美濃加茂市長汚職事件の真実 16

昨日また美濃加茂に入りました。
予定は「藤井の供述のように二転三転」しましたが(笑)、結果予定よりも多くの方とお話しすることもできました。
またこのnoteでの「有料記事」の売り上げも全て美濃加茂市に還元することもでき、今どこのお店もやってない状況の中では、まぁまぁ経済に貢献したのかと(笑)
あと、美濃加茂市の美味しい店もいくつか見つけ、また美濃加茂に入る楽しみもできました。

冗談はさておき、お話しさせて頂いた人は皆さんいつもの
「騙されてた」
「そういうことだったのか」
という反応で、今回は何人か藤井を「ヒロト」と呼ぶ距離感の人ともお話ししましたが、その方達は
「そうやって聞くと実にヒロトらしい」
と藤井の本当の人となりを知っているからこそ、私の話に納得する方もいらっしゃいました。

ただ私の肌感ですが、4分の1の方は
「(自分の気持ちが揺らぐから)そんな話聞きたくない」
と耳を塞ぐ方もいらっしゃいました。(奇しくもマスコミが調査として出した「藤井は冤罪だと思っている」と同じような割合ですね)

この人達には何を言っても無理かと。

「若いから良いんだ」「若いから期待できる」と自分に言い聞かせているようですが、本当にそうでしょうか?

彼が議員になり、市長になり、何をしたでしょうか?

「プールに浄水プラントを設置した」
これは政治的には比較的有意義なことですが、それ以外の成果は聞こえてきません。

また多くの人と話していると
「ヒロトは世間知らず」
ということを皆さん口々に言われます。

考えてみればそうです。

学校を出て、25歳で議員になり、28歳で市長、すぐに逮捕され、その後は「私は冤罪だ」という嘘をつき続ける人生。

これのどこに社会経験ができるのでしょうか?

そして今は37歳、社会人なら中堅に差し掛かり、むしろ
「社会経験による常識と自分の理想の狭間で苦悩する時期」
であるにも関わらず、
「嘘を平気でつき続け、世話になった人間を次々足蹴にする人生」
の藤井に何が期待できるのでしょう。

私は彼が
「前科者」
であることは、彼は司法の裁き、罰を既に受けており、人生においては一つの経験だと思っていますが、あくまでそれは
「罪を認めた上で」
の話。

今のように
「嘘をつき続けている」
状態では、なんの経験もできませんし、
「自らの非を認める」
「人と誠実に付き合う」
という人として当たり前の事ができない人間としか評価できません。

彼の言葉全て
「いつもありがとうございます」
は事件当初、N氏に放ったのが最後の言葉で、今の
「嘘が前提にある『ありがとう』」
はどこか裏でほくそ笑んでいるように感じます。

直接お話を伺ったエピソードですが、ここに掲載する了承を得ていないので、具体的には書きませんが
「ありがとう」
の言葉に付随する
「常識」
が信じられないほど欠如した話も聞きました。

まさに
「社会常識の無さ」
のエピソードでした。

美濃加茂市民の皆様はこのような現状を、しっかり見据え、彼の一挙手一投足に気を配る事が大切になると思います。

本来ならこの記事からまた時系列として
「美濃加茂市長汚職事件の真実10」
の続きに戻ろうと思っていましたが、色々と思うところもあり、もう一度イレギュラーに。
事件の発端となり、また藤井が市長として唯一残した成果である「浄水プラント」についてお話します。

なぜなら美濃加茂市に入ると、あの事件当時亡くなられた方の話が必ず出てきており、またその方に藤井は線香の一つもあげていないという話が出てきます。

私は面識もなく直接関わったことのない人ですが、私の関わった「浄水プラント」が無ければ(そもそも藤井が金を受け取らなければですが)そのような悲劇を生む事もなかったのかと。

ですから、どんな経緯でなぜあのような物が設置されることになったのか、そしてその裏では何が起きていたのか、を記すことは、それを知る者の責任として記しておこうと思いました。


これは私とN氏が出会った所から始まる。
知人の紹介で私が「政策シンクタンクを始めたなら会ってあげてほしい人がいる」とN氏を紹介された。

以前の記事でも軽く触れたが、私は2011年から政策シンクタンク「D.S.P Lab」を始めた。

これは当時河村たかし率いる減税日本が躍進し、本当に一般市民が議員になった。

この一般市民というのが厄介で「商売に失敗したもの」や「誰も知らないタレント」など、政治の「セ」の字もわからない輩ばかりだった。(ある意味庶民だが、一般庶民よりも問題があった)

