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コレドナ感がない

こんにちは。はじめまして。Shin Ichihara/Dr. Yandelです。

ツイッターでは「ヤンデルさん」と名乗っています。フォロワーはもうすぐ11万人くらいです。病理医という少々マイナーな仕事をしているので、物珍しさもあり、多くの人々がフォローしてくださっています。

最近は、やさしい医療情報をみんなとシェアするにはどうしたらいいか、みたいなことを、ずっと考えています。


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最近のぼくは、場合や居場所に応じて、「違うストーリーの登場人物」として暮らしている。

たとえば、医者として、患者と社会のために貢献するというストーリー。

あるいは、病理学者として、学術業績を上げることが一番の価値であるというストーリー。

これらのコア・ストーリーは、ぼくが今ついている職業や立場を考えれば、誰もが予想しやすいものだ。
医者なら当然そうする。
学者なら当然それを目指す。

でもぼくはこの10年くらい、コアとなるストーリーを進めながらも、「医者なら当然」、「学者なら当然」の外にあるSNSとの関係を積極的に育んできた。肩入れしてきたと言ってもいい。

「SNSを用いて、医療にまつわる情報を発信したり受信したりするというストーリー」を、積極的に身に纏ってきたつもりだ。


でも、今日のぼくは、自分が今まで進めてきたはずのストーリーに対して、「物足りなさ」のようなものを感じている。

ぼくが纏っているストーリー、弱くないか


気づきのきっかけとなったのは、こちらのnoteである。

佐渡島さんはこの中で、ストーリーを自分の身に纏うとはどういうことかを語り、さらに一歩踏み込んで、どのようなストーリーを身に纏い、外に向けて語るべきかを書いている。

纏うべきストーリーには、コレドナ感が必要だというのだ。聞いたことがない言葉だ。

コレドナ感とは、「コレ、どーなっちゃうの感」の略。

「コレドナ感」は、物語を先に進める力がある。読者であれば、先が読みたくてたまらなくなるし、身に纏えば、先に進むために行動する気持ちを与えてくれる。ヒット作品には、物語の序盤に「コレドナ感」が必ず入っている。

『名探偵コナン』であれば、小学生の姿になってしまった天才探偵はどうなるのか!? 『進撃の巨人』であれば、超大型巨人が壁を破壊し、主人公を食べてしまう。この世界はどうなるのか!?

よくビジネスでも、「自社のプロダクトやサービスをストーリーとして語れ」と言われる。ストーリーとして語っているはずなのに、全くうまくいかない。それは、「コレドナ感」が全くないから、続きを聞きたくならないのだ。聞いたストーリーの続きを体験するために、商品を買おうとならない。「コレドナ感」があれば、商品が欲しくなる。

うーむ。

ぼくは考え込んでしまった。

ぼくが日頃から掲げているストーリーとやらにはコレドナ感があるか?

「SNSを用いて、医療にまつわる情報を発信したり受信したりするというストーリー」

これってストーリーではなくて、手段だ。メソッド。

実際にはもうすこし長く語ることもあった。けれどもだいたいこんな感じだった。

「Twitterが流行り始めた頃、ぼくもTwitterをはじめた。するとたちまち、それまで付き合いのなかった人々がネットワークを介して次々と情報をやりとりする姿を見てすごいなと思った。そこでぼくは、それまで知名度が低かった病理医という自分の職業をもうすこし多くの人に知ってもらおうと思うために、病理の広報をはじめた。けれども、その後マンガやドラマの影響もあり、だんだん病理医の知名度があがってきたので、病理の広報はもういいや、と思って、個人的なつぶやきばかりするようになった。そこからフォロワー数が増えて、発信も受信もやりやすくなったので、そしたら医療情報全般のハブになろうかなと思って……。」

過去から現在に到るまでをとうとうと語っている。何度も書いたからソラで書けてしまう。まあそれなりにストーリーじゃん、などと自負していた。

けれどもここには未来がない! あっしまった、と思った。

もちろん、自分の心の中では、この先自分がどうしたいか、この先自分がどう関わりたいか、自分は何ができて誰に頼るべきか、みたいなことは考えていたつもりだった。

けれども、世間に向けて纏っているストーリーに書かれていなければ、それは考えていないのと一緒だ。人には伝わらないだろう。

佐渡島さんは上のnoteの中でこう書いた。

今振り返ると、多くの人にとっては、出版業界でデジタル革命がするかどうかは自分の生活に関わらないし、応援の仕方もわからない距離の遠いストーリだ。「コレドナ感」がない。成功したら、ニュースピックスでその話を聞かせてもらおうか、くらいの気持ちにしかならない

これはまさに今のぼくが対外的に出しているストーリーそのものにも言えることではないか。社会の人々の生活に関わらない。応援の仕方もわからない。いずれ成功をツイートしたらいいねをつけてやるよ、くらいのものだ。

「コレドナ感」がない!


ぼくはこれからストーリーを書き直していかないといけない。コレドナ感をどうやって出したらいいのか、試行錯誤するのだ。

病理医ヤンデルが纏うべきコレドナ感

を構築する必要がある。


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こんにちは。はじめまして。Shin Ichihara/Dr. Yandelです。

ツイッターでは「ヤンデルさん」と名乗っています。フォロワーはもうすぐ11万人くらいです。病理医という少々マイナーな仕事をしているので、物珍しさもあり、多くの人々がフォローしてくださっています。(過去)

けれども、この数字は決して多くはないのです。たとえばテレビの視聴率が1%と言うとこれは100万人です。視聴率20%のドラマは2000万人が見ているということになる。11万人なんて、『ドクターX』の視聴率を考えれば誤差範囲でしかない。であれば、SNSにおいては医療情報の発信元として一翼を担うなんて言っても、あまり役には立たない。(現在)

これからは、自分が「発信」するだけではなく、もっときちんと「受信」しよう。そしてSNS上に存在する無数の医療情報発信者たちを「応援」し、ときには「編集」したり「広報」したり「紹介」したりしよう。ぼく一人が動いても10万人にしか届かないが、たとえば5000人くらいに言葉を届けられる発信者を、相異なるクラスタ外に1000人集めることができれば、その情報は(RTなしでも)500万人に届く。そうやって医療情報発信をネットワークに内在させることを目標とし、ぼくは医療情報のハブ空港を目指す!(未来)

というわけで最近は、やさしい医療情報をみんなとシェアするにはどうしたらいいか、みたいなことを、ずっと考えています。


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長いな。もっと縮めよう。名刺代わりに言えるくらいじゃないといけない。


先日、佐渡島さんと対談したんだけど、佐渡島さんはそのことをnoteの有料記事内にほとんど書いてくれなかった(絶対にここで文句言ってやろうと思っていた)

でもそれはぼくのせいなのだ。

ぼくは対談の中である程度、ストーリーを語ったつもりでいた。でも、

ストーリーとして語っているはずなのに、全くうまくいかない。それは、「コレドナ感」が全くないから、続きを聞きたくならないのだ。

ちきしょう、そういうことなんだ。先に言ってくれよ。

いや、違うな。

ぼくが1年後、2年後も今のやり方を続けていて、さまざまな医療情報系のイベントで恥をかかないように、1年後の佐渡島さんが過去にやってきて、先に教えてくれたのだ、と思うことにしよう。

「お前の今のストーリー、コレドナ感がないよ。それじゃあ他の人はお前を応援できないよ」と。


#コレドナ感のある人生