種明かしの2023年
新年明けましておめでとうございます。
私です。
夜中の3時半過ぎに筆を執り始めた文章というのは後から読み返した時、駄文として恥ずべき内容となるのか、はたまたその時にしか書けぬ衝動が詰まった火薬となりうるのかは、私には図り知れぬところもございますが。
その判断は朝目覚めた己に科すとして、まず書くだけ書いてみましょう、という算段でございます。
本年も、物好erの皆様に、好事家(≒物好er)として言葉を連ねる覚悟の準備をしといてみましたので、よろしくお願い致します。
新年の挨拶終わり。
種明かしの2023年
2022年までの私は、一体皆様の目にどのように映っておりましたでしょうか。
輝くステージで歌う姿ももちろんのこと、汗をかき、転び、這いつくばりながら(さすがにしたことがありませんでした)
どんな逆境でも「アイドル」という肩書きを手放さずに居られるように爪を研ぎ続けた期間だった、と私は思っています。
されど私も20年以上「アイドルでは無い姿」として生きてきたため、オンとオフというものが常に存在していたのは当然です。
しかしながら「素の齋藤茅乃」の時間を、もしかしたらメンバーも含めて、皆さんに提供することはなかったように思うのです。
ステージを降りるとそこにいる、フレンドリーで、明るくて、おしゃべり好きの、古くからの友人のような姿は「オフの私に限りなく近いオンの私」だったと自己評価します。
でも、それは円満な人間関係を築くという上では、ある程度当たり前のことではあります。
誰もが、その場の空気を読んで我慢し合ったり、「言わなくて良いことを言わない」という選択をしている……
それは嘘をつくこととは異なると思うのです。
それも理解した上で、2023年は『KAYANO』という綺麗に飾った"器"の蓋を少しだけ開けて、今まで応援してくれている皆様に、その中をほんの少し覗いて貰いたいのです。
もちろん、私は器を美しく魅せることに心血を注ぐこと自体「サービスの質の向上」であると考えるので、それを恥ずかしいとは思いませんし、中身を見せることで外観を損なう場合があるとも思います。
だから心理として、美しい器だけを見ていたい気持ちもよく分かる。
掃き溜めに一羽佇む鶴の姿を美しいと思うか、勿体ないと思うかの感性の違いで、2023年は私を愛してくれる人が変わる年やも知れないということであります。
環境の変化を強く感じた年末年始
2022年11月後半から、急速にファンの皆様との距離が縮まりました。
それはひとえに配信という場を介して毎日言葉を交わしているからだと思います。
本当に、本当に、みんなを知れることが嬉しい。
ほぼ毎日、何時間も私という人間と会話することを有意義に思って過ごしてくれる人が、この世界に何人もいるという事実は、私が自己肯定をするのに十分過ぎる理由になります。
(おかげさまで本当にめちゃくちゃ痩せた上に、肌ツヤがよろしくなりました。)
しかし、それ故の悩みもやはり生じてくるものです。
温室のような世界で死ぬまで綺麗な空気を吸って生きていくのはスリルが無い故に、味気ないですからね。
私が植物なら「あ〜ら、この空気、綺麗すぎてまさに無味無臭ってやつですわね〜!美味いも不味いも無いですわ〜!」とかほざくのでしょうか。
でも、本題の前に、まず勘違いしないで欲しいのは……
私が心から愛しているファンの皆様は本当に素晴らしい人たちばかり、ということです。
私は今から嫌な思いをしているという話をしますが、「これは自分に向けて言っているのだろうか」と思うのは絶対にやめて欲しい。
私はこの話をする上で、実際に不快なことをして来ている人のことも含め、具体的な誰かのことを指して話をするつもりはありません。
愛しいファンの皆様に対しては、そんなくだらない妄想で悲しみを負って欲しくないから。
不快な人に対しては、不快な人のことをとやかく考える時間なぞ私にはないから。
ただ私は「楽しい分、たまになんとなく嫌な思いもすることってあるよね〜」という輪郭のないことに対しての話をしていきますので、あしからず。
