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化石燃料は悪なのか?

最近ちょっと太陽光発電に関する記事が多かったので、少し化石燃料についても書いてみたい。

近年の脱炭素化のトレンドからすると、どうも「化石燃料=悪」みたいな構図ができている感じがするのだけど、実際には化石燃料自体が悪なのではなく、良い使い方と悪い使い方があるのではないか?と思っている。

ガソリンのエネルギー密度

ガソリンのエネルギー密度は概ねリチウムイオン電池の100倍くらいある。つまり、同じ重さならば 100倍ものエネルギーをコンパクトに運ぶことができる

つまり、ガソリンは「液体のダイヤモンド」と言ってもいいくらいの価値を持っている。そして、自動車というのはそうした「液体のダイヤモンド」みたいなものを燃やして走る、そういうシステムになっている。

要するに、ダイヤモンドを暖炉にポンと投げ込んで「暖まるねぇ〜」みたいな感じのことをしている。

まあ、現代ではガソリンは安いので、火に焚べて使おうと何しようと大したことないのだが、おそらく未来人がいまの自分たちを見たとしたら「こいつらとんでもないことしてるな!」という感覚になるのではないだろうか。

19世紀には、クジラが安く大量に取れた時代があり、安いから…という理由で、その油が灯りに利用されたり、石鹸や火薬をつくるのに利用されたりした時代があったのだが、おそらくいま我々がしているのはそういうことなのだと思う。

「クジラは賢くて、神聖な生き物なので、一切採ってはいけません」というようなことを言うつもりはないのだけど、むやみに獲って灯を付けるために油を取ります…みたいなことは、いまの時代から考えると、やはりどうなんだろうかと思う。

要するに、雑に使い過ぎるのはどうなのかと思うのだ。そして、いま化石燃料にも同じことが起きているのではないかと思っている。

ガソリンエンジンの効率

ガソリンエンジンというのは、一番効率の良い回転数でも 40% くらいの効率しかない。残りの 60%くらいのエネルギーは空気中に熱などとして捨ててしまっている。

更に、エンジンは常に効率の良い回転数のみで回すことが難しいので、実際にはもっと効率が悪くなってしまう。おそらく、20~30% くらいの効率になっているのではないかと思うのだけど、いずれにしても「ほとんど火に焚べている」というのが正しい理解ではないかと思っている。

要するに、安く使えるから…という理由で、雑に使われているのだ。

もちろん、化石燃料を使った方が良い用途は沢山あって、例えば空を飛ぶ飛行機などでは、やはりエネルギー密度の低いバッテリーだけでは長距離を飛行することは難しい。

バッテリーだけでは重くなり過ぎるためだ。

いずれは飛行機も電気で飛ばしたり、水素で飛ばしたりするような時代が来るかもしれないが、まだ技術が完全には確立できていない。また、現存する使える飛行機をいますぐスクラップにして、新しい飛行機を作るにしても、飛行機の製造にもエネルギー的なコストがかかる。そう考えると、もうしばらくは古い航空機を使っていくのもある意味正しい選択ではないかと思う。

ただ、自動車に関しては既に電気自動車という技術が確立されているので、そろそろ「ガソリンを火に焚べる」というのは止めてもいいのではないか?と思っている。少なくとも短距離の移動であれば、もう十分過ぎるほどに EV は実用に足る領域に達しているからだ。

80:20の法則

人生で一番役に立ったのが、この 80:20の法則(パレートの法則)だ。

一時期、コンピュータによるシミュレーションプログラムを毎日開発していて、プログラムを何とか高速化しようとあがいているうちに、この法則がなんだかどうしようもなく体に染み付いてしまった。

コンピュータの場合だと「プログラムの処理にかかる時間の80%はコード全体の20%の部分が占める」みたいな法則なのだけど、この法則を意識することで、コンピュータのプログラムはかなり楽に高速化できる。つまり、処理に一番時間のかかっている場所に常に意識を向けるようにすることで、無駄な労力を消費せずに、最短距離で目標へ進めるのだ。

逆に、こうしたことを意識せずに、プログラムの高速化をやろうとすると、なかなかプログラムは速くはならない。適当に「この辺で時間がかかっているんじゃないの?」と思い込み、コードに手を入れると、大抵の場合はそうした思い込みは外れる。重要な部分は、全体からすると「20%」に過ぎないからだ。適当な思い込みや当てずっぽうでやるには、的が小さ過ぎるのだ。

だから、大抵のプログラマは高速化をする際に「プロファイラー」という道具を使って、時間を測る。そして、一番時間がかかっているかを見極めた後で、実際にプログラムの改良を始める。要するに、思い込みではなく、数値に基づいた客観的な判断の後で、初めて手を動かすのだ。それまでは、「早く手を動かしたい」という誘惑をなんとかこらえる。

実際、何も考えずにパカパカ手を動かした方が「とにかくよく働いている」ようには見えるし、楽なのだが、それをやってしまうと、どうでもいいようなところばかりを高速化してしまう。例えば、処理に 0.1 秒もかかっていない場所を頑張って 100倍高速化してしまうようなことをやってしまうのだ。

