111氏への返書3


前回の記事「111氏への返書2」に対して、111氏より更なる返答があり、その中で、氏は一定の敬意と誠意を以て返されたようであるから、私もそれに応えなければならない。

私が先の返書にて述べた見解は概ね私の信念に基づいて誠実に綴ったものであるから、今更ながらこれを撤回するものではないが、私の対応も何分大人げないところがあったので、その点について氏に陳謝したい。
氏にとっては寝耳に水のことであったろうから、その不可解さと不愉快さについては察するに余りある。

私は今回の件で、111氏が私の寄稿に一切言及しないことを選択する──恐らくそれは、関係の断絶を意味する──ことを十分に想定し覚悟していたが、意に反してそうではなかったので、その決意と寛容さに対し感謝の意を示したい。
一方で、氏も認める通り、これは互いの、批判に対する更なる批判を許容するものであるから、その点は十分にご留意いただきたい。
無論、これも氏の仰る通り、今後の全ての寄稿に言及する必要はないので、それは氏の判断において自由に決めていただければ良い。

この点に付随して、是非とも釈明しておきたいのだが、私は依然として他人を批難する際は十分に慎重であるべきであると思っており、それゆえ、それをする際には十分に「ロジカル」であるべきであると思っている。
氏にとって私の物言いは威圧的に感ずるであろうが、私はこのようなやり方をしなければ却って無作法であると思うのである。この言及の仕方については、何卒、私からの誠意であるとご理解いただきたい。
しかしながら、上述の通り、今回の私のやり方は多分に大人気なかったと反省する限りであるので、私も今後の方法については十分に研究を重ね、注意したいと思う。

氏が言及されているので私としても言わないわけにはいかないのであるが、《サキュバス・レ○プ残酷物語》の感想については私の方から無理を言って依頼したものである。これを聞き入れていただいたことには感謝の言葉もない。
《虐殺大陸》についても(経緯は異なるものの)感謝の念は同様である。
のみならず、先の返書では論理展開上否定的な書き方をしたものの、毎週のエミマガ感想配信が多分に善意によるものであろうことは想像に難くなく、その労の多大さを思えば、やはり謝意を表せざるをえない。

それはそれとして、発言には十分ご注意いただきたいということも間違いない。繰り返しになるが、先の返書の内容そのものについては撤回するものではなく、これは揺るがしようのない私の信念に基づいて書いたものである。
ここで書いていることと、先の返書で書いていること、その両方は同時に認めても矛盾のないことである。

111氏に「身内」とみなしていただけることは恐悦である。
そこで今一度、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を思い出したい。
これは氏に贈るとともに、当然のことながら私自身にも向けられた言葉であるから、一層身を引き締めたいと思うのである。

改めて見返すと「身内」という言葉を最初に使ったのはばすから氏であったか。
今次問題に一応の平和的解決を見たことは、111氏の言葉から察するに、ばすから氏の働きによるところも大きかったのか知れない。実際のところは私には計りかねるが、いずれにしても、ばすから氏にも深く謝意を表したい。

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