駆け落ちについての考察

駆け落ちをするのにはある種の才能が必要だと思う。

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?
を満を持して観た。
作中で可愛い奥菜恵が、同級生の男の子に駆け落ちを持ちかけるシーンがあり、
私の大好きなおやすみプンプンという漫画でもヒロインが主人公を駆け落ちに誘っている。

物語の世界では、数えきれないくらい駆け落ちが題材にされている。
けれどももし自分だったら、すごくすごく好きな人に駆け落ちしようと言われたとして、ついて行くことはできるんだろうか。

子どもの頃は思っていた。私はまだ子どもだし、駆け落ちなんて怖くって絶対無理。
でも今は。
今はすっかり大人で、1人でどこに行くのだって怖くない。だからといって駆け落ちができるかというと、それはまた別の話だということに気付いた。

ということは子どもだから駆け落ちが出来ないというわけではない。駆け落ちをするのには、ある種の才能が必要なのである。物語のように、そこで人生が終わるわけではなく、どこに逃げても人生は続いていってしまうから。

以前とある対談番組でリリーフランキーが、自分が駆け落ちすることをよく考えると言っていて、それを見て私は元々好きだったリリーさんがもっと大好きになってしまった。けれどそれもきっと駆け落ちをするリリーさんが好きというよりは、駆け落ちのことを考えながら現実を生きていらっしゃるリリーさんが好きなのだ。

あまりにも世の中不倫が多いから、いっそ日本を一夫多妻制にしてしまえばいいのでは、というような議題がとある討論番組で上がったとき、でも不倫があるから文学が生まれるんだと言ったのは津川雅彦だった。
駆け落ちをする才能のない私は、そういう危なくて魅惑的な空想の世界に思いを馳せながら、これからも現実を生きていく。

#考察

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