好きなことに没頭せよ。
創業当時に掲げた株式会社スキナの経営理念です。
自分の人生を「好きだ」と言い切って生きている人、死んでいく人を増やしたい。
創業からずっと変わらない理念として、これからも守っていきますが、創業10年目を終えた節目の振り返りとして、その意味を改めて伝えたいと思います。
自らの人生を「好きだ」と言い切れないで死んでいかないで欲しい
私達は、常に社会から「正しくあれ」と教えられて生きてきました。
学校も、家庭も、会社も、社会も、そのほとんどが「正解」ありきの教育を推進してきました。
もちろん私も例外ではありません。
しかし、それが招いたものは「正解」に答えることに縛られ、自らの人生を自由に「好きだ」と言い切れない人達を大量に生み出してきたのではないかと考えています。
そして、5年半前にそれを象徴するかのような人生を歩んできた父を失った経験から、さらに「正解」を求める生き方に対する強い疑念こそが、私の経営理念の原点となっているのだと思います。
父の正しい選択
父は幼少期から家庭の事情でひねくれていた部分があったようで、中学を卒業するとすぐに全国放浪の旅に出たようです。
歌手を目指してスナックで流しをしながら転々としていたらしく、夢に向かって素直に生きていたというのを後で聞いて驚きました。
しかし、封建的な考えを持つ私の曾祖母は真面目に仕事をして家庭をもって一人前の男にならなければいけないと、父を放浪の旅から呼び戻し、親戚が経営していた西陣織の機織職人として仕事を与えました。
その後、母親とお見合いをして結婚しました。
この父の選択は、世間的には「正しい」人生のありかただったのだと思いますし、誰も否定のしようがなかったと思います。
私も幼いながらにも決して裕福ではないものの、優しい父と母に愛情を込めて育ててもらったかすかな記憶が残っています。
昭和バブル崩壊
しかし、その幸せな瞬間も昭和バブルの崩壊とともに音を立てて崩れ去っていきました。
それまで隆盛を誇っていた西陣織も一気に斜陽産業へと衰退していき、機織機を回せど回せど一向に収入にはつながらず、手仕舞いするしかなくなりました。
収入は激減の一途をたどり、家と機織機のローン返済にも行き詰まり、サラ金から高金利でお金を借りて首をつないでいくしかない生活になっていきました。
しかし、中卒の父にできる仕事は土木作業員くらいしかなく、ズタボロに引き裂かれたプライドから逃れるようにお酒を飲んでは暴れるようになりました。
また、この頃からストレスが溜まった母が狂ったようにパチンコに通い詰めて、加速度的に生活は荒み、倫理観すらも失われていったように思います。
曾祖母の死
経済的に苦しかった状況は以前として続いていたものの、父は根が真面目なこともあり、いくつか仕事は転々としながらも収入が途絶えることはなく、母もパートをしていたので、自転車操業ではあるもののなんとか食いつないでいくことはできていた。
そして、父も規模は小さいながらも事業にチャレンジしてみたりしていたので、なんとか生きる意欲のようなものは消えていなかったように感じていました
そんな矢先に起こったのが曾祖母の死でした。
父にとって精神的支柱であった曾祖母の存在が失われたことは、それまで父が信じていたもの全ての崩壊につながっていったのだと思います。
この頃から、次第に父は生きる意欲を失い、酒に溺れ、ただ流されるままに日々を過ごすようになっていったように感じていました。
父の脳梗塞
曾祖母を失ってから少し経ったある日のこと、急に病院から携帯に連絡があり、父が脳梗塞で倒れて入院しているという知らせがありました。
最初は半身麻痺になってしまう可能性もあったものの、父本人の懸命なリハビリと母の支援もあって、日常生活が取り戻せるところまで回復したものの、やはり仕事ではどうしても物忘れやミスが多くなってしまい、どんどん塞ぎ込んでいくようになりました。
そこからは加速度的に痴呆が進み、酔っては家で暴れたり、飲み屋で暴れたり、自分でもどうしようもないやるせなさに耐えきれないでいる父の姿を何度も目の当たりにしました。
その姿の痛々しさを当時の私はどうしようもできない無力さを感じつつ、一方でその現実を受け入れることができない日々が続いていきました。
全身がん発覚
「おとうさんの舌の裏に黒い斑点があるけどなんやろ?」
母からの電話を受けてすぐに父の舌の状態を写メで送るように言った。
嫌な予感しかしませんでしたが、ただの内出血とかであってほしいと祈りつつ、送られてきた大きな黒い斑点の写メをみた瞬間にはほとんど希望を失ってしまいました。
「たぶん、癌だろう・・・。」という考えが頭をよぎっていましたが、それを無理やりかき消して、とにかく検査に行ってくれと父にお願いしました。
診療所から返ったきた返事は、「すぐに京都第二赤十字病院に行ってください。」だけでした。
