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怪談市場 第七話

『ホルモン』

「ホルモン食べに行こうよ、ホルモン!」

年下の友人、マーが受話器の向こうで挨拶もなしに言い放つ。彼はこちらの返事を待たず、迎えの時間を一方的に告げると電話を切った。どうせ私が暇だと決め付け、断るまいと踏んだのだ。その通り、暇である。いや、たとえ忙しくとも、ホルモンの脂が焼ける匂いと生ビールの喉ごしに思いをはせると、もう断ることはできない。

マーは時間通りに迎えに来た。映画や魚釣りの待ち合わせには決まって遅れるくせに、飲み食いの約束となると時間に正確だ。

マーの運転する車に乗り合わせ、問題のホルモン屋に向かう。交通インフラに乏しい郊外のこと、飲みに行くのにも自家用車だ。毎回、運転代行を呼ぶので問題はない。

「いやぁ、偶然見つけたんですよ。知る人ぞ知る隠れ家的ホルモン屋って感じ?」

マーのテンションが高い。当然、車中はホルモンの話題でもちきりだ。彼の説明によればその店は、七輪で焼くホルモンも絶品だが、生食用ホルモン、俗に言う“もつ刺し”が充実しているという。まだレバ刺しが規制される以前の、いい時代であった。

「レバ刺し、ガツ刺し、コブクロ刺し、センマイ、ハチノス……」

それぞれ、内臓のどの部分なのか、どのような色とな形状か、下ごしらえの方法やコツなどを丁寧に説明してくれる。私が「詳しいねー」と感心すると、まんざらでもなさそうに胸を張る。

「オレ、高2の夏休みに食肉加工場でバイトしてたのね。毎日、とれたて、ほやほや、丸のままのホルモンをあつかってたわけ。ま、ホルモンの英才教育うけてた感じ? いわゆる “もつエリート”っすよ、オレ!」

交差点で信号待ちをしている最中、それまで活発だったホルモン談義が不意に途絶えた。目の前の横断歩道を横切る中年サラリーマンに、マーも私も目が釘付けになった。

歩きながら、奇妙に上半身を動かしている。

首をせわしなく左右に傾げ、肩を上げ下げしている。これで「バカヤロウ」とか「ダンカン」とか口走れば下手な“殿”のものまねだ。

「あのオッチャン、ずいぶん肩が凝ってるみたいだな」

私が言うと、マーは溜め息まじりに呟いた。

「そりぁ、あんなモノ背負ってたら肩も凝るでしょ……」

「あんなモノって? あのサラリーマン、なんにも背負ってないじゃないか」

言い忘れたがマーは、人が好いお調子者の天然ボケだが、じつは現実に存在しないモノを――幽霊妖怪魑魅魍魎の類を“視る”能力の持ち主なのだ。心霊現象、超常現象の体験には事欠かない。

「おいマー、今度はなにが視えた?」

「うーん、視えたっつーか、視えなかったっつーか……」

マーは曖昧に語尾を濁すばかりだ。やがて信号が青になって車は発進し、怪しい動作のサラリーマンは視界の後方に流れ、消えた。間もなくマーがハンドルを切り、車は飲食店の駐車場へ入る。目当てのホルモン屋に着いたのかと思ったが、雰囲気がおかしい。“知る人ぞ知る隠れ家的なホルモン屋”にしては建物が近代的だ。黄色い外装の中途半端に洋風な建築。ハッキリ言って安っぽい。赤提灯と縄暖簾、ホッピーの幟旗が出迎えてくれるものとばかり思っていたら、とんだ期待外れだ。

「なんか、カレー屋みたいな店構えだな……」

「……つーか、ここカレー屋だし。今日、カレーでいいよね?」

「なんでだよ? 俺の頭の中をホルモンとビールでいっぱいにしといて、それはないだろ!」

「カレー嫌いだっけ?」

「そーゆー問題じゃなくてさ、ホルモン食いに行こうって誘ったの、おまえじゃないか!」

「オレ、急にさ、ホルモン食べる気分じゃなくなっちゃったのね……」

確かに彼は気まぐれだが、それにしても極端すぎる。さっきまで“ホルモン食う気満々”だった彼の食欲を奪うのは並大抵のことではない。なにがあったというのか。私はマーの顔を覗き込み、問い詰めた。

「ひょっとして、さっき視た“モノ”と関係あるのか?」

「関係あるっつーか、ないっつーか……」

問い詰めても、マーはやはり曖昧に語尾を濁すばかりだ。

彼は通りすがりのサラリーマンの背中に、一体どんな“モノ”を視て、ホルモンを食べる意欲を失ったのだろう。

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