そのような十把一絡げのような議員では何もできるわけもなく、むしろ議員バッジを付けることでの勘違いが危惧され、民間の政策シンクタンクを作ることで少しでも世の中を良くする事ができないかと思い設立した。

「政治と金」「本当の政治のあり方」ということもあったが、直前に起きた「東日本大震災」を目の当たりにし、私は
「自分の人生よりもやるべき事がある」
と決断し「D.S.P Lab」を設立した。

この話は長くなるし、面白いのでまた後に記事にする。

ひとつのコンセプトとして「政治と金」があった。
政治家と業者が直接繋がることで、癒着が始まり、「金と利益供与」という全く国民にはメリットのない図式になります。

ここに民間の政策シンクタンクが入ることで
「企業の技術やアイデアを活用し、国民の為の政策を作り、政治に提案する。また政治家は優れた政策を手にする事ができる」
といった実のある政策、さらには
「自らの企業のノウハウを活かした政策立案の対価、議員は自らが提案できる政策の対価」
として企業、政治家両者から報酬をもらうことで
「金での癒着」
を避ける事ができる。

ただ実際名ばかりの「政策シンクタンク」なるものはあるが、どこかに属していたり、大手の「ビジネスシンクタンク」になっているため(特にそれらの存在は否定しないが)「アメリカ的(韓国も今はその流れ)政策シンクタンク」は皆無で、それを実現しようとしたものだ。

そんな流れからN氏が知人を介して、アプローチをしてきた。
最初の印象は「悪い意味での礼儀ができている人間」
高級(?)中華料理店の個室に案内され、直立不動で私を出迎えた。

私は人に媚びることは「こいつは媚とけば喜ぶんだろ」と馬鹿にされている気がして、媚びることも媚びられることも嫌いなので、決して第一印象は良くなかった。

しかし、彼の提案は私の知らぬ専門的な話で、とても興味深いものだった。
この時提案されたのは
「病院に井戸を掘る話」
だった。

通常大きな病院では敷地内に井戸を掘りその井戸水を濾過して活用している。
これは「水道料金の削減」もあるが、「災害時のインフラ確保」という面でも大きな意味をなしている。
災害時にインフラで一番ダメージを受け復旧も、対応も困難なのが水。
水は飲料水もさる事ながら、料理、風呂、洗濯など様々な部分に影響を及ぼす。
さらに病院では「人工透析」という大量の水が必要な治療もあり、水が分断されれば、直接の災害ではない死者を生むことになる。
しかし名古屋市の市民病院ではそのような井戸水を活用するシステムは採用されていなかった。

なぜなら同じ名古屋市内に「水道局」という水を売る部署があり、そこの手前「井戸を掘る」などという民間では当たり前の行為すらできていなかった。
しかし病院局は大赤字で、せっかくの市民病院を民間に業務委託をするといった本末転倒な事が起きていた。
それを病院局に投げかけると好感触どころか積極的に取り組みたいとの意向であったが、その寸前に
「実は水道局から横槍が入りまして・・あちらは事業局で利益を出しているので立場が弱い。なんとかしてくれませんか?」
という状況になった。

ここから先はここで話すとまた私の身が危なくなるので
(実際今まで一番身の危険を感じたのは、暴力団でも不良グループでもなく水道利権に手をかけた時だったので)
またこの政策を進める勇気のある政治家が現れた時まで伏せておく。

が、実際あの時N氏が逮捕されてなければ、確実に実現していた政策だった。
年間数億円、市民病院がある限りこれは未来永劫続き数十億、数百億の削減になり、災害時も安心できる政策だった。

これを提案したのがN氏だった。
私は最初の印象や、水道利権に手を入れる危険性から依頼を受けることに何色を示したが、N氏の「お金は払います」という申し出は「彼のやる気」と取ってもう少し詳しい話を聞くことにした。

後日私が当時経営していた居酒屋にN氏はやってきた。
やはり、よくよく話を聞くと意味のある政策に発展させられそうで、尚且つ知人の顔もあり(数年来の友人)受ける気持ちになったが、その場に既に金を持ってきていたN氏の礼儀正しさに少し警戒心を持った。

