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Welcome to the world、そして無痛分娩のこと

 予定日1日前。篠を突くような雨が降る明け方。
 お腹が張る間隔が10分をきってきたように思うと妻から報告があった。ベットから起き出して何度か測ってみても、確かに10分以内に子宮収縮が来る。陣痛の始まりであった。

 病院で診察を受けると、すでに破水していたらしく、尿漏れのような感覚があった約24時間前には高位破水していたのでしょうということで、そのままLDR(Labor、Delivery、Recoveryの略)に入室した。
 数時間すると陣痛の痛みが強くなってきたので、無痛分娩の麻酔を開始していただいた。麻酔は著効し、その後は体位をコロコロ変えながら、談笑したり、仮眠を取りながら過ごしていると、順調に子宮口全開大となり、分娩の佳境を迎えた。
 途中、隣の部屋の方が緊急帝王切開となり、外が慌ただしくなった。少し前に「今回の出産を担当します」と挨拶にきてくれた若手の医師は手術室に行ってしまい、代わりに百戦錬磨の風格ある先生がきて、人が出払ったので私が担当しますということになった。
 何回か息む練習をしていたら、もう産まれますねということになり、ベテラン先生による会陰切開(妻はできれば回避したがっていた)の後、スルリと産まれてきた。
 僕は産まれる瞬間、McRoberts体位をとる妻の左足を支え、ほんの少しだけ出産に協力できた。
 ここまでかいつまんで書いているように思われるかもしれないが、実際、稀に見る安産であったと思う。自然分娩で見る、荒い息遣い、絶叫、耐え難い痛みの応酬はいつ来るのかと待ち構えていたが、ついに来ることはなかった。出産後の妻の第一声は「あと10回は息むつもりでまだ体力を残していたのに、今からランニングに行けそう」であった。

 恥ずかしいことに僕はこれまで無痛分娩の効果がこれ程とは寡聞にして知らなかった。なんなら、人類誕生以来、何千年にも渡って女性は自然分娩で出産をしてきたのだから、それを一度体験してみてもいいのではないかという意見の持ち主だった。
 しかし今回の出産を経て、君子豹変で意見変更を申し出たい。これまでの僕の考えは、例えるならば人類は1800年まで麻酔なしで手術をしていたので、先人たちの痛みを経験するため、虫垂炎の手術を無麻酔でお願いしたいと言っているようなものだ。無痛分娩は薬がよく効き分娩が順調に進めば、母体の体力も温存され、付添う側も安心して見ていられる。

 娘は2800gくらいで少し小さめではあったが、力強く泣いて、新しい世界の空気を存分に吸っていた。外界に出て開いた肺が体中に酸素を届け、顔から四肢の先まで綺麗な桃色をしていた。聴診器を胸に当てると心臓は澄んだリズムを刻んでいた。
 その後カンガルーケアと呼ばれる母子の肌の触れ合いがあり、温かく気持ちよかったのだろう、出産という一大イベントを終えた二人は穏やかに眠り、病室には至福の時間が流れていた。
 子供の誕生によって、急に世界が変わったりするのかと聞かれることがあるが、この時に僕の心に去来していた感情は、母子共に無事であったことの安堵、そしてまだ小さい赤ちゃんだけれど、次の世代にバトンを繋ぐことができたという達成感のようなものが大きかったように思う。僕も妻も家庭の長男、長女であり、両家にとって初の孫であった。互いの両親が喜ぶ姿が想像できて嬉しかった。そして今こうして幸せな気分でいられるのも、お腹の中で赤ちゃんを育て、無事に産んでくれた妻のおかげであり、感謝の気持ちで一杯だった。


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