見出し画像

自己の存在、承認欲求、そして自由と責任の探求

この文書では、人間が自己の「存在」と「承認欲求」とどのように向き合い、これらが自由と責任の感覚にどのように影響を与えるかについて探究します。多くの人々は、自己の「存在」を潜在的に重要視しています。自己の存在を謙虚に振る舞う人は多いものの、実際には、「良い人である」という存在をアピールしている場合が少なくありません。宮沢賢治が亡くなった後に発見された遺稿のメモには、「雨ニモマケズ」の詩が残されており、その終わりには「みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい」と記されています。「でくのぼう」とは、役立たずの者を指す蔑称ですが、誰もが言われたくない言葉でしょう。誰の心の奥底にも、褒められたいという気持ちが本能的に潜んでいるのではないでしょうか?

心理学的には、「承認欲求」という概念があり、他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたいという願望が根強くあります。これは人の心に満足感や充足感を与える一方で、苦しみをもたらす厄介な欲求です。宮沢賢治は、このような「承認」や「存在」に対する人間の苦悩を深く理解して、最後の言葉を残したのかもしれません。誰かに認められたいという強い願望に苦しんでいるために、究極の望みとして述べているのでしょうか?その真意は定かではありませんが、人の心の葛藤を考えさせられる内容が含まれています。

フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルは、「存在は本質に先立つ」という考えを提唱しました。これは、人間はまず存在し、その後で自己の本質やアイデンティティを通じて人生の意味を自ら創造するという考え方です。サルトルは自由と存在の関係を深く探究し、人間の存在自体が自由に基づいていると主張しました。人間は与えられた状況の中で自らの選択を行い、その選択によって自己の本質を形成します。つまり、人間の存在はその自由によって定義されるのです。この過程では、人は自分の行動と選択の結果に対して全責任を負います。サルトルによれば、この自由の行使と存在の確認は人間の基本的な条件であり、この過程での責任の受け入れが真の自由への道とされます。サルトルの哲学は、個人の自由とそれに伴う責任を強調し、人間の存在の深い理解に導きます。

治療院で使用する心身条件反射療法(PCRT)で心身に影響を与える誤動作記憶を検査すると、「承認」や「存在」に関連する潜在的な心の動きが関わっていることが多いです。しかし、多くの人が自分の「存在」に関わるストレスを認識していないようです。多くの人の心の奥底には「自分を認めてほしい」という願望がありますが、そのようなことをアピールすることは、謙虚さや奥ゆかしさに欠けると考えられがちです。そのため、その願望は表に出さず、心の蓋を閉じてしまいます。

「自分を認めてほしい」という願望がある一方で、その願望にブレーキをかけているのが「責任」です。自分の意見や意志を主張すること、すなわち自分の存在をアピールすることは、「責任」を伴うことになります。このような「存在」と「責任」の関係性は、人生のある時点で経験されることが多く、無意識に責任を避けるために、自己の存在を主張することを避ける傾向があります。これは、自分が承認されていないと感じるストレスを生み出し、自己矛盾を抱える人も少なくありません。

慢性症状を抱えたある患者は、治療を通じて自己の「存在感」について深い洞察を得ました。最初はパートナーからの承認を潜在的に求めていましたが、治療の過程で自己承認の価値と他者からの承認依存の重要性を学びました。本人にとっては日常の些細なことかもしれませんが、心の奥底ではそれが体調不良を引き起こす誤動作信号として紐付けられていました。心のモヤモヤを深掘りすると、自分の「存在感」に関わる内容が浮かび上がり、パートナーから自分の存在を軽視されているかのような感覚になっていました。

例えば、バレンタインデーにパートナーへプレゼントしたチョコレートが冷蔵庫に入れられたまま数週間食べられなかったり、プレゼントしたアクセサリーや洋服を一度も身につけていないことは、語りにくいほどのモヤモヤを引き起こすことがあります。そのようなモヤモヤを抱えつつ、心身に誤動作信号の反応を示していた患者に「その心の内を相手に伝えると、相手はどのような反応を示すでしょうか?」と尋ねると、患者は「相手は大きな反応を示さないと思う」と答えました。その後の会話で、「今までのパートナーとの関係の中で、自分から先に提案して関係に影響する決定をしたことがない」という事実が明らかになりました。そのような行動を取る理由について尋ねると、「嫌われたくないのかもしれない」という感情が表れましたが、その感情は誤動作信号とは関連していないことがわかりました。

そこで、「自分からリードして提案したり、相手の評価によって責任を感じることはありますか?」と質問したところ、「あっ」という反応があり、患者は責任感に過敏になっている自己を過去の経験から語りました。その話の最中に生体反応検査を行うと、誤動作反応が示され、体調不良に関連する誤動作信号が明らかになりました。特に、「存在」や「責任」というキーワードに関連する内容で誤動作反応が示されていました。

サルトルの実存主義における「存在」「責任」「自由」の概念は、人間の自己理解と世界との関わり方に対する深い洞察を提供します。人間は自らの存在を自己決定し、その過程で自己の本質を創造する自由な主体です。この自由な選択には、自己の行動とその結果に対する責任が伴います。この責任を受け入れることが、真に自由で意味ある人生を生きるための鍵となります。サルトルの哲学は、個人の自由とそれに伴う責任を中心に据え、人間の存在の意味を探究することを促します。多くの人々は責任を負うことを避けがちですが、サルトルによれば、そのような避け方は誤解に基づくものです。実際には、自らの自由意志で責任を受け入れることは、誰からも縛られずに自由に生きるための本質的なステップです。

確かに、「責任」という言葉はしばしばネガティブな意味や犠牲を連想させますが、真の自由を追求する過程で自ら責任を引き受けることは、より豊かな心と生活へとつながります。自分自身の存在を高めたい場合、個人の努力と貢献が必要です。自己の存在価値は、自分の行動を通じてのみ達成できるものであり、自らの行動によって存在価値を高めることが重要です。多くの人は他者からの承認を求めがちですが、実際には、自分自身の存在を承認することが、自ら行動することから始まります。これが人間の存在と真の意味での自由を保障する根底です。私たちが自らの存在を深く受け入れ、自己の行動に対する責任を自覚することで、真の自由が達成されます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?