美濃加茂市長汚職事件の真実 14

結局昨日藤井が予告していた「インスタライブで私の噂、批判に対してお答えします」という配信では「タカミネの『た』の字も出ずに配信は終わった。
これが「どちらが嘘をついているのか」の全ての答えだと思う。

今日も少し時間軸を無視していきます。

藤井が金をもらったのはガストでもらった10万円と居酒屋でもらった20万円。
今日はあまり表に出ていない20万円の話を。

この店はN氏が懇意にしていた店で、色々な打ち合わせで利用しており、
記憶では藤井とも複数回訪れた記憶があります。

ここは「記憶」ではなく「事件当時の資料を元に記憶喚起」した話ですが、その日は藤井の市長選出馬への相談を受けていたということ。
確か市長になってからの祝勝会がてらにもこの店か、この近くの店を使った記憶があったので、「10万円を受け取ったガスト」ほど明確な記憶はありませんでした。
N氏はどの店に行っても「顔」というタイプで、お店の人から大切にされていました。
金払いの良さなのか、しっかりしたサービスを求めるのか、食事の店も、キャバクラなどでも相当な「顔」でした。

藤井と会う時はいつも藤井が私の政治観、政策論を聞く会になっていたので、同席しているN氏はただそれを聞いて会計をするだけという形が基本で、その日は「市長選に向けての打ち合わせ」だったので、いつも以上にただ「お金を払いに来た」という立場だった。
この時のN氏との関係性は、N氏は「なんとでも市長になってもらって、自分の事業を進めてもらいたい。そのためタカミネの知恵を藤井に授け市長への道を開いて欲しい」
藤井は「私の力を得て是非とも市長になりたい」
という関係だった。
先日美濃加茂に行き分かったことだが、藤井に「市長にならないか?」という話があって、その話を一番に相談したのは私だったのではないか。という噂を耳にした。
暗に藤井はそのような空気だったし、実際市長の話が出る随分前に私から「市長になれ」と冗談半分、本気半分で言われていたので、私と理論武装の土台を固め選挙戦に臨もうと思っていたと思う。
実際の選挙戦は前市長の選対を中心に行うということだったので、私は政策、選挙の方向性を担当する役割だった。

N氏は事前に藤井が来たら、「話の邪魔になってはいけないから挨拶程度で帰ります」と言っていた。
別日の藤井との打ち合わせ時の食事代などは、N氏が「自分の事業の推進」の為スポンサーになることが多く、後で領収証で精算したり、現金を預かったりしたこともあったが、この日はなぜか「お金だけを払っって帰る」という異例の対応だった。
この異例な出来事は記憶があった。

他の部分が記憶は薄いが、取り調べ時の情報とその記憶喚起を元にすると、N氏と店に付き「藤井君にうちの仕事の件しっかりアピールしてくださいね」と言われ、「藤井君は分かってると思うよ。市長になったら相当状況も変わるし」
「絶対市長になってもらわないとダメですね。」
「前市長の後継というのと、若さの頼りなさをうまく埋められれば可能性は相当あるんじゃないかな」
「そこはタカミネさんにお任せします。藤井さん選挙資金あるんですかね?」
「うーん、そんなにお金のあるイメージではないけど、藤井には『金集めならするから遠慮なく言えよ』とは言ってるけど、特にその辺りも相談してこないし、大丈夫なんじゃないかなぁ」
ここでN氏は多分「必要なら準備してでも応援したい」という気持ちはあったのだと思う。そのくらい藤井の市長就任に賭けていた。

