美濃加茂市長汚職事件の真実 2

今回は事件自体や捜査、裁判を語る前に知っておくべき事を書きます。

この基本を皆が見誤り、勘違いをしたまま事件を見た為「不思議な事件」となった。

一番は警察、検察、裁判所までがこの本質を見ることができなかった。
その結果「おかしな捜査」「おかしなストーリー」「おかしな裁判」になってしまったのです。


先ずは私と藤井の出会いから。

藤井と初めて会ったのは共通の知り合いの紹介だった。


「美濃加茂に若くてやる気に溢れた議員がいる。でもまだまだ経験不足だから一度会ってアドバイスをしてあげてくれないか?」


当時私は「D.S.P Lab(新民社政策研究所)」という名前で「政策シンクタンク」「企業コンサルタント」を行っていた。

その中で「行政と民間企業の関係」というところに注目し、新たな政治の形を模索していた。

当時(今も変わらないと思うが)は「企業が議員にお願いし、行政の仕事を取る」ということが行われており、それが「無駄な事業」「不正なお金の流れ」などを生む原因だと思い、「健全な行政と民間企業の関係」を構築しようとしていた。

(詳細はまた別ブロックで書くが、この考え方は多くの政治家、企業の賛同を得ていた)


そういったコンサル業のひとつとして、ある事業と行政の関係構築を打診されていたのだが、同じ事業に興味を持っている藤井がどうやって政策に昇華すれば良いか行き詰まっているという。

その人には大変世話になっており、また人間的にも魅力のある人だったので快く引き受けた。

藤井の第一印象は皆が思うであろう
「好青年」
だった。

「初めまして、美濃加茂市議の藤井です」
と差し出された名刺に見覚えのある文字を見つけた。

それはある政治グループの名前で、以前私が付き合いがあった名古屋市議も所属していたグループだった。

そのグループは
「中国をシナと呼ぶ」
ような人間が多くいるグループで私は正直関わりたくないグループだった。

一緒に活動していた名古屋市議も当時はやり始めていた
「ネット右翼」
あがりでそのグループに参加しており
「あー、この子もその手の奴か」
と悄然とした。

本題に関してもそもそも役所への働きかけ方が間違っており、また役所マジックとも言える
「ゼロ回答」
を握りしめ佇んでいる状態だった。

先にあげたグループへの嫌悪感も手伝い
「そもそも全然ダメだよ。目的を明確にして、それを実現できるものを役所から引き出さなければ意味がない」
など、なかなか意地悪で厳しい意見を藤井にぶつけた。

流石に意気消沈していた感もあるが「じゃあそれを踏まえて役所に投げてみます」と言い別れた。

私の藤井に対する印象は
「まぁ若くて元気はあるが、あのグループ的な『差別的な思想』が抜けない限りはダメだろうな」
とその日は別れた。


その二日後藤井からメールが届いた。


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一昨日お話しさせていただきました岐阜県美濃加茂市の藤井です。

(中略)

高峰様には、他の件でも色々とお話しさせていただきたいと、

勝手ながら強く望んでいますので今後も宜しくおねがいいたします!!

美濃加茂市 藤井浩人


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正直驚いた。

根本的に自分とは考え方が違い関わりたくないと思い、相当厳しい言い方や、到底理解できないであろう専門用語を使って突き放したはずなのに、ここまで食い下がってくる事は想像もつかなかった。

後に藤井にそのことを尋ねると「なんかビビッときたんですよ」と言ってた気がする。

その結果、後に
「美濃加茂市長」
にまでなるんだから藤井の「ビビッ」も捨てたものではなかったのだろう。


早速藤井と食事をする時間を作った。

彼は名古屋まで出て行くといい、名古屋で昼食を取りながら話をした。

その時今回の事件で

「お金を渡した」とされるN氏も同席した。

N氏はその少し前から私と事業に関する付き合いがあった。

まだ藤井という人間もよくわかっていなかったし、当時進めていたN氏の事業と行政の関係を理解する事は、藤井が進めている政策にも大いに役立つと思い3人で会食する事にした。


藤井とは

「なぜ議員になろうと思ったのか」

「どういう政治家を目指しているのか」

「なぜそういう差別的な思想を持っているのか」

など、初対面の時の厳しい対応に食い下がってきた藤井だったので、歯に衣着せぬ感覚で大いに語った。

藤井は

「民主主義なんてダメやと思うんですよ。一般人なんてみんな馬鹿なんで」

「外国人は日本から追い出さなきゃダメですよ」

というレベルの思想の持ち主だった。

それに対し私は

「民主主義は『多数決』だと思ってない?多くの意見が反映されるのも大切だけど、少数の人達にもそれに見合ったモノを分配するのが政治だよ。民主主義とはなんぞやを学ばなきゃダメ」

など当時持っていた藤井の思想を悉く潰していった。

その結果帰る頃には
「タカミネさんの話聞いてると僕左翼なのかもしれません(笑)」
とすっかり別人になっていた。


私は
「それを踏まえて将来どんな政治家になりたいの?」
と尋ねると

「なんか今まで考えてた事を否定されてわからなくなっちゃいました」

「じゃあ今一政治家として番大事なものは何?」

「うーん地元ですかね」

「それなら、とりあえず美濃加茂市長になれよ。まじで首長は楽しいぞ」

「わかりました。市長になるんでタカミネさん手伝ってください」

「おーなんでもやってやるぞ」


と冗談とも本気ともわからない会話で締めくくった。

それが数ヶ月後現実になるとは誰も想像もしていなかった。


この時点で私と藤井の「師弟関係(上下関係)」が構築され、その後その絆はより深くなった。


その会食の中でN氏の事業の話もし、藤井は
「面白そうですね、早速役所に投げてみます」と資料を持ち帰った。
これに関し私は「フットワークが軽いのは良いけど、少し軽率だな」と思った。

そしてその軽率さがあの事件を生んでしまったのだと思う。


ここで大切な事を記しておく。

私と藤井が話に花が咲いている時にN氏は気付かぬ間に会計を済ませていた。

このN氏という人物はある意味
「ビジネス的な礼儀」
をしっかり持っており、そういった部分はとても気遣いができる人だった。

別の議員との会食の際も「お車代」なるものを包もうとしたことがある。

その時私は
「議員に金銭を渡してはダメ。それなら僕にください。あなたの事業を政策にするのは僕で、むしろその政策を議員は僕から購入するのが正しい形。そうやって両方から報酬をもらうことで薄利で正しい仕事をするのが僕の役割であり、やりたいことなので」

と明確に伝えており、その後N氏は私に対してはそのルールを守っているように見えていた。


この私の考え方、毅然とした態度が事件を生んだ要因のひとつにもなった。


今回のブロックのテーマでもある「皆が見誤っている基本」とは、「タカミネ」「藤井」「N氏」の関係性。

普通は「美濃加茂市長の藤井」「スポンサーであるN氏」に対し、タカミネは「それにぶら下がる胡散臭い人間」と想像する。

しかし実際は絶対的な
「タカミネ(政策シンクタンク)」
の存在に対して、
「ビジネスマンとして礼節を持ち合わせたN氏」
「強固な師弟関係を構築していた藤井」
という、普通では想像もつかない人間関係がそこにはあった。


そしてそれがこの事件を「不思議な事件(裁判)」に誘っていった。


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