そして、慌てて検査結果を持っていった病院から告げられたのは、父が深刻な状態の癌である可能性が高いということでした。
余命1ヶ月
即入院でした。
そして、これから精密に検査しないと詳しくはわからないとのことでしたので、最後の最後まで望みは捨てずにそれを待つことにしました。
たしか、3日後くらい経ってからのことだったと思いますが、医師から「ステージⅣの末期癌、余命はよくて1ヶ月です。ご本人はご家族からお伝えになられたほうがいいでしょう。」と通告を受けました。
私はその通告を聞いた時、父を失う悲しみよりも、父の命が風前の灯火であることに対する虚しさにうなだれていました。
父が死にゆく時
父に余命を告げたのは私でした。
その父が死に直面した時に流した涙が未だに忘れられません。
悔しさと、惨めさと、情けなさが、同時に襲いかかったかのように泣き崩れる父、そして、それを慰める母と一緒に泣くことすらできませんでした。
混乱していたからです。
その背景となったのは、父のこれまでの人生に触れてきた中で、どうしても受け入れ難かった「なぜ、もっと自分の好きなように生きなかったの?」という疑問に対する答えを探していたからだったと思います。
早すぎる死
父は66歳でその生涯を閉じることになりました。
そのあまりにも早すぎる死に対して、私は複雑極まりない葛藤を抱えることになりました。
父は本当に死にたくなかったのか、それとも、父は本当は死を望んでいたのではないか?
今となっては父のみしか知り得ないことではあるものの、自分が望んだ人生を生きられない苦しみからの解放を望んでいたのではないか?そして、死を直面にしてその人生を心から悔やんだのではないか?
もし、私が父の立場にあったなら、そう思ったのではないかと考えるようになりました。
そして、逆にどうすれば残された人達が二度とこんな葛藤を感じずに済むのかを真剣に考えるようになりました。
封建的家族主義
父が生きた時代はバブル経済の成長に裏打ちされた「正解」という幻想に踊らされた時代だったと考えています。
その当時、カリスマ占い師だった曽祖母は経済的にも精神的にも親族をバックアップしましたが、それは強固な「封建的家族主義」そのものだっと思います。
男性には圧倒的に甘く、また女性は奉公して当たり前という考え方は、経済的な背景がある間は成立していましたが、バブル崩壊でそれが失われてしまうと精神的な支配だけが残りました。
父は目の前の自分がやりたいと思うことよりも、家族というコミュニティよりも、常に曾祖母から与えられる「正解」にすがって生きていた部分があったように思います。
そして、バブル崩壊と曾祖母の死によって「正解」を与えられない世界の中で自分の生きたい人生を自分で思い描けなくなってしまったのではないかと考えるようになりました。
「正解」に縛られる人生は虚しい
私は、父の人生を深く振り返り、決して目を向けてこなかった真実に気づいたときに、涙が止まらなくなりました。
父の死が間近なときも、父の葬儀でも決して涙は流れませんでしたが、この「正解」にすがらざるを得ない人生を生きなければならなかった父の生きざまを感じた時に初めて悔しさと寂しさに耐えられなくなりました。
もし、父が誰かから与えられた「正解」ではなく、自分が心から「納得できる生き方」を選ぶことができていたら?、そして、その自由こそが最も大切であると気づくことができていたならば、満足できなくても成功できなくても納得して死んでいくことができたのではないだろうか?
そう考えるようになりました。
自らの意思で自由に生きてほしい
最終的に私が出した答えは、
「自らの人生を自らの意思によって決定し、自らの人生の全てに責任を持つ。」
そうすれば、死ぬ間際に満足できたか成功できたかはわからないが、納得して死んでいくことができる。
そんな人生を私は私に関わった全てに人に生きて欲しい。
この思いを実現していくのが、株式会社スキナというコミュニティです。
ひとりで寂しく死んでいかないでほしい
最後に、私の心の一番深くにある感情について書いておきます。
この文章を書いていてきづいたこと、それは大好きだった父に対する率直な思いで、
「ひとりで寂しく死んでいかないでほしい。」
だったと思います。
自らの意思を持つ唯一の方法は「コミュニティファースト」であることだと考えています。
それは、家族なのか、会社なのか、社会なのか、世界なのか、それは人それぞれ選ぶべきですが、決して自分一人の幸福を追求しても意思を持つことはできません。
ただ、自分が大切で人生を共有したいと思える人達とともに、最適なコミュニティとは何かを考え続けることが、意思を育み、困難も乗り越え、最後は寂しく死ななくてすむ唯一の生き方ではないかと考えています。
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