ガンバ大阪歴代外国人列伝(2005~2010)

ジェイさんやtkqさんが始めた外国人列伝がブームになっているのでそれに便乗して書く練習とか言って放置していnoteに書いてみる。
先人たちの記事はこちらから


ガンバ大阪系の人が書いているのをあんまり見ないのでやってみようと思ったのですよ。
なお自分がガンバを見始めたのが2005年なので2005年からですが当時まだ小学生ぐらいだったので記憶が曖昧なところもあります。さらに練習場に気軽に行にける距離ではない為練習場でのエピソードは書けませんのでご容赦ください。
情報はwikipediaのガンバ大阪の選手一覧より

シジクレイ(2004~2007)

たぶんみんな知ってるシジクレイ。山形や京都、神戸で活躍していたところを2004年に引き抜く。山口智、宮本恒靖とのトリオが超堅かったと言いたいところだが当時のガンバは「点を取られたら取り返すどころか殴り倒す」レベルで守備なんか知ったこっちゃねぇよ!でFWが注目されていたので目立たなかったかもしれないがハイボールは跳ね返すし1on1はなかなか負けなかったのではないだろうか(曖昧)。2005年にはクラブで初めて外国人キャプテンに選ばれるなど人望もありなかなか熱い男だった。2008年にガンバをし京都へ、その後はブラジルで3クラブに所属後2011年に引退、2013年にはガンバ大阪のコーチとして戻ってきたりOB戦に出場したりとガンバのレジェンドであることは確かである。
現在は代理人として活躍中。

アラウージョ(2005)

ブラジルのゴイアスでプロデビューし通算136得点でクラブレコードを持っていたアラウージョ。2004年に清水で構想外だったところを翌年にガンバが獲得。中盤に遠藤保仁や橋本英郎、後述のフェルナンジーニョなど稀代のパサーがいたところにアラウージョが覚醒、東京V戦では1試合でハットトリック&4アシストという意味わからんスコアを叩きだしその後もコンスタントに得点を稼ぎシーズン終了後には33試合で33得点とかいうこれまた意味わからん功績で得点王&MVPを獲得(なお2005年以降Jリーグで1シーズン30点以上取った選手はいない。)さらにJ1タイトルの土産をチームに残し1年で退団その後はブラジルやカタールに行ったり、定かではないがアメフトの選手になるといった噂もあった。今何してるんだろうね。

フェルナンジーニョ(2004~2006)

161cmという身体上のハンデを吹き飛ばすドリブルとパスセンスはすさまじかった。特にアラウージョとは阿吽の呼吸であいてDFはてんてこ舞いだったと思う。しかし2006年途中にトップ下のないシステムになると西野監督の構想から外れてしまった気がする(曖昧)。その後は清水、京都など日本のクラブやブラジルのクラブを転々とし2018年からガイナーレ鳥取でまだまだ現役をやってるしなんならFKだって決めて見せるおっちゃんになってる。まだまだ頑張ってほしい。

マグノ・アウベス(2006~2007.11)

フルミネンセでバリバリやっててロマーリオと2トップ組んだりブラジル代表としてコンフェデに出てた選手が韓国の全北現代、大分と渡ってからガンバへ。ガンバでは入れ替わりで出ていったアラウージョの代わりとして大活躍。チームはGL敗退にもかかわらずACL得点王、Jでも26得点で得点王獲得&ベストイレブンと働きまくっていた。特に左45度からは「マグノアウベス・ゾーン」とガンバサポは呼んだとか呼んでないとか。しかし翌2007年途中に無断でサウジアラビアのチームと仮契約を結びガンバ大激怒、罰金+クビという喧嘩別れでさようならした。しかしガンバとはまだつながりがあったようで2019年開幕戦に外国人レジェンドとしてビデオレターがスタジアムで放送された、なんなんやそれ。

ルーカス(2006.8~12)

ACL取ってない方のルーカス、ブラジルとイタリアのパスポート持ちのルーカス、FC東京居たことのないルーカス、写真がないルーカス。外国人枠の関係かガンバ初のC契約の外国人。ガンバでは公式戦1試合も出ていないが今無きサテライトでは無双していたらしい(wiki情報)流石クルゼイロの下部組織出身。transfermarktによると今はイタリアのチッタデッラにいるらしいまだ31歳、がんばれ。

バレー(2007~2008.8)

柏レイソルにトラウマを植え付けえた選手。
大宮、甲府でも猛威を振るったバレーはガンバでも猛威を振るった。とにかく当たり負けないからボールは収まる、ポストプレーそこそこできる、自分でも相手引きずっていけるしなんならきた相手をい吹っ飛ばす勢いで当時のガンバの選手は楽しかっただろう。加入した2007年には20点あげてさぁ来年も頑張ろう!で翌シーズン18試合出場10得点とかやってたらマグノみたいに中東に引き抜かれたでござる。この時からだろうか南米発、ガンバ経由、中東行きみたいなのが流行り始めたのは。しかしバレーは当時のレートで6億5千万の違約金でガンバはその85%もらえたらしいからありがとうございますでもある。

ロニー(2008.8~12)

2008年初めにクルゼイロからマリノスにレンタルで加入したもののバレーが途中で出ていったのでシーズン途中にガンバへのレンタルで獲得。名前を出されればそういえばいたなと思うのは私だけだろうか。一応ACLというタイトルは取って帰った2012年に引退し実業家になったらしいが今年にはギャンブル詐欺の一員とのことで逮捕されている。なーにしてんだ。