しかし、それをやっても、プログラム全体としての処理は 0.1秒も高速化しない。だったら、それよりも処理に1分くらいかかっているところがあれば、それを59秒にした方が全然マシなのだ。だから、実際に手を動かす前に、まずはよくコードを調べて、そこが「自分の貴重な時間を使って手を入れる必要がある場所か?」というのをよく見極める必要があるのだ。

自動車の場合の「80%」

いま自分は埼玉県の入間市というところに住んでいるのだが、電車だけだとどうしても行ける場所は限られる。

回転寿司も、温泉施設も、自動車がなくても行こうと思えば行けるのだが、やはり自動車がないと電車やバスを乗り継いだりして、あまり効率的に移動することができない。

東京の真ん中に住んでいるのであれば、そうした不便はないのだと思うが、少しでも東京を離れてしまうと、段々と自動車が便利になってくる。通勤にしろ、買い物にしろ、歩くには少し遠いくらいの距離に、勤務先なり、ショッピングモールがある。

そして、いまはそうした数キロの距離を自動車で移動している。もちろん、たまに数十キロの距離を運転することもあるが、それほど多くはない。月に2・3回くらいだ。そう考えると、個人的な感想ではあるけれども、多くの自動車の移動距離の 80% くらいは数キロくらいの移動でカバーできそうだと思えてくる。

もちろん、タクシーやトラックなどの毎日長距離を走る自動車もあるが、おそらく自家用車の多くは上のような使い方をされているのではないかと思っている。仮説としてはこんな感じだ。

【仮説1】多くの自動車は自家用車として使われる
【仮説2】多くの自動車での移動は数キロ程度の近距離である

まあ、こうした仮説をきちんとデータを使って検証していくのが、データ分析マンの仕事なのだけど、このブログは趣味で書いているので、とりあえずこうした仮説が真実だとして考えを進めることにすると、脱炭素化を進める上でどういう自動車を作ればいいのかが見えてくる。

短距離をきっちり電気(再生可能エネルギー)で走れるクルマを作ればよいのだ。

そして、できれば1台のクルマで長距離も走れるようにしたい。ただ、その頻度はそれほど多くない。だとしたら、長距離移動限定で、化石燃料を使ってしまってもよいのではないかだろうか。つまり、近距離は再生エネルギーで走行し、長距離は化石燃料で走行できるような自動車だ。

無論、自動車の使う全てのエネルギーを再生可能エネルギーでまかなえれば、それは理想的なのだが、それが難しいのだとしたら、たまにしか使わない長距離移動には化石燃料を使ってしまってもよいのではないかと思っている。つまり、シリーズ・ハイブリッド の PHEV だ。

単純なシリーズ・ハイブリッド車であれば、そうした自動車は既にあって、例えば ノート e-power がその代表格なのだが、ノート e-power は充電をすることができないので、短距離しか走行しないような使い方であっても、純粋な EV としては使うことができない。つまり、化石燃料を消費してしまう。その部分で、やはり雑に化石燃料を使ってしまうのだ。

ノート e-power にあともうちょっとバッテリーが搭載されて、太陽光などで充電ができるようになれば完璧なのだが、なぜかそういうクルマが出て来ない。

まあ、バッテリーを載せれば載せるほど、生産コストは増えるので、自動車会社としてはできるだけ搭載するバッテリー量を少なくしたい気持ちはわかるのだけど、それをやっていると、おそらく永久に自動車を脱炭素化させることは難しい。

燃料電池車も悪いアイデアではないかもしれないが、実現するにはおそらくインフラ整備のための膨大なコストと時間がかかる。

だとしたら、少しだけ化石燃料を使ってしまってもよいのではないかと思っている。

どうしてもバッテリーだけではうまく走れない長距離を走るときや、年に数回だけ、旅行や帰省などで長距離を走るときだけガソリンを使う、そういう使い方のできる自動車があってもよいのではないかと思っているのだ。

化石燃料は悪なのか?

化石燃料というと、どうしてもそれ自体が「悪」のように感じてしまう人も多いかもしれないのだけど、要は使い方の問題だけなのではないかと思っている。本当に必要なところで、少しだけ、丁寧に使う分には化石燃料は非常に優れたエネルギー源だ。

ただ、便利だからとか、安いから、という理由で、雑に使ってしまえば、後はもうなくなってしまう。クジラと同じなのだ。捕れるから、という理由で、大量に捕って、雑に使ってしまえば、いつかは姿を消してしまう。

だから、丁寧に、大切に、使う必要がある。ただ、それだけなのだ。

「全て脱炭素化しよう!」と思って、難し過ぎる課題に挑めば、時間がかかり過ぎたり、費用がかかり過ぎたりして、なかなか実現できなくなってしまう。だけれども、いますぐ取り組める、やり易い方法で、8割を脱炭素化してしまえば、実はもっと早くゴールに到達できるのではないかと思っている。


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