一族が信じる「正しさ」とは異なる、「正しさ」を主張するからである。

本当の意味で人間を自由にするものが、継承されていけばこの上ないほど素晴らしいことだ。

だが世界は、実にいろいろな過去からの継承にがんじがらめになっている。

ニュースをつければ、いびつな家族関係から発生した、様々な問題や事件を連日知る事ができる。

経済的な面、生活的な面での役割のみの協力関係はあるものの、心の内の深い本音で相容れない事が極まると、事件として表面化する。

家族が互いに相容れないなら、疎遠や絶縁となって関わりがない方がいい。

そのほうが問題や事件には、ならないのではないか。

でも…わかりあえない家族の事を考えると、どうにもならない寂しさを感じる。

五郎は自分の考えがまとまりそうな予感がした。

五郎は親父に本音を伝えた事で、親父と絶縁状態になった。
最大限の礼儀をもった姿勢で言葉を選んで伝えたのにも関わらず…

もしかしたら、人間の本当の自立は、家族、一族、文化の思想的な「相容れるものごと」を一度疑ってみて、もう一度選びなおす事なのではないだろうか?

物事を疑い、選びなおす事は、考え方の硬直化を防ぎ、究極的に人間を自由にするものなのだろう。

親父と絶縁状態になったが、時を得てまた声をかけてみようと思った。

親父、地球は丸いんだぜ…
だからこっち側に来たらどうだい?
人生、虹がかかったようにキラキラしてるんだぜ。

そこには、亡くなった母ちゃんだっているんだ。

死んでしまった弟や、じいちゃん、ばあちゃんだっている。

俺がこっち側に来た事でみんな心の底から喜んでくれているのが分かるんだ。

親父! 地球は、まるかったんだ!




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