見出し画像

怪談市場 第三十二話

『ロバのパン』(マー4)

年下の友人、マーが10年以上前に体験したお話し。

当時、警備会社でバイトをしていた彼は、親子ほども年の違う警備主任のFさん(仮名)と意気投合した。きっかけは趣味のブラックバス釣りである。休日はもちろん、仕事前、仕事終わり、下手をすると昼休みと、1日に2回も3回も連れ立って近所の野池や川に出向き、暇さえあれば2人でルアーを投げた。

とある休日、マーとFさんは県内でも1、2を争うブラックバスの名ポイントであるU沼に出かけた。その日は「新しいポイントを開拓しよう」ということになり、助手席にFさんをのせて、マーのRV車はまだ見ぬ奥地へと進む。

U沼は、「沼」といっても3つの河川が合流した広大で複雑な水域。水辺を走る未舗装の砂利道は、しばしば湿地や藪で阻まれ、大幅な迂回を余儀なくされる。沼を縁取るように小高い丘がそびえる場所も多く、急な斜面を走る曲がりくねった細道を進むこともある。

コンビニで買っておいたオニギリをペットボトルの茶で流し込む遅い昼食を済ませ、この日3度目の山道移動で異変は起きた。

山の中に集落があった。それ自体は不思議ではないが、集落の入口に注連飾りを巻いた巨大な岩があった。お地蔵さんや道祖神ならわかるが、こんなのは初めて見た。カーステから流れていたFM放送が、急にノイズ一色になったのも不吉だ。そんなことは気にとめないFさんは、助手席で小言を続けていた。

「ルアーを追ってくる魚影が見えてもアクションを維持しなきゃダメだぞ、マー。魚が食い付きやすいようにルアーのスピードを落としたり止めたりしたくなるのは人情だが、それじゃあ逆に警戒心を与え、追ってきた魚はUターンしちまう」

たしかにマーにはそういう癖があり、その日も2度ほどチャンスを逃していた。Fさんの声を聞き流し、集落をぬって走る細い道を徐行していると、前方に子供の姿が見えた。集落に入って初めて出会った人だ。子供は奇妙な乗り物に乗り、屋敷の門らしい生け垣の切れ目から出ると、ひとしきり道を滑るように走り、また戻っていく。

「キックボードだ。懐かしいっすね」

マーの呟きを、助手席のFさんはかぶりを振って否定した。

「いや、あれはキックボードじゃない……ローラースルーGOGOだ!」

ローラースルーGOGOとは、70年代に大ブレイクした子供用玩具だ。見た目はキックボードに似ているが、ステップ後部のペダルを踏むことによって推進力を発生させる乗り物である。Fさんはしきりに懐かしがる。マーはそんな玩具は存在すら知らなかった。さらに車の速度お落とし、生け垣の切れ目から子供が戻っていった屋敷を覗き込む。農家らしく敷地が広い。瓦葺の平屋と、大きな納屋をそなえていた。広々とした庭では、先ほどの子供を含めた数人が遊んでいる。

いっけん平和な光景だが、それぞれの子供たちが手にする遊具が異常だった。

ローラースルーGOGOの子供はもちろん、同じ年頃の別な男の子が遊んでいるのはハンドルとステップのついた棒状の遊具。バネが内蔵されているらしく、軽快に飛び跳ねていた。それを助手席のFさんが興奮して指差す。

「おいおい、今度はホッピングだよ!」

「あっちの女の子が胴体をくねらせて回転させてる輪っか、あれってフラフープでしたっけ?」

実物は見たことがないものの、マーもその遊具は知っていた。

「そうそう。で、隅っこにいるヨチヨチ歩きの女の子が持ってるの、あれはダッコちゃん人形だ。最近、子供たちの間で昔懐かしの玩具が流行ってんのかな?」

Fさんと同じことを、マーも考えた。だが、よく見ると「昔懐かし」いのは玩具だけではない。男の子は坊ちゃんがりに半ズボン。女の子はおかっぱ頭に赤いつりスカート。髪形や服装も妙に古くさい。ドキュメント番組の記録映像で見る、昭和の高度成長期の子供たちそのものだ。

