オタク的交流という名の爆弾処理
恥はかいてなんぼという言葉に勇気をもらいながら、書きなぐっていこうと思う。
はっきり書こう。
私はコミュニケーション能力があって明るくて作品への愛もあり感想リプを送りまくれて、「ライブの参戦日合う相互、会おうね!」とか「界隈のみんなと友達になりたい!」みたいな陽のオタクのことが…
羨ましいです。
今までこういうキラキラしたオタクに苦手意識を持っていた時期の方が長かった。
しかし、その理由が自分がやりたくてもできないことをいとも簡単にやってのけるからだと気づいた。みんなすげー
一方、エネルギッシュな人たちと真逆の自分は、人との交流が苦手すぎて同じものにハマった人と交流を持つことを避けている。
いや、好きな気持ちを保つために避けざるを得なくなっている。
けっこう昔、作品専用アカウントを作って同士との交流を図ったことがある。
理由は、みんな楽しそうだったから。
楽しく好きなものについて話したかった。
自分にそんな適応力はないと知らずに。
最初、アカウントを作った時に界隈の明るい人たちが颯爽と話しかけてくれた。それ自体は本当にありがたいことだ。
が、だんだん交流をスムーズにするために作品を追う、という馬鹿らしいことが起こったためやめた。
誰かが言ったことに対して深いことを残せるわけでもない。
愛情深く返せるわけでもない。
自分につけられた、また自分がつけるべきであるRT、いいね、引用RTのひとつひとつにおびえ、アカウントを作ったことに後悔したのだ。
自分が書いたことに対しての反応へいつどのタイミングで返そうか?
この人が投稿しているツイートにいいねをいつつけるべきか?
リプはどうする?
など、本当にくだらなくて馬鹿らしいことで悩んで、作品自体のことが見えなくなっていた。
今でも悲しい。なんて愚かなんだ。
かと言って一人静かに抱えていると、いざなんらかの手段で出力したときに大爆発してしまうのだ。
最近あった事例を出そう。
義務教育時代からの付き合いをしている友人がいる。
その友人とは好きな作品や傾向がほとんど被らない。
しかしオタクという部分では共通しているため、
「今追っている作品の展開がこうなんだよね」
「好きなキャラさあ、こういうところが良いんだよね」
「この本・動画おすすめしていい?」
とお互いに話してわかる!と理解しあい、時には頭を抱えあったりしているとてもいい友人だ。
その友人とつい先日通話中に、ハマった作品とそのキャラクターについて話そうとした時だった。
いつもは「あの本面白かった!」と思ったことがすぐ声に出るのに、喉元まで出かかって言えない。
「ハマった作品の話していい?」と。
そんなに深い内容を言いたいのかと言われても全くそうではない。
最近読んで面白くて、キャラクターの魅力も豊かで、ただそれだけを言いたかった。
落ち着け、まずは切り出そう、と思って話し始める。
「あのさ……今…実はこの作品に……ウッ、ハマってて…」
涙が出ていた。わけがわからなかった。
思わず顔を覆った。覆った手は震えていた。
立ち上がれば足も震えていて、なにもできずにベッドへ倒れこんだ。
薬やってんのか?
この日、友人からは好きな作品と好きなキャラが違法ドラッグとして取り締まられなくてよかった、と言われて強く同意した。世界が違ったら今頃更生プログラムを受けていてもおかしくない。
それでも今まで神に誓ってこんな狂ったことはなく、思い返してもありえない大はしゃぎだった。
そう、これがちょっと上で書いた
「かと言って一人静かに抱えていると、いざなんらかの手段で出力したときに大爆発してしまう」である。
時限爆弾みたいで本当にキモい。助けてくれ
今回の記事もなんなら、
「作品より交流を大事にすると苦しくなるのにすぐ好きな気持ちを出力したくなるオタク、どうすれば」
という思いをどうにかして文にしないと、どうにかなってしまう気がしたのだ(?)
そう、これはいわば爆弾処理の一環である。
今はTwitterを雑多垢という名目で運用し、アニメ・漫画・おえかき・音楽などの色んなことに対してあさーーーーくつまんでいる状態を作り上げ、快適になっている。すごーーーーく息しやすい!
あの時と違って、たまに飛んでくるリプもいいねも嬉しいくらいだ。
いろんな人の雑多なツイートが流れるTLほど心地いいものはない。
ソシャゲのガチャ結果、コンビニで買ったお菓子、ニコニコサイバー攻撃に嘆くみなさん、おすすめの曲のリンク、誰かがふらっと描いたイラスト…
何気ないことが無限に流れるTL、たのし~~~い
ただ、たまに他のものよりだんとつ抜けてハマったものができた時。
その界隈の熱にリアルタイムで触れることができずに一人で抱えることがあるのはちょっと寂しい。
グッズ・イベント情報も見逃しがちだしね。
やはり専用アカウントも作るべきなのか?
うーむ
どうすべきか…ちょいちょい書き始めていた6月中旬から考えてみてはいた。
しかし、陰のもとに生まれた人間が考えるにはハードルが高すぎるテーマだったので考えるのをやめた。
また自分が好きな作品用アカウントを作っても、いまだに作品が好きな気持ちと一緒に共倒れになる未来しか見えない。
そんな豆腐より脆いメンタルの自分はなぜ、雑多垢がこんなにも快適だと感じるのか。
たぶん、特定の好きなものについてだけ喋り倒す・反応しまくることをしなくてもいいからなんじゃないか。専用と銘打っていないので、トピックについて制約がないのはでかい。
だからこそジャンル問わずどんなに小さいことでも好きなことを話したり、「今日暑すぎ」とか、「これすき」とか、「このお菓子美味しすぎ」とか、何気ないことをつぶやいたりする。
そして、他の誰かから
「今日暑すぎ」とか、「これすき」とか、「このお菓子美味しすぎ」とかも一緒に流れてくる。
覚えたほうがいい程のことではないかもしれない。
でも、そのなんでもないツイートに、確かに生きた感情が感じられて良い。
なんかそれが居心地いいのかも。
とりあえず今は、快適な自分なりのワンダーランドに棲み付くのが一番いいんじゃないかな!やっぱり。
長々と無駄に殴り書いたので着地点わからなくなってきた。
無理やり終わらせよう
とりあえず自分なりの結論
「作品より交流を大事にすると苦しくなるのにすぐ好きな気持ちを出力したくなるオタク、どうすれば」
結論
→出力したけりゃ出力しなさい、頭の中やipadの中に生まれた絵などは友達に共有するでもツイートを壁打ちするでもなんでもいい
現雑多垢のような不特定多数からの反応があんまり気にならない状態にしましょう
あといつでも戻ってこられる居心地のいい場所は必ず確保しておきましょう
というかなんなら雑多垢でつぶやいてもいいんじゃね、喋り倒してTLを染め上げなければ
今のところそんな感じです。
マジで考え方変わんないかなあ。日々を明るく生きている笑顔がまぶしいオタクの人に対してすぐ身構えるのやめたい。社交性0だけどたぶん人間が嫌いなわけじゃないんだ。
もっと明るく強く生きろ!
今更ながら新年の抱負見つけたかも。
まだギリ今年の前半だから間に合ってほしい。
以上。ここまで乱文を読んでくださりありがとうございます!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?