これはしっかり金を払える人間との付き合いは、全て利害のみになり、政治という「あちらを立てればこちらが立たず」という世界ではとても危険なものになり得る。

私の政策シンクタンクのコンセプトは「金儲け」ではなかったので、その辺りは「活動理念がブレるのではないか?」という迷いもあり「もう少し考えたい」と回答した。

それに対しN氏は「準備するものはもう準備してきたので」と「活動資金」として私に手渡した。

N氏は「これを渡せればやってくれる」と踏んでひとつの駆け引きとして打った手だったが、私は「別にやらないなら知人を介して返せばいい」とその場はN氏に恥をかかせることはしなかった。

その後依頼を受けることになるのだが、私が依頼を受けた理由は金ではなかった。
彼が持ってきた手土産だ。
それは岐阜の「栗きんとん」であったが皆さんのよく知るお店の物ではなかった。
ありがたく一口食べたところ、有名店よりもさらに美味しく、私が今まで食べたものの中でも群を抜いた美味しさだった。

これが決め手になった。

食べ物に釣られたわけではない。
私は手土産という物にかなり拘りを持っていて、自分が渡すときは「その手土産の意味(心遣い)を相手が理解できるか?」を判断し、自分に渡された物には「この手土産にはどんな意味があるのか?それとも単に礼儀として持ってきた物なのか?」を探る癖があった。

この時のN氏の手土産はありきたりなデパ地下で買った、大手の栗きんとんではなく、きっと誰かに「高級飲食店をやってる人だからその人が納得する土産はないか?」とそこまでではなくとも、しっかり探して購入してきたものであることを感じた。

それを踏まえるとN氏の「悪い意味での礼儀正しさ」の奥には「本当に相手の事を思いやれる気持ち」がある事がわかった。

確かにその後N氏と関われば関わるほど、それは強固な者となった。

だから藤井や郷原弁護士の言う「N氏は詐欺師だ!詐欺師の言うことを信じるな!」と言う主張には腹が立つ。
前にも書いたが「詐欺行為はあったが、1人でそれを被り、また人を貶めるための証言は証言は一切していない」N氏を一番知る私の意見として記しておく。

前にも書いた「いい人ではないが、悪い人ではない」とはこういう事である。
どちらかといえば
「嘘をつき続けている藤井」
の方が問題で、それを聞いた近しい人が
「ヒロトらしい」
と口を揃えるところを見ると見えてくるものがあるだろう。

「好き嫌い」で物事を判断するのではなくフラットな状態で物事を見て好き嫌いを判断することが「ファクト」への近道だ。

話が逸れた。戻していこう。
この病院への「井戸を掘る」というものを「プールの雨水を利用して学校の水道料金削減」というアイデアを作ったのはN氏だった。
彼は私に出会っってから、人が変わったように政治や世の中の矛盾に興味を持ち始め、また「政治家が何もしない」という実態に怒りを持ち「僕が議員になる」とまで言い出していた。

後でわかる事だが、N氏は私と出会う前から犯罪行為をしており、その一面と私と出会ってから「自分の事業を社会貢献に」という両面が生まれていたのだと思う。

彼のアイデアは素晴らしく、そこに私が
「災害時に避難所となるのは学校。その学校に水があるのはトイレも流せるし、風呂にも入れる、洗濯もできれば人工透析もできる。名古屋市は自校給食(給食センターではなく学校内で給食を作っている)だから、食事もちゃんと食べられる」
という、政治的なエッセンスを足し素晴らしい政策となった。

皆さんはこの政策をどう思うだろう?
素晴らしい以外に問題点があるなら是非指摘してほしい。

しかし案の定名古屋市に提案するも
「水道局の横槍」
「水道局から頼まれたであろう多くの議員からの横槍」
で病院以上に話が進まなかった。

それに対し議会質問で私のプランで議員が役所をやり込める為、今度は
「その議員のありもしないスキャンダルがメディアに報じられ」
その議員は死に体となってしまった。

本当に卑怯な世界だ。

私への身の危険も日に日に増し、それらに屈しない為、商売を辞め、定住の家すら持たずに活動することにした。

そんな中で藤井が市長になるという話が出る。

議員時代に探りを入れる意味で藤井に議会での質問をしてもらったが、全く聞く耳を持たない状態であった。(これがガストでの10万円)