ミネイロ(2008)

ガンバが久しぶりにJ未経験外国人ガチャを引いたら何とも言えない選手を引きましたってやつ。センターバックや左サイドバックとしてとったはずだけど途中出場したと思ったら前でパワープレーの的にされてた。そら実力発揮できんわ。契約当初は半年のレンタルだったらしいがアジアカップ帰りの新加入、水本裕貴(現サンフレッチェ広島)が全くフィットせず半年で放出したため急遽もう半年ということで結局1年いた。彼も一応ACLのタイトル保持者です。

ルーカス(2008~2010)

こっちがガンバサポの中ではルーカスである。
「ルーコン」の愛称でFC東京で愛された選手がやってきた。選手としても素晴らしくまた人としても尊敬できるそんな選手である。途中で喧嘩別れのマグノアウベスの後釜としてガンバへ加入。ポストプレーさせて良し、パサーになっても良し、落ちてきてビルドアップまでできるしさらに守備に走れるほんとにブラジル人か?と思う選手であった。マグノやバレーほどの得点力はなかったが見方を活かし自分を活かすといった形で欠かせない選手となった。日本語もうまく引退後来日した際も東京の石川直弘やガンバの今ちゃんに気さくに話しかける。ACLでは山崎のインパクトにひかれるが彼が居なければACLは取れなかっただろう。ガンバ退団後は一度ブラジルに帰国するが翌々年にFC東京へ復帰し2013年に引退。

パク ドンヒョク(2009~2009.8)

当年新設のアジア枠での獲得。蔚山現代で前年Kリーグベストイレブンだったこともあり、CBとして期待が高かったがガンバではあまり活躍できず半年で柏レイソルへ移籍。柏ではレギュラーを張っていた。申し訳ないが書くことがない。

レアンドロ(2009~2009.8、2012.6~2013.6)

J御用達ブラジル人、山形と神戸のエースだった選手をガンバが引っこ抜いた。この選手もとてつもなくありがたい神外国人だった。1度目の加入でリーグ戦21試合11得点と2試合約2試合に1点とコンスタントに点を取りシーズン途中でまたもや中東に約7億で買われていった。二度目の加入は降格危機の2012年にカタールから1年のレンタルで加入、J1で15試合14得点と張り切った記録を出すもJ2降格、降格後もJ2で19試合13得点と超絶張り切っていたがあえなくレンタルバックされていった。その後柏、神戸、現在は東京ヴェルディに在籍、神戸時代は後述のペドロジュニオールとのコンビは超強力だった。

ペドロ ジュニオール(2009.8~2011)

レアンドロの代わりに優良ブラジル人発掘チームの新潟でバリバリ活躍している選手引き抜いたらフィットしませんでしたとさってやつ。パスサッカーを信条にしていたガンバでは彼のコネまくるドリブルは邪魔でしかなく西野監督も3タッチ以上禁止令を出すほどだった。そして2010年に事件は起こる。2009年シーズン第3節新潟線で負傷のルーカスに代わり出場するもたった24分で交代させられる、その時ペドロはぷっちーんと来たようで西野監督に文句言いまくり挙句の果てにはユニフォームを投げるという暴挙に出たため一気にチーム内での立場が悪くなる。後日チーム内で謝罪があったようだが西野さんは許さずそのまま構想外でレンタルで行ってらっしゃい。2011年まで在籍とあるがほとんどレンタル移籍でガンバにはいませんでした。ガンバ退団後はブラジル、韓国でプレーしたのち神戸で猛威を振るい、鹿島に行って、、、今はタイでプレーしているらしい。

チョ ジェジン(2009~2010)

清水の巨人がガンバへ来るも大活躍はできず。
高さに加えそれなりの足元があるという当時のガンバにはいないタイプで清水での活躍もあり期待があった。しかし開幕直後はそこそこ活躍するも負傷や若手の台頭、後述の同胞イ グノが加入したため出場機会を減らしていき退団。2011年には先天性股関節異形成により引退。

ゼ・カルロス(2010~2010.8)

Theはずれ外国人である。入団会見の時点で明らかにおなかが出ているというかよくない感じでデカイ。当時のサポミの議事録によると88キロあったようでペドロの件も「そうだよな!ありこれがブラジル人だよな!」とかんがえるようになった。

イ グノ(2010.7~2011)

彼もすさまじく良い選手であったのは間違いない。
相手を背負う選手ではなく裏に抜けて、という選手でショートカウンターのガンバというのを作ってくれた選手ではないだろうかと勝手に思っている。2010年は20試合4得点とコンビネーションの不安がそのまま出た形だがよく2011年は32試合15得点と爆発、2度目のJ優秀選手を獲得している。そのままいてほしかったが韓国人選手の宿命である兵役に服するため2011年シーズンをもって退団、韓国へ帰国した。その後は蔚山でACL優勝やワールドカップ出場やも成し遂げている。

ドド(2010)

この記事最後を飾るのはこの男、ドドである。しかし彼については出てない方のルーカス同様全く分からない。C契約で愛媛から加入するも愛媛でもそんなに出てないのになんでガンバは取ったんだろうか。一応J1で点を取っている、申し訳ないが全く記憶にない。ガンバ退団後は鳥取に加入も怪我で契約解除、その後ポルティモネンセ(ポルトガル)に加入したらしいけど今何やっているのだろうか。


とりあえずこの5年分だけをどうぞ。
ガンバには反則外国人が結構いたけどそれなりに外れ外国人を引いてるんだなって思いました。