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ミケル・バルセロ展@東京オペラシティ

このあいだポンペイ展で高度な絵画や彫刻や装飾品の数々を見たとき、人が創作をするモチベーションというのはどこから出てくるのだろうかと思った。ただの遊びなのかもしれないし、進化心理学的に創作活動の有用性を説明することもできるのかもしれない。だけど、暇な人だけが趣味でアートをしているわけでもなく、経済的に困窮しようとも誰からも承認されずとも絵を描き音楽やモノをつくる人は数多くいて、2000年前でさえ多くの人がアートを楽しんでいたことを考えると、創作活動というのが副次的なものではなくて、「創作するからこそ人間なのだ」とでも言いたくなるくらい、アートへの志向性は人間の原始的な部分に組み込まれている本質的なもののような気がした。

バルセロの作品からはその原始的なエネルギーが何のリミットもかからずにそのまま発出しているかのような迫力を感じる。作品の前に立ったときに喚起される感情や身体感覚の鮮明さが圧倒的だった。

バルセロは、マヨルカの自然の中で育ち、ヒマラヤやアフリカで現地の人たちと一緒に暮らしながら創作活動をしたという。自然の持つ厳しさとそれに対する畏怖を作品からまざまざと感じる。無数の銛が刺さった雄牛の絵からは、その暴力性や痛覚が、生きていることと表裏一体の関係にあることを思い出させられる。こういったものはバルセロの身体感覚の表出であり、都市で生活している人間からはいくら技巧を学ぼうとも到底生まれ得ないものなんだろう。

銛の刺さった雄牛

小波のうねりという作品は、縦横数メートルくらいの大きなキャンバスに立体的なさざなみが描かれている。描いたというよりは物理的なメカニズムに従って作品自らそういう形になったという感じがする。もちろん彼が創作したものなのだが、自然が自己組織化的に創り出す造形のようでもあって、人工物と自然物との中間にあるように思える。

小波のうねり

展示の最後には、バルセロともう一人の芸術家の二人が粘土の壁をボコボコに傷付けたり、壺を叩きつけたり、穴を開けて壁の向こう側に自分たちが吸い込まれていったりという、2006年のライブパフォーマンスの映像があった。彼の作品は彫刻だったり肖像画だったり表現技法は様々なのだが、どれも動的な迫力を帯びていて、彼の身体がもつ力強いエネルギーが作品に乗り移っているかのように感じられる。このパフォーマンスで見せたように、製作過程で対象と激しく格闘していくうちに、あれだけの迫力を帯びていくのだろうか。

パソ・ドブレ


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