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「頭がいい」から「勉強」できるわけじゃない

 勉強できる人のことを「頭がいい」ということはあるけれど、勉強ができることが必ずしも頭がいいことの結果とは限らない。勉強ができる=例えばテストでいい点数をとれるということは、いわば教科書をよく理解しているということ。でも良く考えたら、そもそも教科書は頭が悪くても理解できるように作られている。誰かしか(頭がいい人しか)理解できない教科書なんてありえないわけで、全員が押しなべて確実に理解できるように作られているし、そうなるような内容しか書かれていない。つまり、やればだれでも必ず100点をとれるようになっているのが教科書だし、学校教育なわけだ。


 それでもなお100点を取れる人とそうでない人の差はあるわけで、その原因は勉強をやるかやらないか、すなわちそれだけの時間や労力をそこに注げるか否かにかかっている。じゃあなんで勉強しないのか、ということになるが、たくさん考えられる理由のうち最も重要なのが環境だ。つまり、周りの人がみんな勉強をしていて、それが普通だと自分も自然に勉強するので、成績が高くなる。塾に通うのはその先生やテキストが素晴らしいからではなく、ただみんなが勉強する環境に身を置くことが重要だからだ。同様のことが家庭にも言えて、親や兄弟が勉強を当然視し、成績も高ければ、自然とそこに向かって自分も勉強することができるようになる。家庭はさらに、朝起きて夜寝るという生活習慣も学ぶ場なので、勉強することを組み込みやすい生活習慣を持っているかどうかで成績に影響することもあるだろう。


 「状況的学習」という考え方があって、そこでは学ぶことは参加することだ、とされる。何を学ぶかはどのコミュニティに所属しているかに影響を受ける。勉強を当然視するコミュニティに所属し参加を進めていけば(なじんでいけば)、自然に「勉強することを学ぶ」ようになるし、結果として勉強するようになって成績も上がるわけだ。

 このことは、勉強に限らず、自分をどう成長させたいかを考える上でも参考になる。自分を変えたい、大きく成長させたいと思うとき、自分一人で頑張ることや自分自身の覚悟が大切だと思い込むことはないだろうか。それ自体は間違いではないが、たった一人でできることは相当限られている。なりたい自分になるためには、そうなれる(そうなっている人によって構成されている)コミュニティに所属することが最も重要だ。高偏差値の学校がもつ教育が素晴らしいのではなく、そういう人が集まることによって共有されている価値や文化(カルチャー)が育ているもの(成績や実践力、スキルなど)があるのだ。こう考えると、どんな人にもなれるが、どうなりたいかを決めること。そして、そのような人が集まっている場所(コミュニティ)を探して参加すること、が成長のカギになるといえるのかもしれない。

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