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美濃加茂市長汚職事件の真実 1


美濃加茂市長汚職事件の真実

2014年に起きた「美濃加茂市長汚職事件」はこの事件を知る、多くの人にとって「とても不思議な事件(裁判)」
という印象があると思う。
この事件を「不思議な事件」にした張本人である私が
「なぜこれまで語ることがなかったのか」
そして「なぜこのタイミングで全てを語る気になったのか」
まずはこの2点について記そうと思う。

事件の概要、は追々にするとして
「なぜこれまで語らなかったのか」
実際裁判中に語らない事は当然として、判決は「有罪」という結果になり、これに対し私が語る事は何もなかった。
なぜなら私は「一審の無罪判決」以降藤井陣営から完全に外されていた。
正直私の存在が無ければ「一審の無罪判決」は無かったと思っている。
事実当時私は文字通り「命懸け」で藤井に無罪判決を与える為奔走していたが実際一審で「無罪判決」が出るとは思っていなかった。
その為最高裁まで戦える材料、最終的に無罪判決が勝ち取れる戦略を準備していた。
それが
「まさかの無罪判決」

しかし私は「そんなにうまくいくわけがない」と思い、担当弁護士に対し「しっかり次のプランも準備しましょう」と働きかけた。
しかし担当弁護士は「もう終わった事なんで、何も変わらないですよ」と私の提言を一蹴した。
そもそも「無罪判決」が出た時も真っ先に連絡が来るものだと思っていたが、それもなく、私の印象では
「もう用済み」
といった感じだった。

また藤井自身からも「ありがとうございます」の一言も無く「命懸け、多くの物を犠牲にして、俺のやったことはなんだったんだろう」と虚しさが込み上げてきたのは事実だったが、私のモットーである「自ら、見返りは求めない」という考えから「まぁあの2人の選んだ道」と口をつぐむことにした。

案の定高裁で「有罪判決」が言い渡され刑が確定した。
周りの多くの人は「タカミネさんを捨てなければ無罪でしたね」と言っていたが、それも「あとの祭り」であり、出版や手記などの依頼もあったが、私の中では「終わったこと」としてこれまで公に語ることはしなかった。

では、なぜこのタイミングで語るのか。
先日藤井陣営が「再審請求」したことや、自らの主張を綴った書籍を出版したことはどうでもよかった。

しかし
「美濃加茂市長選挙に出馬する」
という一報が入ってから私は大いに悩んだ。

「もう、終わったこと」と閉じ続けるべきか、正しい情報の一つとして情報開示すべきか大いに迷った。
藤井が最初に当選した市長選で私は大きく関わり、今多くの人が持っている「政治家 藤井浩人」のイメージを作り上げた責任があるのではないか?
藤井は事件当初、捜査や裁判で
「タカミネさんには何もしてもらっていない」
という発言について私は
「俺が教えたこと、俺が与えたものを自分のモノにしている」
という意味で藤井が言っていると思い「それは素晴らしいこと」と思っていたが、事実とは大きく異なっている。

選挙中に多くの人が投票行動の材料にしたであろう
「新聞に連日掲載された政策」の一語一句を考え書いたのは私であるし、チラシ、キャッチフレーズなどの一語一句も関わっている。
また「選挙中に何を訴えるべきか」「どのような戦略で選挙戦を戦うか」も相当アドバイスをした。

何より藤井から「色々教えてください」と懇願されたその日から厳しく伝えてきた政治に関する考え方は多くの影響を与えた。
また詳細は後述するが、出会った時の藤井は決して政治家として認められるものではなく、まずはその考えを叩き直し、一から政治の仕組み、考え方、具体的な政策など多くを伝えてきた。

ます取り組んだのは、
「若さは売りだが、同時に未熟」というイメージを払拭する
為、「とにかく頭脳に関しては俺に任せろ。そうすればあたかも、20代の若さに俺の経験、知識が備わってるモンスターになれるよ」と言い、藤井自身も「是非お願いします。しっかり学んでいきます。」と目を輝かせていた。
事件の捜査中に担当刑事から見せられた藤井のメモには私が語る一語一句が記されており、その誠実さに涙がこぼれ「藤井を命懸けで守ってやろう」と決意した。

では「今の藤井は私が命懸けで守ろうとした政治家なのか?」という疑問が湧いてくる。
逮捕直前に「会いたい」と言われあった時に「タカミネさん役所に入ってくれませんか?今のままでは実際何もできない。タカミネさんが現場に入って進めて欲しい」と打診された。
その時藤井とは
「将来、最年少総理大臣を目指すなら考えるよ」
と言いそれが藤井と交わした最後の言葉になっている。
事実最初に「まずは市長になれ」と言ったのも私だし(まだその時は市長選のシの字もない時だったが)実際藤井なら「史上最年少総理大臣」になれると思っていた。

あくまで「あのままの藤井なら」であるが。

今の藤井がどんな人間になっているかわからない。
あの事件が彼を良くしたのか、悪くしたのかもわからない。
ただ事実として、最初の選挙で美濃加茂市民の皆さんが見ていた「藤井浩人というモンスター」とは全く別人であるという事は伝えなければという思いから、この手記を書いている。

何より「藤井浩人というモンスター」を作った人間として、美濃加茂市民の皆様を欺いたままでいいのか」という「贖罪」としてもこの手記を記すことにした。
これを美濃加茂市民の皆様がどう受け取り、何を感じるのか想像もしないが、「疑問」や「質問」があればしっかり答えていこうと思う。
本来は当事者の藤井がすべきことであるが、先に述べたように、「最初の選挙」「一審の無罪」は大きく関わった私の責任であり、これらを「真摯」に受け止める時が来たのだと思う。

この後事件や捜査、裁判に関して記憶や記録に基づいて記していくがあくまで私の主観であり、また捜査、裁判で語ってい事実も多いので、過去の資料や、出版物と照らし合わせて「自己責任」で判断してほしい。

では、全てを語ります。


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