釈然としないまま屋敷の前を通り過ぎる。

Fさんがタバコを吸おうとサイドウインドを薄く開けると、車内に聞き覚えのあるメロディーが流れ込んでくる。のどかな曲調、あどけない歌声。記憶をたどるマーの隣で、Fさんは煙草に火をつけることを忘れたまま震え、涙ぐんでいる。

「ろっ、ろっ……ロバのパン屋さんだっ!!」

マーも思い出した。まだ幼い頃、土曜日の夕方になると特注の軽ワゴンが、スピーカーでこの歌を響かせながら、様々なパンを取り揃え、売りに来た。もう20年ほど見かけなかったが、まだ営業を続けていたとは驚きだ。

「懐かしいなあー……マー、ロバのパン屋さん探せ!」

「了解。オレも久しぶりで、あの蒸しパン食いたいっす!」

マーはどこかから聞こえてくる歌を頼りに、まだ姿の見えないパン屋のワゴンを探して車を走らせた。やがて、生け垣や屋敷林で迷路状になった集落を抜け、視界が開けた。ところどころ藪が残っているものの、畑が広がっている。真っ直ぐ伸びた農道の彼方に、見覚えのある塗装の軽ワゴン車。

「ターゲット捕捉!」

マーがアクセルを踏み込んで、ロバのパン屋に迫る。と、パン屋の軽ワゴンは誘うようにブレーキランプを灯し、停車した。反射的にマーもブレーキを踏む。テープがのびているせいか、軽ワゴンのスピーカーから流れる音楽と歌声が、妙に歪んで聞こえる。

ふと、嫌な予感がした。

言い忘れたが、マーはお人好しでお調子者の天然ボケだけれども、じつは現実に存在しないモノを――幽霊妖怪魑魅魍魎の類を“視る”能力の持ち主なのだ。心霊現象、超常現象の体験には事欠かない。

車の鼻先を藪に突っ込み、強引にUターンすると、マーは全速でいま来た道を戻った。

「なにやってんだよ、マー! せっかくロバのパン屋さん発見したのに……」

Fさんはしきりに抗議するが、無視した。あのパンを買って食べたら2度と元の世界へ帰れなくなる――根拠はないが、そんな予感にとらわれていた。集落の曲がりくねった道を、可能な限り急ぐ。必死にハンドルをさばくマーの形相に、いつしかFさんの不平不満はやんだ。道の辻々には子供たちの姿。だがもう懐かしの遊具は手にしておらず、棒立ちで走り去るマーの車を恨めしげに睨むだけだ。

注連飾りのついた巨岩を通り過ぎる頃、再びカーステがFMを正常に受信し、間もなく見覚えのある水辺へたどり着いた。

無事に帰宅して調べたところ、ロバのパンはU沼の近隣地区から10年以上前に撤退していた。それでもFさんは諦めきれず、次の休みに独り、幻のパン屋を探してU沼へ出向いたが、半日以上車を走らせても、あの集落は見つからなかったという。

「タヌキにでも化かされたんならいいけど……運が悪いと、その土地に古くから棲み付いている恐ろしい“モノ”に魅入られたりするからね」

当時を振り返って、マーは語る。現代でも地方へ行くと奇妙な祭りや信仰を目にすることがある。祀られているからといって、ありがたい神様とは限らない。恐ろしい災いをなす怨霊を強引に神として祀り上げ、なだめすかしているケースも少なくない。そんな恐ろしい“モノ”にとって、信仰心のないよそ者は“贄”でしかないのかもしれない。

「ナニモノかは知らないが、オレたちはおびき寄せられたんだ――懐かしいロバのパン屋っていうルアーでさ。でも、やっぱり獲物が追ってきてもルアーは止めちゃダメだね。警戒してUターンする魚の気持ちがわかったよ」

そう言って、マーはあっけらかんと笑った。

マー1 https://note.mu/ds_oshiro/n/n452499d3d23f?magazine_key=mbed0c637d0d9

マー2 https://note.mu/ds_oshiro/n/nb1395759a0d9?magazine_key=mbed0c637d0d9

マー3 https://note.mu/ds_oshiro/n/n29b5049de9f5?magazine_key=me0a9394df7c9

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?