その思いが市長選挙中の私の美濃加茂潜伏にも繋がる。
N氏もやはり藤井に対してはどこか頼りなさを感じており、私がいる時と私の存在が希薄な時の違いを危惧していた。
こんな話がある。
事件のきっかけとなった「浄水プラント」はプールに溜まった雨水を濾過し、災害時など飲料水にする。もしくは通常から学校の飲料水にする。
というものであったが、これを読まれている方はどのような印象を持つだろう?
「え?プールの水を飲むの?」「雨水を飲むの?」これがほとんどの人の感想だと思う。
当然藤井が役所に提案した際も同様の拒否反応だった。
それに対し藤井は「そんなの飲めばいいんですよ!黙らせればいいんですよ!」と乱暴な対応をしており、それによって関係者はさらに頑なに反対をした。
その状況を見兼ねたN氏は
「タカミネさんなんとかしてください」と懇願してきた。
そして藤井と合った際も藤井は「飲ませればいいんですよ!」と強気だった。この乱暴さはある意味政治家としての資質だがあくまでそれを活かす知恵があってのものだ。
「藤井くんそんな無茶はダメだよ。うまくいくものもダメになるよ」
「どうすればいいんですか?」
「よく考えてみ?この世に雨水じゃない水ってある?この前にある水もジュースもいうならば井戸水もペットボトルのミネラルウォーターも全部雨水だよ」
「言われてみるとそうですね」と目から鱗で顔がキラキラしてきた。
「でしょ、それが山に染み込んで濾過されてミネラルを含んで湧き出るのがミネラルウォーター、さらに染み込み地中を流れてそれを組み上げるのが井戸水。雨水をダムという大きなプールに溜めて濾過して水道管を通って蛇口から出るのが水道水。でその水道水は長い時間長い距離水道管を通ってくるので大量の塩素で消毒して、蛇口から出る際の残留塩素の基準が満たされる事が水道法で決まっている。それと同じことで、学校のプールに溜めた雨水を濾過し、水道法の残留塩素の基準に沿った程度の塩素で消毒すれば全く同じ。どころか汚い水道管を長々通ってくるわけじゃないから、塩素の投入量も少ない『美味しくて新鮮な水道水』っていうのが今回の浄水プラント」
これを台本もなく雑談の中でスラスラいう私に対し、先程の目から鱗でキラキラした目が尊敬の眼差しに変わる。
そりゃそうだろう。自分がどうもできずに「飲ませればいい」と開き直るしか術がなかった案件を、最も簡単に解決したのだから。
しかし、ここからが藤井の真骨頂であり、私が命懸けで守る価値があった政治家だ。
「ならばその浄水プラントの仕組みを子供達にわかりやすく見せて『飲料水ってってこうやってできているんだよ』『世の中に雨水ではない水はないよ』って教育に繋げられますね。『新鮮で安全な美味しい水』も飲ませてあげられますし」
と私の論理をもとに、素晴らしい政策に飛躍させた。
このような話がいくつもあり、N氏は「タカミネがついている藤井は頼りになるが、タカミネがついていない藤井は頼りないし、不安だ」という思いが強かった。

その為市長選挙中も私を藤井のそばに置き、「良い時の藤井」でいることを望んでいた。
そして藤井に「Nさんが俺を美濃加茂に送り込んで、藤井のそばでさせて欲しいって言ってるんだけど当然費用はNさんが持つし」
と提案をすると、
「でも選挙になると握手、握手でなかなかお伺いできないかもしれませんよ」
「それでもいいんじゃない?俺も美濃加茂散策すれば、色々見えてくるものもあるし、何より近くにいれば少し時間が空いたっていうだけでも打ち合わせできるし、何より近くにいると安心でしょ」
というと、快く受け入れ、あの「丸投げ」の新聞アンケート(美濃加茂のことを知らなければ到底書けないもの)、選挙中の隠密行動(当時藤井は「あれは大きかった」と言っていた)さらには「当選後の第一声に組み込まれた「前市長の渡辺直由氏のお父上であられる渡辺栄一氏が美濃加茂市の前身の太田町長になられたのは、奇しくも今の私と同じ年齢の時でした・・」という感動的なスピーチが生まれるきっかけにもなった。
この話をした時藤井は「え?そうなんですか?」と全く知らなかったようだったが。
余談だが先日美濃加茂市で市民の方とお話しする機会があった時にこの話をすると「あれは感動した。藤井には奇跡を感じた」と言っていたが、「あれ僕がどっかのおじいさんに聞いて藤井に教えたんですよ。藤井は全く知らなかったみたいですけど」というと、「騙された」と悔しそうだったが「いや騙したのは僕かもしれません・・」というやりとりがあった。

藤井は「タカミネには選挙中何も手伝ってもらっていない」という主張をしているが、これは全くの嘘で私が美濃加茂に潜伏していたからできたことはたくさんある。
そしてその費用はN氏が全て負担しており、それを藤井は認識していた為、事件当初言われていた「N氏が準備したタカミネという賄賂」という話はあながち間違いではない。
だからこそ藤井は市長になった後、N氏の事業の為浄水プラントを強引に設置したのだと思う」