その後、市長になるという話が出た時
「Nさん、もし藤井が市長になればチャンスは出てきますよ。首長は大統領なんでやれることの幅が違いますから」

この話を聞きN氏は居酒屋で20万円を渡したのだろう。

だから実際の認識は「議会質問で10万円、市長になるから20万円」という認識だ。

そして藤井は市長になる。

しかし、ここで大きな問題があった。

この浄水プラントは
「プールの水を濾過して活用する物だが、その水を活用することでこれまでの水道料金より安くなる」
という物だった。

名古屋市の大規模な学校なら、使用する水の量が多い為メリットはあるが、美濃加茂の学校ではさほどメリットはなく、設置する理由がなかった。

ここで私が考えたのが、
「美濃加茂市で色々な企業のチャレンジ、実験の場を提供し支援をし、それを市長のトップセールスで全国に広める」
という政策だ。
(確か今回の藤井の政策にも似たような中身のない物があったような気がするが・・)

これが全国に広まれば美濃加茂市に拠点を置いた企業は潤い、また美濃加茂は
「あらゆる革新的なベンチャーが生まれる場」
という
「日本のシリコンバレー」になれる政策だった。

このような論理を元に藤井はこの案件を進めた。

この成功を勝ち取れれば、先に述べた
「様々な革新的なベンチャーが集まる」
可能性が拡大し、美濃加茂市が大きく変わる可能性があった。

だから藤井は金などもらう必要はなかった。

なぜ貰ってしまったのかは、いまだに悔やまれるし、なぜそれを俺に相談しなかったのかも非常に悔やまれる。
還付金を貰うほど塾の経営がうまくいっておらず、金が無かったのだろう。

政策としては万全だった。
ただ役所がこの事業を進める意味がなかった。

ここは私は危惧をしていた。
さらには流石の私のアイデアも手詰まりだった。

こういう話だ。

この浄水プラントの設置で災害時のメリットはあるが、通常時のメリットはない。また、水道料金においても、学校自体が小規模な為、このプラントにかかる費用をペイすることはできない。
これを設置することは無駄に業者に利益を与えることになる。
という事だ。

N氏は「考えてください。タカミネさんが頼りなんで」と毎日のように2人で相談をしていたが、
「藤井と3人であった居酒屋」
そしてまた同じ場所で
「藤井が市長になった後、また3人であった」
頃から様子は大きく変わる。

N氏はこの件について
「役所の人間と繋いでもらった」
と話し、その役所の回答を私に持ってくるようになった。

その回答は私が危惧していたような「美濃加茂市のメリットがない」という物ではなく「設置する前提での問題点、設置後のメリット」が多かった。

私は違和感を感じてはいたが
「藤井が役所に圧力をかけたのであろう」
と気には止めなかった。

藤井は事あるごとに「
そんなのやればいいんですよ!」
と論理を無視した乱暴な発言が多く、これを市長が発すれば当然役所の人間は「忖度」が始まる。

それと同時にN氏からこんな相談をされた事があった。
「役所の人間はどうやったら金を受け取りますか?」という相談だ。

この意味は事実も何もわからないので、ひとつのN氏と私の会話の「ファクト」として記すだけだが、私は「手癖の悪い奴は自分から合図するし、こっちの合図にもすぐに反応しますよ。でもそんな金があるなら僕への支払いをちゃんとしてください。そんなことしなくても進むものは進むので」
と釘を刺していた。

これがきっと藤井が私に「金を貰った」事を相談しなかったきっかけになったと思う。
N氏は「タカミネにバレたらまた回収される」との思いで「タカミネさんには絶対内緒で」と言っていたらしい。

ここからは市役所職員とN氏のやり取りでドンドンことは進んでいった。
私はその報告を受けながら、問題点を解決する手伝いをしていたので、その流れのスムーズさに「やはり首長は違うな」と一介の議員と市長の権力の違いを改めて認識した。

私が危惧していた問題点は解決されないまま、結局「設置費用、維持費は業者が持つ」という美濃加茂市もN氏も誰も得しない物となり、実際に設置された。

正直私は納得行く物ではなかったが、N氏、美濃加茂市がそれでいいというならそれでいいのではという少し醒めた感覚であった。

実際、早い段階で藤井の手からも離れていたのだろう。

役所とN氏が進めた浄水プラントの話を藤井とすることはあまりなかった。
それよりももっと意味のある政策の話に時間を割いていた。

その後N氏はこの浄水プラントを自ら色々な自治体にセールスしていたが、そこには藤井のトップセールスはなかった。

これが事件の発端となった浄水プラントの話だ。
未だ私も掴めていない事実もありそうだし、それは今後掴めることもないかもしれない。

長くなってしまうので部分部分端折った箇所があるのでわかりにくいところもあるがそれはまた質問してほしい。

https://twitter.com/dsplab2011 タカミネヒロシ)

またこれに関する情報がある人も是非寄せて欲しい。
「俺は知らない」は許されるとは思っていない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?