怪談市場 第六十四話
『やわらかに降るもの』(Nさん 2)
地方都市で工場に勤務するNさんが、こんな体験をした。
お盆前の、連日猛暑日が続く時期だった。その日は午後勤のシフトで、一時間ほど残業し、退社したのが午後十一時過ぎ。
自家用車でいつもの通勤コースを帰宅する途中の出来事。
この時間だと交通量も少なく、片側二車線の広いバイパス道路は運転も快適で、労働の疲れも少しだけ癒やされる、そんな気分だった。
帰路も半ばを過ぎる頃、斜め右前方に大きな建物が見えてくる。パチンコ店だ。すでに閉店し、店舗の明かりもネオンサインも消えているが、外装に描かれた店名を照らすアームライトだけは明かりが灯っていた。
その明かりを、ときおり小さな影がよぎる。
(コウモリか?)
一瞬そう思ったが、大きすぎるし動きが単調だ。上から下へ、一方通行の落下運動。妙に気になる。よく確認したいが、運転中だ。いくら真っ直ぐな広い道で交通量が少ないとはいえ、わき見運転はできない。徐々に近づくパチンコ屋の建物を、横目でチラチラ見るのが精いっぱい。それでもなんとか状況が把握できた。どうやら、パチンコ店の屋上から、なにかが次々に放り投げられているようだ。近付くにつれ、その物体が判明する。
「ぬいぐるみ?」
ちょうどクレーンゲームの景品のような、手のひらサイズのぬいぐるみだった。色とりどりのぬいぐるみが、ゆるい放物線を描いて屋上から落下し、エントランス前のアスファルトに落ちては、踊るように跳ね、転がる。その数は十や二十ではきかない。ゆうに数百、ひょっとすると千に届くほどの、ぬいぐるみの雨あられだった。
「新装開店かなにかのイベントだろうか?」
そう考えかけて、かぶりを振った――閉店後の深夜で、店の周りには人っ子一人いない。そんなイベントは意味がない、有り得ない――パチンコをやらないNさんでも、そのぐらいの想像はつく。
思い悩んで、それでも納得できる仮説が見つからないままに、パチンコ屋の建物を通りすぎた。
すぐ先が交差点で、角にコンビニがある。Nさんは迷わずコンビニの駐車場に車を停め、徒歩で横断歩道を渡り、問題のパチンコ屋へ向かう。好奇心と、気まぐれと、貧乏性。ぬいぐるみなど欲しいとは思わないが、拾えるものなら拾っていこう、ぐらいの軽い気持ちだった。
パチンコ店までたどり着いて、Nさんは目を疑った。
何もない。
ぬいぐるみどころか、吸い殻ひとつ落ちていない。閉店後の掃除が行き届いたことだと感心しながらも、N君はしきりに首を傾げた。車内から確認しただけでも、相当な数のぬいぐるみが落下したはずである。エントランス前の舗装がぬいぐるみで覆い尽くされていても不思議ではない。
納得がいかず、辺りを見回す。
店舗の向かって左側が駐車場になっている。入口はすでに鎖で閉ざされ、停まっている車は一台もない。LEDの街路灯に照らされてモノトーンに色補正された閑散とした駐車場。そんな風景の中で、一点だけが鮮やかな色彩を放っている。
花束だった。
車止めに、ポツンとひとつ、花束が置かれている。
なんだか見てはいけない物を見たような気がして、N君はコンビニに停めた車に戻るため踵を返し、パチンコ店に背を向ける。
ぽそっ……。
背後で、小さく柔らかい何かがアスファルトに落ちた音がした。振り向いて確認したい気持ちを押し殺し、N君はそのまま立ち去った。
事情が明らかになったのは翌日。テレビのニュースに、そのパチンコ店が映し出された。
前日の昼下がり、駐車場に停めた車の中へ置き去りにされた幼児が、全身に火傷を負って亡くなったそうだ。
終
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