話はあの日の居酒屋に戻る。
しばらくすると藤井が到着し、食事の注文をした。

ここでひとつ、ふたつ思い出す事がある。
普段は私が上座に座ることが多いが、いつかの会食では「おお、市長どうぞこちらへ」とふざけて藤井を上座に案内したことがある。
その事から実際お金の受け渡しが行われたのが市長になってからという勘違いもあった。
あとひとつ、これは調べが進む中で思い出したのだが、私は食事の際は酒を飲むので車を「時間打ち切り料金」の駐車場に停め、翌日アルコールが抜けてから帰宅する形を取っていた。
ここはまたイレギュラーな話なので、気がつくと記憶が戻るのだが、一度いつもの駐車場が空いてなく、ひとまず路上駐車をして後から駐車場に停めた記憶がある。
その際窓際の席で自分の車を見張り、駐禁が来ないか気にしていた記憶がある。
それがいつかは定かではないが、アルコールを飲んだ後中座して車を移動することはないので、飲む前に移動させているはずだ。
となると藤井が市長になった後は、藤井を上座に座らせるおふざけをしているので、その際に席を外した記憶がない。
ということは、この日藤井が到着してから、「ちょっと車動かしてくるわ」というのが自然で、となると「藤井とN氏を2人きりにした」という可能性が出てくる。
これは思い出せば思い出すほど記憶は鮮明になり、後に駐車場の領収証の時間の日付を確認しても辻褄が合った。
しかし、調べや裁判では「トイレに行ってないか?」「電話で中座していないか?」としか聞かれていなかったので、その質問に答えるという形でこのことが表に出ることは無かった。
読んでる方は「なぜ自ら本当のことを話さなかったのか」と思われると思うが、当時私は藤井を守る為なら手段を選ばなかった。
嘘をつく事はその嘘がバレれば全てが崩壊するし、また法的な問題もある。
もともと私は仕事上無駄な情報漏洩を避ける為「たくさん話はするけれど肝心なことは話さない」という特徴を持っている。
なので都合の悪いことは「質問させない」という、会話の組み立ても考えて人と関わる人間だ。
当時の調べや裁判でも、このことに触れさせずに、尚且つ嘘をつかずに乗り越えた。
どこかで書いたと思うが、裁判で一番怖かったのは「タカミネさんは藤井がお金をもらったと思いますか?」と聞かれる事だった。
「無駄なことは言わないが、嘘はつかない」という私のスタイルでもしそれを問われれば「貰ったと思う」と答えるしかなかった。
なぜそれを聞かなかったんだろうと思うが、「仮に聞いても『貰ってないと思う』と答える」というイメージを事前にしっかり付けていたからだと思う。
読まれてる方は「腹黒い策士だ」と思われるだろうが、そのくらいでなければ「有罪率99.9%」の裁判で無罪に持ち込む事など到底無理だった。
それを踏まえれば、私を切った藤井が有罪になり、刑が確定したことも頷ける話だと思う。

では、その私が車を動かした時にお金が渡されたのかというと、私は違うと思う。
なぜなら、N氏がお金を渡したという状況に思い当たることがあった。
N氏の証言では「タカミネが席を外した時に『藤井の隣に座り』お金を渡した」と証言している。
この「藤井の隣に座り」をまたこれもイレギュラーなことなので鮮明に覚えている。
この日は先ほども言ったようにN氏は「挨拶だけ」という名目で同席しており、早々に席を外す予定だった。
ひと通り食事をし、N氏は席を立った、支払いに行ったのか、トイレに行ったのかはわからないが、N氏は席に戻ってくると「藤井の横に腰掛けた」
そして店員を呼び「コーラください」と注文をした。それに呼応するように藤井も「僕もください」と続けた。
それに対し私は「お前らさぁ、俺が飲んでるのにコーラかよ」とふざけて私の酒に付き合わない2人を嗜めた。
この記憶が画像として鮮明に残っている。
N氏の「タカミネが席を外した時に『藤井の隣に座り』お金を渡した」という証言は、あながち間違っておらず、「自らが一度席を立ち、戻った際に『藤井の横に座り』お金を渡した」となれば、私は「その光景ははっきり見た」と答える。
横にすわてしまえば、私に見えないテーブルの下などでお金を渡すのは容易いことで、そのように渡したとなればN氏の証言にも信憑性が出てくる。
何度も言うようにN氏は「人を貶めるために嘘をつく」ような人物ではなく、ここでの証言は調べる側の意向が混ざってしまった真実に近い証言である。
この証言を聞き、記憶が鮮明に戻った時に私は「やっぱり藤井はもらっているんだな」と確信した。
この話を、誰にも質問させずに、また自ら人に話さないようにずっと我慢してきた。

これが20万円が渡された居酒屋での出来事だ。

ここからは有料記事なのでご希望の方のみ自己責任でご覧ください。
裁判における私の立ち位置、したたかな戦術。
私個人の「嘘」に対する哲学。
また明日以降の美濃加茂市の話。
そして「名誉毀損」での「刑事告訴」の話。
少しボリュームはあるが、一読していただきたい内容だ。


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