麗しき諦念の日々
私がこの仕事を始めることで嫌な気持ちになるのは最初から覚悟の上でした。
おかげで私は「忘れる」ことが上手くなりましたし、この1年ほどで「『愚かであること』に勝る、愚行の理由は無い」ということを悟りました。
自分にとっての不快な出来事は、まあ、自分自身の選択の過ちもありつつも、何より相手が愚か故に起きたひとつの事象に過ぎないと思うことで、諦めもつくという考え方に自ずと辿り着いたのです。
ああ、本当に、この考え方に近いものを説いてくれている哲学者はいらっしゃらないのでしょうか。
あまり明るくない分野なので、誰かご存知でしたら教えて下さい。
兎も角、嫌な思いをした、という話をしたいのではなくてそういう思いをした時に、これから私は嫌な気持ちを無駄に隠すことはやめようと思うのです。
思えば、その場に100人いるのなら、努力すれば100人から好かれると信じていました。
だからフレンドリーで、明るくて、おしゃべり好きで、誰とでも友人になろうとしました。
そしてそれ故に敵を生み、人から嫌われる人生を経験して。
だから自我を隠し、人に紛れて「同級生E」で居られるようになった。
それが「それ、嫌だな……」と言えなくなる事だとしても、最大多数から好かれるのなら、あの頃、愚かだった私が取れる術はそれだけだったのでしょう。
そんな経緯の全てを引っ括めて、今の私がいる。
そして今も、そこに100人いるのなら、100人に好かれたかった。
でも、それは凄く難しいことだと、ようやっと理解してきました。
全てが円滑な人間関係はこの世に存在しません。
性善説は単なる人の願いであり、心は完璧には分からないし、私は必ずこの世の誰かに嫌われている。
私は好かれるのが、仕事で。
沢山の人から好かれなきゃ、私の価値は落ちていく。
でも、全ては無理みたい。へへへ……。
それならせめて、私を愛してくれる人たちに全てを捧げたい。
私は今「アイドル」としてみんなの前にいて、名のない役を終えて「KAYANO」という役が織り成す人生を、皆さんと紡ぎながら、エンターテインメントとして捧げています。
だから私は、私というエンターテインメントを更に盛り上げる為の手段のひとつとして、
本当に自分にとって不必要で嫌なものを取り除くことを恐れ無いことにします。
無理に愛したり、無理に赦したりはもうしない。
私がどれだけ慈しんでも、私を裏切る人はごまんと存在している。
始まりのあの日、「全てを受け止める海と空の青」として貰ったこのブルーは、私の手の中でくすんでいくかもしれません。
私はそんなに優しくはないのにな──。
心の中で真っ先に思った言葉が今のブルーを「全てを無に帰す海と空の色」に変えるかもしれない。
だから、はたから見たら、私は優しくなくなってしまうのかもしれない。
君が好きな私は、もう居なくなるのかもしれない。
でも、2023年は変化の年。
私はもうすぐ、また次のステップに進める気がしているのです。
だから、その先で新たな出会いがきっと沢山待っているはずだから、今、残すものたちを振り返りません。
これが私の、器の蓋を少しだけ開けるということです。
我慢しようと思えばできるはずの、言わなくて良いことを敢えて言う選択肢を、私に与えてあげる。
私を取り巻く環境がより尊くて、素敵な人達が集まる場所になるように。
私が我慢して何かを得ても、私が我慢する姿で愛する誰かが悲しんでは元も子も無いのです。
だからこそ私はより一層、中身の醜悪さに飲み込まれないように器の美しさを研きたいと思います。
酸いも甘いも学び得て、いつか見目麗しい蠱毒の壺になれるやもと思うと……、くすぐられませんか、主に厨二心が。(暗黒微笑)
そして最後、結びの言葉として、私はこの駄文を最後まで読む物好きに告げたいのです。
貴方はついてきてくれませんか、と。
ここまで3,294文字。
飽きずに読んでくれて本当にありがとう。
私の方は、今、朝の6時に丁度なるところです。
かしこ。
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